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『メディック!』【第4章】 俺×教官 メディックの種

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第4章 俺×教官 メディックの種

 ――5カ月後。

 勇登たちは、岐阜の救難員(衛生)課程、陸上自衛隊第1空挺団基本降下課程を無事に終え、再び小牧に戻ってきていた。この期間、一日の終わりには体はボロボロ、土日はほとんどなく訓練漬けの日々であった。

 勇登は小牧に戻ってくると必ず、ナオのいる喫茶店にいった。大変な訓練が終わるたびに、ここに帰ってくるのが楽しみだった。
 勇登はこれまでのこと、同期のことなどをナオに話し、吉海の提案で撮った写真を見せた。衛生課程と空挺が終わった後にも撮ったものを含めると、写真は全部で3枚になっていた。

 ナオはそれを楽しそうに見比べた。
「大変とか、疲れたとか、身体が痛いとかいってるけど、楽しそうじゃない」

「まあ、一つ終わるたびに充実感はあるよな。岐阜では救命法とか勉強してきたんだぜ」

「へえ、すごいじゃん」
 ナオは本当に嬉しそうに笑った。

「私も手当て、できるよ。どこか痛いところない?」

「うーん。最近、首がこって、頭が痛いかな」

「どれどれ」
 ナオは勇登の横にくると、額と首を挟むようにピタリと手の平をつけた。

「……?、触ってるだけじゃん」

「うん、そうだよ」
 ナオは笑った。

 しかし、しばらくそうしていると、はじめはヒヤッとしたナオの手が自分の体温と同化して、疲れが溶けていくような感覚になった。

「そういえば整備に変わった奴がいるんだ。女なんだけど、男みたいで、結構面白いんだ」

「へえ、よかったね」
 ナオは低いトーンでそういうと、勇登から離れて、カウンターの中に戻ってしまった。

「な、なあ、この店の『喫茶PJ』の名前の由来って何なの?」
 勇登は少し慌ててきいた。
 小牧にきて、米軍の救難員はパラレスキュー・ジャンパーを略してPJとよばれていることを知っり、ずっと気になっていた。

「知らない、おばあちゃんがつけたから。今度きいてみたら?」

 喫茶PJはナオの母方の祖母が開店したのだった。今も現役で朝来ればいるとナオはいったが、朝はナオがいない。それはなにか違う気がした。

 勇登は勝手に、プライベート・ジェットの略だとか、ナオの名字の城島から取ったんじゃないかと推測を始めた。すると、ナオに笑顔が戻った。

 どうしてだろう――。

 ――ナオが笑うと、俺も嬉しい。

 勇登は時間の許す限り、喫茶PJでのひとときを満喫した。


 
「ふーっ」

 湯船に首までつかると自然と声が出た。ナオは温まった手のひらを両頬につけた。ここ最近じゃ、これが一番幸せを感じる瞬間かもしれない。
 いや、ちがった。
 勇登が鳴らすドアベルの音のほうが上だ。昔から思い切りドアを開けるから、他の客と違って、カランカランと激しく鳴る。それと同時に、胸の鼓動も高鳴り、背を向けていてもすぐに、来た!、とわかってしまう。

 ナオは無数の小さな水滴で覆われた古いコンクリの天井を見上げた。
 今日も勇登からいろんな話がきけて楽しかった。でも最近は、飛行機からパラシュートで飛び降りたとか、日常にはない危険な内容が多い気がする。
 勇登はこれまで航空自衛隊員といっても、地上職で仕事として空を飛ぶようなことはなかった。しかし、今後は恒常的にヘリに乗るようになる、と勇登はいっていた。

 ヘリに乗るということは、地に足が着いてないということになる。地に足が着いてないということは、落ちる可能性はゼロではないということになる。

 勇登は大丈夫だろうか。
 突然ここに来なくなったりしないだろうか――。

 今日、勇登のガチガチの首筋に触れて、急に実感が沸いた。きっと自分が思っている以上に、大変で危険と隣り合わせの仕事に勇登は就こうとしているのだ。

 ナオは自分のほっぺを、ペシペシと二回叩いた。

 ――私が暗くなってどうする。

 ナオは呼吸を止めて湯船に潜って、余計なことを考えられないようにした。


 
 ――7月。

 突き抜けるような晴天が夏の訪れを感じさせる日、小牧基地で救難員課程の入校式が実施された。

 勇登が救難教育隊に転属してもう5カ月となるが、ここからが本当のスタートといってもいい。入校式を終えれば、そこから24週間の過酷な訓練を乗り越えなければならない。UH-60Jでの落下傘降下を含めた飛行実習、夏季山岳実習、海上総合実習、そして最後に、冬季山岳実習を含む総合実習に合格すれば、搭乗員の証である航空士き章を手にして無事に卒業式を迎えられる。


 五郎は入校式の間中手に握りしめていた、いぶし銀色をした航空士き章を丁寧にハンカチに包むと、飛行服の胸ポケットに入れた。格納庫からでたところで、五郎は武造に話しかけられた。

 2等空曹、田代武造(たしろたけぞう)は、救難員になって10年、ここにきて2年目の教官だ。教官の中では、下っ端だが学生の成長をいつも楽しそうに見ていた。いよいよ本格的に訓練をスタートするということで、少しそわそわしているように五郎には見えた。

「曹長、以前あいつらに種の話をしてましたよね」
 学生が救難教育隊に配属になったとき、五郎は彼らに蒔いた種を全力で踏みつけて発芽させるという話をしていた。

「ああ、それがどうした?」
「俺、あの話気に入ってるんですよ。そろそろ、発芽しましたか?」
「もうちょっとだな」

「じゃあ、卒業の頃には、花咲きますかね」
「残念だけど、俺が蒔いたのは花が咲かない種類だ。その代わり、栄養を与え続ければ、永遠に成長する」

「栄養ってのは、訓練ですか?」
「そうだな。あと俺たちの熱意だな。俺たちが本気なら学生も自然とついてくる」

「そうすね、俺の教官もいつも全力で真剣でした。だから、俺もついていこう、って本気で思ってました」

「これまでの踏みつけで土壌はだいぶ固くなってるはずだ。ここに根を張れたらちょっとやそっとじゃ倒れない。あいつらが地中に深く根を張るためにも、俺らも相当気合入れていかにゃならんぞ」

 五郎の言葉に、武造は大きく頷いた。

 勇登たちが夕食を済ませ、自主トレという名の強制筋トレをしていると、道前正則(どうぜんまさのり)が近づいてきた。1等空曹の彼は、教官ナンバー2だ。

「いいか、いざというとき出せる力は鍛えた量に比例する。今つけてる筋肉が将来誰かを救うと思え。貯筋だ、貯筋!」

 正則は筋トレする際の注意点などを、こと細かに指導した。
 課業外であっても彼はよく面倒を見に来てくれた。教官たちははっきりいって言葉は悪いが、教えるときはきちんとわかりやすく教えてくれる。
 正則は最後に「男は黙って筋トレだ」と宣言して去っていった。


「志島勇登!」
 かけ足から戻ってきたばかりなのか、顔を火照らした亜希央が勇登を呼んだ。
 夕方、彼女が基地内を走っているのを何度も見かけた。きっと、毎日欠かさず走っているのだろう。

 亜希央は、この時間なんだかんだと勇登に話しかけてくることが多かった。短い髪をガシガシ掻きながら、ほとんどケンカ腰であったが、近くで訓練生を見てきたからか、その内容はためになるものが多かった。
 今日も、今度はじまるプールでの訓練は毎年脱落者が多い、ということを教えてくれた。

 亜希央が帰っていくと、今度は宗次がにじり寄ってきた。

「あの子、お前のこと好きなんじゃない?」
「まさか」

 勇登は笑って、からかってくる宗次をかわした。

 その夜。

 吉海の音頭で4枚目の写真を撮ることになった。入校式を記念しての写真だ。

 今回は全員飛行服と決まった。飛行服は、搭乗員にしか支給されない。OD色のツナギで首から股下まで延びる銀のファスナー、ウエストの両サイドはマジックテープになっており、自分のサイズに合わせて調節が可能だ。腿の当たりにはメモをはさめるクリップ。ズボン部分の裾もファスナーで開け閉めができ、飛行靴が脱ぎやすい仕様になっている。

 勇登は飛行服に憧れを抱いていた。あのツナギを着ている人は、不思議とかっこよく見えた。子どもの頃は父の洗濯物を畳むふりをして、勝手に袖を通したこともあった。でも、ダボダボで全く似合わなかった。

 撮影のため、全員新品の飛行服に着替えたが、どこか違和感を覚えた。
「なんか、おかしくね?」
 勇登がそういうと、宗次が渋い顔で頷いた。全然かっこよくないのだ。

 撮影に先んじて、吉海を実験台にみんなで『かっこよく見えるための着こなし』を研究することになった。吉海はノリノリで皆の中心に立った。  

 はじめに宗次が口を開いた。
「脇のマジックテープ、絞めすぎなんじゃないか?」

 宗次は吉海の脇のテープを最大限まで緩めた。ウエストの辺りが少しダボっとなった。
「お、いいんじゃね」
 全員の声が揃った。

 続いて勇登がいった。
「あと色じゃね。なんか濃すぎるんだよ。こう、着古した感が出てないっていうか。曹長の着てるやつとか、すっげえ味がでてるんだよな」

「うーん、でもそればっかりはしょうがないね。これから何とかしよう」
 腕を組んだ宗次がいった。

「あ、わかったぞ。ここだ」
 急に剣山が動いて、首元と足元のファスナーを少し開けた。

「おおー!」
 歓声が上がり、着こなしは決まった。

 次は撮影場所を相談した。初日は居室で撮ったが、さすがに狭いということで、隊舎内の階段になった。吉海の指示のもと、一人二段を自由に使って撮影した。

 4枚目の写真は、まだ全然板についてない飛行服姿となった。それでも、少しまとまりが出てきた写真を、勇登はしばらくの間眺めた。


 
 五郎は白煙を放つ煙草を夜空に向けて縦に持つと、真っすぐ天に昇っていく煙を見ていた。

 ――お前と話がしたくなると、つい煙草に火をつけちまう。

 チリチリと燃える火が手元に近づいて来ると、五郎はそれを口にくわえた。

 ――半分ずつな。

 五郎は離着陸のやんだ飛行場地区に目をやった。勢いよく伸びはじめた誘導路脇の草が、いつも夏のはじまりを感じさせる。

 ここ数十年で、喫煙者を取り巻く環境は大きく変わった。
 自衛隊も例外ではない。数十年前は待機室や自席でみんな普通に煙草を吸っていた。それが段々と追いやられて、今じゃ外が当たり前になった。煙草一本吸うのに、夏は汗を拭うハンカチ、冬は上着が必要な時代になった。
 この煙はよっぼど体に悪いらしい。

 周りの環境が大きく変わるように、自分の階級も立場も経験年数も徐々に上がってきた。幹部のいないこの職種で最後はトップになるだろう。それなのに肝心な中身は一つも変わっていない気がするのは、どうしてか。

 五郎は煙草の煙を、ため息とともに出した。

 今日の入校式のとき、学生たちに蒔いた種の名前を思いついた。
 その名も『メディックの種』。

 ――なんだか、笑われそうだな。

 五郎はふっと顔の筋肉を緩めると、夜空を見上げた。
 これから全力で種を蒔いた場所を踏みつける。そう、昔の教官が俺たちにしてきたように。でも、これだけは誓える、これまで学生を傷つけたり落とすために踏みつけたことは、一度もない。

 ――お前なら、どんな風にあいつらを育てる――?

 五郎は最後の一息をゆっくり吐き出すと、煙草を灰皿に押し付けた。そして、焼かれた上にぐにゃりと曲げられたそれを、真っ赤に塗られた煙缶にそっと入れた。 

第5章へつづく

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☆航空士き章:き章(航空士)。航空従事者技能証明を有する物が左胸に着ける徽章。

☆飛行服:航空機搭乗員が着用する深緑色のつなぎ。

☆煙缶:喫煙場所に置くことが決められている、朱色の缶。

※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。

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