
落ち込んでいるひとに対して、わたしができること
苦しそうな、ネガティブな感情を抱えているように見える人に、わたしは何ができるのだろう?と考えていた。
なぐさめること?ただ寄り添うこと?励ますこと?それは実は問題ではないと気づかせること?解決に向かう後押しをすること?
でも、幸せのカタチは、みんな違う。
わたしにとっての幸せと、その人にとっての幸せは全く違うかもしれない。
一般的な幸せのカタチを正解として、そこに当てはまらないことを不幸だと決めつけるとか、正そうとコントロールするとか、そういうの、ほんとに自分も相手も不幸にするよなぁ、と思った。
そもそもどんな感情であれ、"感情を感じる"って、人類にとっては快楽なのだ。
そうでなかったら、ホラー映画とか、切ない音楽とか、残酷な小説とかが、エンターテインメントとして成り立っているわけがない。
・
わたしの大好きな人の言葉に
『事実は人生を変えない、解釈が人生を変える』という言葉がある。
もしその人が、不幸だと思われる出来事に直面していたとしても、それを本人がどう解釈しているかで、人生は大きく変わってくる。
わたしから見て、落ち込んで苦しそうに見えていたとしても、ほんとうはその人がどう感じて、どう解釈して、これからどうしたいと思っているのか、心の中はわからない。
だとしたら、その、つかみどころのない相手の感情に振り回されず、『常にその人はその状況から得られる何かを得ながら、その人が信じる幸せのカタチに向かうプロセスにいるんだ』ということを理解し、そのプロセスを信頼して見守ることが、他人のわたしにできることなんだな、と思う。
わたしは、その人の幸せに向かう力を信じているし、自分で自分をハッピーにすることができる人だと知っている。
人の解釈に口出しをするより、自分の解釈を整えることに注力していれば、人の感情に巻き込まれず、冷静でいられるのだ。
この”冷静でいる”って、実は思ってる以上にできてなくて、これさえできていれば、結構なんでもうまく行くんじゃないかとも思っている。
結局、苦しそうな人がいたとき、自分がそのときにできることがあれば、もちろん精一杯向き合えばいいけど、その人の感情に巻き込まれて、過剰に反応するのならば、それは、その人の問題ではなく、自分の問題だと思って対処したほうがいいよね、という話。
Enjoy your life!
イズミ