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長編小説 『蓮 月』 その十二


 北野ホテルは百合のニューヨークでの定宿なので、フロントの対応もすこぶる良いように感じた。六階の別々の部屋にそれぞれ荷物を置いて一階のロビーで待ち合わせて、早速馴染みのギャラリーオーナー達へ、日本のお土産を持っての挨拶回りとなった。
 お土産は、十五糎角の和紙で創った箱に浮世絵の絵柄の風呂敷に包まれた香炉(唯が百合からの特注で創った)に白檀のコーン型お香が入ったものであった。和紙・浮世絵・風呂敷・香炉・お香の組み合わせは百合が考えたもので、どのオーナーもとても喜んでいてくれて、話題のアート作家・作品のなどの資料を惜しげも無く百合に渡していた。
足早に数軒のギャラリーを廻って、その夜は十一時過ぎにホテルに戻った。
 今回の一番の仕事と言うのは、ニューヨーク在住の書家で、元々は報道写真家だったが、二十九歳の時、カメラを棄てて世界を放浪する旅に出て二〇年。或日ニューヨーク近代美術館(MoMA)で井上有一という作家の書を視て感動し、書の世界に入った。
独学で様々な手法を練達し、すこしずつ認められるようになった「清水滋郎」という作家に、日本での凱旋展覧会を大阪で薦めるという話だった。彼は何故か日本に戻らず、又日本での個展の開催もせずにいた。理由はわからないが、それを説得するために話を持ち出して、既に一年近くなるという話だった。出立前に、百合から宿題を貰っていて、彼を説得出来るプランを考えては来たが、初めて会う作家だし、静一には確信はなかったが、たった一つ奇策?があった。それに賭ける他考えはなかった。
 眠る前に、唯にメールを送った。香炉が絶賛だったこと、明日セントラルパークに行くこと。そして映画『パッション・プレイ』に触発された書いた短編『少女と虹のエンジェル』をIpadから唯に送った。

 静一は時差もあったが、セントラルパークを早朝散歩したいと思っていたので、目覚ましは五時にセットしてあった。ラフなジンーズと長袖のTシャツに着替えて、小さなバッグにミネラルウーオターを入れ部屋を後にし、ストロベリー・フィルーズを目指して歩き出した。
フロントで三十分位と聞いていたので、道中色々なお店を丹念に視ながら歩き続けた。古びたCafeから珈琲の香りがして、一瞬立ち止まったが、我慢して歩き続けた。やがて広大なセントラルパークに入る小道を歩き続けていると、生命の息吹の祝福に包まれているような気持ちになった、「碧は良い」と呟いた。

 朝早くからセントラルパークには、べンチに座ってスケッチブックに向かっている学生?がいて、前を通り過ぎてゆく時に、ちらっと絵を視た。風景画のように視えるが、人物も描き込まれていた。風景画に人物を点在させるのは難しいと感じる静一には、とても凄い絵で、また優しい絵だと感じた。
そして、映画でもよく視るようにランニングしている人、早足で歩く人、なにやら太極拳のように静かにゆっくり軆󠄁を動かしている人などが、各々の居心地の良い場処で汗を流していた。

 静一はすれ違えば軽く会釈はするが、話しかけはしなかった。孤の世界に埋もれていたかったからだが・・・やっとストロベリーフィールズに着いた。ジョン・レノンの記念碑の前で静かに瞑想?をしている老人がいた。やはりジョン・レノンを敬愛する人は多い。音楽の力はほんとうに永遠だと思った。[imajin] の円形のモザイクには今日も花束が捧げられていた。その近場のベンチに座り、唯にメールを送ろうとした。

『今、ニューヨークのセントラルパークにいます。ジョンの円形のモザイクを視ながら打っています。多分制作に没頭し励んでいることだと想います。一週間は長いね・・・今日明日に懸案の事項がうまくいけば、早く帰れるかも知れないです。百合さんが三人でまた会いたいとおっしゃてました。 [imajin] のモザイク添付します。日本は夕方かな?昨日眠る前に送った短編小説の感想をお願いします』

 静一は歌の一首でも詠もうかなと想ったが、浮かんで来ず、もう一カ所行きたいところがあったので再び歩き出した。
それは、グレート・ローン(Great Lawn)という広大な芝生エリアで、時折コンサートの会場ともなる処だった。或日、偶然サイモンとガーファンクルのセントラルパークのチャリティーコンサートを視ることが出来て、三曲目に歌った『America』の韻律が何故か脳内を駆け巡っていた・・・歌詞の一部を覚えていて・・・それは

"Kathy, I'm lost," I said, though I knew she was sleeping
君が微睡んでいるのに僕は途方に暮れている 
"I'm empty and aching and I don't know why"
何故かわからないけど 僕は空虚で満たされない
Counting the cars on the New Jersey Turnpike
意味も無くニュージャージー高速道路の車を数えている
They've all come to look for America
僕達みんながAmericaを探しているんだ

このフレーズが浮かんできて、唯のことを切実に想った。傍に彼女がいない喪失が僕を苦しめていて、こゝろの裡で唯を探しているんだと・・・このセントラルパークで叫びたくなっていた。  

 その頃、唯は海を視ていた。
静一がニューヨークへ旅立つとその不在が、制作に没頭しても埋め切れないことを知って、急に海が視たくなり、敦賀まで行き、鄙びた港町の旅館に泊まって、朝の四時に船で水平線から昇る朝陽を視たいのでと、旅館に無理を言って船を用意して貰った。
 日の出は五時前で、船を出した漁師が此処が一番綺麗に視えると沖合で和船を停泊させて眼を細めていた。海からの日の出を視るなんて何年振りだろうと、仄かに紅くなり始めた海を凝視した。やはり海に昇る陽は、自然の偉大さをさり気なく誇っているように感じた。ついにのその光り輝く球体が全体を現した時、あまりの眩さに眼が眩んだ。

 海を視つめ続けながら『私達はどうなるのだろう?これから先何が起こっても、何があろうとも狼狽えないように確たる決意が必要だ』と唯はリュックから、秘かに自分を似せた素焼きの土偶を・・・荒ぶる魂を鎮める為に海に桔梗の花と共に投げ入れた。土偶は其程唯に似せた訳ではない、無人称ののっぺらなカタチに仕上げたものだったが、いざ鎮めてみると、それはまるで自身の葬送の為に、自分が送っているという奇妙な関係性に気づき・・・それは何故か笑いを誘った。『私は、こんなことで死ねない・・・少なくとも私はまだ自分の使命を果たしてはいない 何より彼との愛を成就させなくていけない、でなければ 私の世界は拓いてはいかない どうか荒ぶる魂よ これにて鎮まれ!』と祈念した。港の旅館に帰り、朝餉を済ませて港を出ようとしたら・・・九時半出発の新潟行きの船が停泊していた。 もっともっと海を視ていたいという欲求を鎮めることが出来ないことを知り、予定を変えて新潟へと客船に足を運んだ。ラウンジで紅茶を飲み始めて、静一のメールが届いていることに気づいた。そして短編小説『少女と虹のエンジェル』が添付されていることに気づいたが、読むのはあとにすることにした。約一二時間の船旅に少しこゝろが弾み、先頭の甲板近くに立って、出港を待ちわびた。
 銅鑼はなることなく客船は静かに滑り出した。 船首近くのデッキに立ち、帆先が海を割っていく白浪が涼しげに、また儚く視えた。でも沖合を進むにつれて、海の蒼が際立ち、三百六十度すべてが海しか視えないという感触は、天からこの船を視ているような錯覚に陥った・・・・・
でも、海の潮風は優しく包んでくれているので、あれこれ考えることもなく、長い時間・・・海を視続けている唯だった。

 夕日の沈む時間を計って、その前に食事をすませておきたかったので、食堂へ行き、悩んだ末にミックスピザと珈琲を注文した。ニューヨークの時間は朝の4時だ。彼は多分、まだ眠むっている・・・それとも起き出している? そして、思い出して静一の短編小説を読み出した。
                         その十三に続く

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