『メディック!』【第10章】(剣山×子猫)+俺 思い出
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第10章 (剣山×子猫)+俺 思い出
――ミー、ミー。
どこからか子猫の鳴く声がする。
いやいや、そんなはずはない、ここは内務班だ。
ああ、これは夢か。勇登は納得した。
そういえば、昔ニャーが子猫の頃もこんなかわいい声で鳴いてたな。
小4のとき、段ボールに入れられて川を流れていた彼女を、父さんと協力して救ったんだ。二人して意気揚々と官舎に帰ると、子猫をまるで勲章でも得たかのように母さんに見せた。すると母さんは――。
「うわあああぁっ!」
ジョンの叫び声で勇登は眠りから覚め、部屋の全員が飛び起きた。月曜の起床前から迷惑な話だった。
「おい、ジョン、朝っぱらからうるせえぞ!」
勇登がジョンを睨むと、窓際の自分のベッドの横に立っていたジョンは、手に持っていた黄土色の毛布をすぐさま広げてベッドにかけた。
「……なに、隠したんだ?」
勇登は起き上がると、ジョンににじり寄った。
「な、なんも隠してねぇ!」
ベッドの前に立ちはだかるジョンを勇登がどかそうとすると、彼は本気で応戦してきた。
「吉海!」
勇登はジョンに抱きつくとそう叫んだ。
吉海は待ってましたとばかりに、ジョンのベッドの毛布をはがした。
――!!
ベッドのシーツには、明らかに寝小便と思われる世界地図が描かれていた。
剣山、宗次、勇登、吉海は一気にジョンを見た。
「ち、ちがう!俺じゃない!」
ジョンは焦っていい張ったが、証拠が目の前にあってはどうも説得力に欠ける。
「まあ、そういうこともありますよ」
吉海がにやけ顔で、大人の発言をした。
「だから、ちがうっていってんだろ!」
ジョンは吉海の首を絞めにかかった。すると、
――ミー、ミー。
何かが室内で鳴いた。
全員で周りを見渡すと、どこからともなく真っ白な子猫が現れた。
――!?
「あら、かわいい猫ちゃん」
宗次がそういって子猫を取り上げた。
宗次の手の中の子猫を皆、興味津々で見た。
「なんで、こんなことろに子猫がいるんでしょう?」
吉海が怪訝な表情でいった。
「あ、なんか足のところ、包帯まいてるぞ。同化してわからんかったけど」
勇登は子猫を覗き込んでいった。
「わかった!俺のベッドにおもらししたのは、きっとこいつだ!な、な?」
ジョンがそういって皆に同意を求めると、宗次が「そうかもしれないね」と笑った。
ジョンは「こいつめー」といいながら、子猫の首根っこを掴もうとした。
「すまん!」
それまで黙っていた剣山が、急に頭を下げた。皆の視線は一気に子猫から剣山に向いた。
「そいつは昨日、俺がここに連れ込んだんだ」
そういうと剣山は昨日の出来事を話してくれた。
剣山は外出先から基地に戻る途中、後ろ足を怪我をした子猫を道路わきの草むらで見つけた。
はじめは血を流しながらひょこひょこ歩いてたが、すぐにへたり込んでしまい、周りに親猫もいなかったので、かわいそうになって動物病院に連れて行った。
先生は高いところからジャンプして、下にあった釘やガラスで怪我したのだろうといい、化膿を防ぐ抗生剤を処方してくれた。
だから、それを数日飲ませる必要があり内務班につれてきた、と剣山は説明した。
「当然、内務班で猫なんて駄目だって知ってる。帰隊時限ギリギリだったし、入校中でこっちに知り合いもいないから仕方なく連れてきたんだ」
「だから、昨日は帰りが遅かったんですね」
宗次が納得したようにいった。
「ああ、とりあえず隣の倉庫においてたんだが、あそこ夜は寒いだろ。だから、皆が寝た後こっちに連れて来たんだ」
季節は11月、夜はそれなりに冷える。内務班では気兼ねせず電話ができる場所が少ない。剣山はよく倉庫で家族と電話していたから、そこが寒いと知っていたのだ、と勇登は思った。
「とりあえず、ここはまずいから誰かに預かってもらいたいと思う。もしかしたら飼い猫かもしれないから、昼休みに警察と保健所には連絡しておく。でも見つけた場所を考えるとそうじゃない可能性の方が高そうだから、最終的には飼い主を探す方向でいきたい」
剣山はそういって頼るような目で皆を見渡した。
彼が誰かを頼るなんて本当に珍しいことだった。
吉海が口を開いた。
「俺の彼女、事務官だから営外に住んでるんすけど、ペット禁止のアパートなんすよ。すんません」
「すみません、俺もこっちには誰も知り合いいなくて……、あ、そういえば勇登んちは?」
宗次が勇登を見た。
「いや、それがうちの母親今出張中で……なんでも、かけ足の強化選手に選ばれたらしくて……」
由良はいい歳して、恐ろしく足が速かった。
勇登は一瞬ナオのところも考えたが、飲食店は迷惑か、とすぐに思い直した。
「そうか、じゃあしょうがないな。……申し訳ないんだが、少しの間、ここにおいてもいいか?」
答えは明白だった。
肩を落とす剣山に勇登はいった。
「俺、子猫飼ったことあるんですよ。そいつが元気になるまで、みんなで面倒見ましょう!」
勇登の言葉で話がまとまった、と思われたところでジョンが叫んだ。
「おい!どうして俺には知り合いいないか、きいてくれないんだよ!」
勇登が「だって、……いないだろ?」としれっといった。
「いるかもしれないだろ!」
「じゃあ、誰かいんのか?」
「……いない、けど……一応きいてくれてもいいだろ」
しゅんとして答えるジョンの肩に、剣山が腕を回していった。
「ごめん、ごめん。ネタだよ、ネタ。冗談だって。ジョンもよろしくな!」
ジョンに笑顔が戻ったところで、起床ラッパが基地内に響き渡った。
*
その日の夜。事件はおきた。
子猫のことを秘密にするどうこう以前のスピードで、それはおきた。
こしろがいなくなった――。
昼食のとき、名前をつけようという話になった。白色だから『しろ』にしようとしたが、それでは単純だから白色の子どもで『こしろ』にするで話がまとまった。
しかし、訓練を終えて部屋に戻ると、こしろの姿は消えていた。急遽全員で手分けして探すことになった。内務班に猫を連れ込むなど前代未聞だ。こんなことがばれたら、ただでは済まされない。必ず自分たちが見つけ出さなければならなかった。
――怪我をしているし、まだそう遠くへはいってないはずだ。
勇登は救難教育隊の方へ「こしろ、こしろ」と小声でいいながら歩を進めた。
勇登はふと、ニャーの名前は、猫はニャーって鳴くからニャー、という理由で由良がつけたことを思い出した。
ニャーを連れ帰った日、母は勇登を「よくやった」と褒めてくれた。しかし、その後はニャーを官舎に入れてもらえなかった。勇登は近くの公園にニャーといるようにいわれ、しばらく待っていると父がやってきた。父は「母さんの知り合いの家に猫を連れていく」といった。すっかり飼う気でいた勇登が「どうして?」ときくと、父は「官舎は動物ダメなんだ。父さんすっかり忘れてたよ。ごめんな」といった。
その夜勇登は家族の誰とも話さなかった。
しかし、次の日事態は急転した。母が学区内で基地からも近い一戸建ての物件を探してきたのだ。母は「週末、引っ越すわよー!」と元気にいって、勇登は父と二人で大喜びした。
「勇登、こしろいたか?」
そういって近寄ってきた剣山に、勇登は首を振った。
「すまんな、こんなことになって……」
剣山は伏し目がちにいった。
「でも、どうしても放っておけなかったんだ」
「わかりますよ。俺もきっと同じことしたと思います」
「……ありがとう。俺昔猫に助けられたことがあるんだよ」
「猫を、じゃなくて、猫にですか?」
「そう、猫に助けられたんだ」
こしろを探しながら、剣山は当時の話を勇登にしてくれた。
剣山は同期の中で唯一の妻帯者だった。彼には来年の春から小学生になる男の子がいたが、幼児の頃は喘息がひどく何度も入院して、奥さんはその付き添いで一時期家に誰もいないことがあったといった。
「いつもいる人たちがいないと、すっげえ寂しいの」
剣山はこれまでに見せたことのない、苦痛と笑いが混じった表情でいった。
そんなある日、剣山は借りていたアパートの垣根の間に白い猫がいることに気がついたのだった。野良猫だったが自分が帰る時間には必ずいた、と彼はいった。
「ある日そいつが『おかえり』っていった気がしたんだ。だから俺も『ただいま』っていったんだ」
剣山は自分の行動を思い出して可笑しかったのか、くすりと笑った。
その白猫のお陰で、彼は家に帰るのが少し楽しみになったといった。
それから、子どもの体調がよくなって、家族が家に戻ってきた。白猫は変わらず垣根の間にいた。剣山は挨拶を続けた。けれども、ある日の夕方、白猫の姿がなくなった。剣山は一瞬疑問に思ったが、野良猫だしそれほど気にしなかったといった。
「そしたら、次の日の朝、白猫が車にひかれて死んでるのを見つけたんだ」
剣山は眉間にしわを寄せてそういった。
「そんな……」
「真っ白な毛皮が真っ赤に染まってた。俺にできたことは、道路の端に寄せて、役所に電話をかけることだけだった。だから、あの白い子猫の足の血を見たとき、どうしても助けたいと思った」
勇登は言葉を見つけられず、剣山の肩に手を置いた。
これまでも剣山は家族の話をよくしていた。というか、プライベートな話は全て家族のことだった。
そして、その家族がいないとき白猫が彼を癒してくれた。しかし、その猫は死んでしまった。だから、別の形でもその恩返しがしたかったのだろう。
ここぞというとき、いつも彼は強かった。彼の場合、これまでのつらい訓練は、家族の存在があったから乗り越えられたのかもしれなかった。
――家族がモチベーションになっているんだ。
勇登は剣山の強さの秘密を、少しだけ垣間見た気がした。
*
五郎は外の新鮮な空気が吸いたくて表に出ると、思い切り背伸びをして、腕をぐるぐる回した。最近は帰りが遅くなりがちだった。
――あれは、なんだ?
白くてもふもふとした小さいものが、暗闇の中でひょこひょこ動いていた。
五郎は気配を消してそれに近づくと、両手ですくい上げた。そして、すぐに足に巻かれた包帯に気づいた。
五郎はひとり思案した。
以前、千歳にいたとき、基地内で鹿の親子やウサギに遭遇したことがある。それはよくあることだった。しかし、子猫に会ったことはない。しかも、怪我をしていて、誰かに手当てされている。
これはどういうことか――。
「あっ」
誰かが遠くでそう叫んだ。
五郎が顔を上げると、そこには勇登と剣山の姿があった。
五郎はなにもいわず、勇登と剣山を誰もいない教官室に入れた。
五郎は椅子に腰かけると、子猫を膝に乗せ、ゆっくりと背中をなでた。
「俺が、悪いんです。全て俺の責任です」
剣山は口火を切ると、ことのあらましを全て五郎に話した。
そこへ、見つかったという連絡を受けた宗次とジョンと吉海が合流した。
「この子猫が、飛行場地区の方に行っていたらどうなっていたと思う?」
五郎ははじめて口を開いた。
「怪我をしているから、機敏には動けない。飛行機にひかれたら?エンジンが吸い込んでしまったら?それを、考えた者はいるのか?」
「……考えてませんでした」
剣山が声を押し殺していった。
「あまいんだよ。詰めが。……では、どうすればよかったと思う?」
五郎は極めて冷静に質問した。
「……はじめから、教官に相談すべきでした」
はじめに宗次が神妙な面持ちで答えた。
「俺が猫を連れて来たのが、間違いでした」
剣山が声を震わせながらそういった。
五郎は膝に乗っていた子猫をそっと勇登に渡した。
かと思ったら、次の瞬間思い切り剣山の胸ぐらを掴むとそのまま壁に押しつけ、大声を出した。
「お前はそのときそれが正しいと思ったんだろ!だったら、そこだけは自信を持て!」
五郎は手を離すと、今度は落ち着いた声でいった。
「救難の現場では迷ってる暇はない。自信がなければ、常に決断を迫られる現場で何も決められないんだよ」
そして、五郎は勇登から子猫を取り戻すと、言葉を続けた。
「ここには困っている者を放っておける人間はいないんだよ。お前も、そうだったんだろ?」
剣山は涙を流しながら頷いた。
それを見た、吉海も泣いていた。
「ただ、なんの処分もなし、というわけにはいかない」
「はい。当然です」
剣山は手の甲で顔を拭くと、毅然とした態度でいった。
「携帯、2週間没収」
五郎は最強の罰を言い渡した。剣山の顔がこわばった。最近のスマホ依存気味の若者には、これが一番効く。
「それから、わかってると思うが連帯せき……」
五郎がいい切る前に、ジョンが口を開いた。
「熊野曹長!俺の携帯を取り上げて下さい。もし、それでも足りないなら、壊してもらっても構いません」
ジョンは持っていた携帯を、両手でさっと差し出した。
「ほう、お前がそこまでいうなんてな。……よし、それでカタをつけてやろう」
感心した表情の五郎に、剣山が食い下がった。
「駄目です、熊野曹長!俺だけでお願いします!これだけは、俺にきっちり責任を取らせて下さい!」
「却下だ。俺は一度下した決断は、覆さない。これ以上いったら、全員にするぞ」
五郎の決意が固いと知った剣山は渋々引き下がった。
子猫は五郎が預かるということで話が決まり、全員教官室を出た。
五郎が小さく息を吐くと、勇登がドアからひょっこり顔だけを出した。
「あの、そいつの名前は今のところ『こしろ』です。あと、俺子どもの頃父と子猫を助けたことがあるんです。だから……、ありがとうございます!」
勇登は笑顔でそういうと、部屋を後にした。
――ああ、よく知ってるよ。
五郎はこしろを一時的に部隊当直に預けると、その足で喫煙所に向かった。
*
「おい、ジョン。一体どういうつもりだ!」
隊舎に戻ろうとするジョンに、剣山が声を荒げた。
「知ってのとおり、友達いないんで全然大丈夫です」
ジョンはすたすたと早歩きで隊舎に向かった。
「それにしたって……!」
剣山は苦痛の面持ちで振り絞るように声を出した。
ジョンは振り返ると、得意顔でいった。
「だって俺たちの仕事は人を救うこと、でしょ」
「……おまっ、えらそうに!」
剣山はジョンに駆け寄って首に手を回すと、思い切りヘッドロックをかました。
第11章へつづく――――――――――――――――――――――――――――――――――
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。