私と私の思想(3)
初めて男の子に恋した話
私の小学校のときの所属クラブは野球部。
基本は一塁手で、四番あるいは五番打者であった。
レギュラーメンバーだったことも有り、部活に対する意欲は部内では高い方ではあった。
見出しのように、私が男の子に恋したのは六年生のときのことである。
その子(Kくんとする)も同じく野球部で、初期はエースを務めていた。(イップスとなったために途中からは三番手投手とはなった。)特徴を言えば、真面目、頭脳明晰、運動神経は高く、顔も良くてモテた、というところ。これまで同じクラスになるということはなかったので、四、五年生の頃は会話はほぼなかった。そして六年生となって初めてKくんとのご縁があったのだ。実際かなり馬は合う方で、担任に二人してオキニとして好かれていた。学校生活も部活も充実していた。しかしこの時点でKくんに特別な感情を抱いてはいなかった。
ここで野球部内に一つの分裂が生まれた。
それは練習方針における部員内での衝突であった。主将は所謂レギュラー主義で、ベンチメンバーを常に見下し、その日にはバッティング練習の機会すら与えず、このことが衝突を決定的にした。私はベンチメンバー側に付き、公平に練習すべきだと主張する共に、レギュラー至上主義者の練習時間の怠慢ぶりを糾弾した。そこに共鳴してくれたのがKくんであった。部活後には二人で残って、今の野球部をどうすればよいのだろうかと幼いながらに二人して一生懸命に考えていたのを覚えている。
然し、多少の温度差はあった。主にベンチメンバー側の部員は、レギュラー憎しの側面が強く、そのあり方にKくんは同情していたが、私は違った。単に「べき論」としての公平性を主張し、レギュラー至上主義者の怠慢ぶりが嫌いであっただけで、主なレギュラー側のことを嫌いにはなりきれなかった。私がベンチメンバー側にいる目的はKくんと一緒にいるためという、なんとも身勝手で、不埒なものとなっていった。真っ暗になった校庭のベンチで二人寄り添って座り、学校生活など様々なことを話すこの時間を和平によって終わらせてしまうことが何よりも嫌であった。本来私は調停役として働くべきであったのだ。
然し、そのような対立状況を汲み取った保護者会が各家庭で息子たちを諭すことで、この対立は一応は解消された。惜しいことだとは思ったが、Kくんとの距離が離れることはなく、相変わらず仲良くできたことは救いであった。そして、このときには自分でも薄々気づいていたのだ。「私はKくんのことが恋愛的に好きなのだ」と。然し同時に知っていた。本来、恋愛とは男と女がするものであり、それ以外はマイノリティであることも。だから、Kくんが女子と喋っているときは苦しいほどに嫉妬したが、私にはKくんを得る術はないのだと言い聞かせることでなんとか心を保てていた。然し、この気持ちをこのままにしておくことはやはり辛かったのである。
そして、私は修学旅行でこの気持ちと決着をつけることにしたのだ。私はKくんともう一人の男子と同じ寝室となった。Gが出てきたということも有り、一つのベッドで六年生男子三人が寝ることになった。深夜遅くまで、私とKくんは話し続けた。そしてお決まりのとおり、恋バナとなった。あの子は〇〇くんが好きで〜とまさにお決まりのとおりだった。そして、私は聞かれたのだ。「泉くんは好きな人とかいるの?」一瞬どう答えようかと惑った。とりあえず、「誰でしょう?笑」とKくんに当てさせることにした。私は少し期待をしすぎてしまったのだ。本当に淡い期待だ。もしかしたらK くんも私のことが好きで、あわよくばKくんから何か言い出して、私にとって都合が良いようにことが進むのではないかと。Kくんは、覚えている限りの女子の名前を挙げたが、私は首を横に振った。「え〜ヒント頂戴?」半ばKくんは降参したようだった。さあ、私から言い出すべきだろうか?この関係は私がアクションを起こしたその瞬間には終わってしまうのではないだろうか?巡り巡る考え、悩むKくんにこう答えた。「…‥ツナ。」我ながらしょうもないなと思った。Kくんの名簿番号27にあやかってそう答えたのだ。「え〜わかんないなぁ。」そう言うやいなやKくんは寝てしまった。朝を迎えるまでの四時間ほどの間。私は眠れなかった。結局私はどう振る舞うべきだったのか考えた、だがその答えは一向に出る気がしないでいた。
これ以後Kくんとの関係を壊すまいと、少しでも私がKくんに対して恋心を抱いていると思われないように淡々と日々を過ごし、程々に話しながらもできるだけ、Kくんのことを考えないで生きた。中学も同じクラブには入ったものの、とりわけ話すことはないまま、監督との衝突がきっかけで、そのクラブを辞めることになった。
六年生のあの時期、あれが初めての失恋であったのだろう。
今はもう極力会いたくないな、そう思いながらも再開をわずかに願う自分もいるのである。
追記:
私は特に同性愛者やその他セクシュアリティに関してこれと言った抵抗はない。幼い頃にBL漫画を手にしたことが原因なのか未だにわからないが、やはり、まぁ、勝手にどうぞというスタンスではある。しかも、自分も当事者の一人として思うことがないでもない。それは今日話題になっているセクシュアルマイノリティや同性婚の話である。まず、当事者が全員同性婚を望んでいるわけではないし、英国では同性婚や理解増進法(のようなもの)を盾に不法滞在などをしていたケースが有る。少数の内の少数のために、そのようなリスクを犯してまで制度を整備するのかといえば、他にすることがあるだろうと思う。その点では、虹色の旗やマスクを掲げる人間は胡散臭いし、当事者からすれば、LGBTへの嫌悪感をますます抱かせる厄災でしかないだろうと思う。そして、我々には我々なりに、「他の人とは違う」という意識は抱いている。だから、全員が全員その存在を認めたくないというのは差別であるなどという阿呆なことは言わない。せめて、静かにこっそりと生きさせてくれ。結論、パートナーシップ制度の拡充程度でよいだろうというのが私の考えだ。欧米がしているから〜、世界の波が〜というのはまさに頓珍漢で、日本の国としての歩みを考慮した政治政策を行うのがまさに筋というものだ。人権、権利という言葉に踊るより、その選択のメリット・デメリットと言った社会トータルの利益、損失を考えていくべきではないだろうか。もちろんその社会トータルには、国民の幸福度は含まれる。