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小説「検索デキナイ」

私がスマホ依存症のぎりぎりで踏ん張れているのは、父の存在が大きいだろう。スマホは何でも間でも叶えてくれるもんじゃないし、元々そういう目的で作られてもいない。そのことが、父が死んだ、息子たちが生まれた、この不可侵の事実で私ににじりよる。私は、今でこそぶよぶよの汚いばあさんだけど、12から15くらいの、父にもっとも期待されていた頃は(その期待を私は盛大に裏切った)、いっちゃなんだが翠石みたいな少年だったのだ。(そうだ、私は確かに、少年だった、不可侵食の薫る輝石だった)そして、運命と言うのだろうか、ふたりの息子たちは少年だった私にどんどん似てくる。特に兄は私を通り越して父に似てくる。だから、私父と息子の姿を比べたくて、スマホで父の画像を探す、はたとなる。"そんなものはクラウド上の何処にもないのだ"父は20年も昔に死んだ。写真データ何てものはない。どんなに検索したって、どんなにネットが無限だって、何処にもないのだ、ないもんはないのだ。だから私はスマホ依存症にはならない。私は科学の限度を、しっかり知っているのだから。

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