長編小説 『蓮 月』 その十一
菊月 残暑は厳しかったが、連続的に上陸した台風の御陰?で上旬には急速に秋の兆しが濃くなって来る日本を後にして、静一には百合と一週間ニューヨークに旅立予定日が迫っていた。其れまでの間、二人は週末に予定を入れず、交互に家に泊まってゆっくりした時間を 過ごしていた。互いに好きな音楽・映画を酒と肴で軽く酔いながら、話をした。
だが、不思議なことに互いに家族のことや、自身の生い立ち、教育、経験など・・・ 過去にまつわる話は一切しなかった。どちらかが言い出せば、何の屈託もなく話せた 筈だが・・・・・・
静一は、一八歳の大晦日の夜『天井桟敷の人々』と言うマルセル・カルネのフランス映画を視て、映画にのめりこんだ。以降βとVHS・DVDを合わせて一千本近い映画を字幕・ノーカットでダビングしていた。 そしてB級映画と言われる中から名作?を視つけるというのが隠れた趣味だった。
かねてから聞き及んだ唯のリビングには、壁面に40インチの液晶が取り付けられていて、西陣のタペストリーが、映画館の緞帳の様に編んだ紐を引くと現れるという懲りようだった。お母さんの初音も映画が好きで、東山のマンションは部屋が小さいからと言って、DVDを借りては、時折観に来るという話を聞いていた。ちなみに初音は時代劇映画の大ファンと聞いている。
その夜、唯の家に持ち込んだのは、先日<Passion feather>という言葉で盛りあがったので『パッション・プレイ』という映画で、落ちぶれたトランペッターが、闇世界のボスの情婦と知らずに寝たばかりに追われ、砂漠のサーカス一座に隠れていた。そこには羽根付き女と言われる跳べない天使がいた。紆余曲折があってラストシーン・・・最後の最後に愛する人を救って空に羽ばたき駆けていくというシーンで、唯は涙がとまらなかった。静一も何度も視ているが泣いた。
唯はそのシーンをカットバックして何度も視ては、また泣いた。
シネマの泣き上戸?と茶々を入れたくなったが我慢した。其程真剣に視ていたからだ。ありえないことが、あり得る・・・それは映画だからで済ませられない何かを感じたからに違いないと静一は想った。コレクションも少しは役立つことがあるのが嬉しかった。
暫く経って、やっと、OFFのスイッチになってグラスの残りの酒を飲み干した。唯の顔は輝いていた。
「明後日からニューヨークですね」「はい、秋から冬にかけての情報誌のニューヨーク便りに欠かせない仕事ですから」唯と離れる一週間のニューヨークはほんとうに不安だったが・・・こればかりは、重要な事案なので致しかたなかった。
唯も、最初は私も行くと言っていたが、個展の準備も遅れており、制作に没頭しなければならなかったので断念した。
出発の前日、唯は静一の家に泊まりに来て、旅立ちの手伝いの世話をしてくれた。
「何かお土産は要る?」首を振る唯。「毎日、写真付きでメール送るから」頷く唯。
「大丈夫だから・・・仕事だから・・・」返事をせずに視つめる唯。
抱き寄せ口づけを交わした。玄関先で、唯は「行ってらっしゃい、気をつけて」と声をかけた。 「ありがとう!行って来ます!」殊更に声を張り上げてキャリーケースを引きながら歩き出した静一は、何時までも後ろ姿に唯の視線を感じながら、振り向くと唯が駆けだしてきそうな気がして、あえて振り向かなかった。
こゝろの裡で願った・・・僕を冷たい人だなんて思わないでね・・・と。
出発日 午後一番のフライトに合わせて関西空港の喫茶で、静一は珈琲を飲みながら百合が来るのを待っていた。
待ち合わせ時間ジャストに黄色と青色の帽子から靴まで、二色だけでコーディネートした服装で、笑顔に満ちた百合が現れた。「さぁ、行きましょう」「はい」ニューヨークまでは最短で一七時間弱ほど、道中の会話を考えると少し気が重くなった。
そこで、ipadにここ数年のプレゼンの資料・撮りためた写真や諸々その他をセッテイングして、機内で検討するという煙幕を用意していたが、百合は、最初の2時間ばかりを、これからのギャラリー経営や方向性を様々な資料と共に、静一に読み聞かせ意見を求められた。 百合は百合で父親の七光りじゃないことを早急にカタチにしたいという大きな目標があったのだと、この日初めて知った。わかる範囲では直截に言い述べて、そうでないことは、百合のロジックに綻びがないかどうかを客観的に論じた。
百合は大変満足したらしく、白ワインを飲み干すと、熱を持ってしゃべり続けたからか、酔いも手伝い眠ってしまった。静一は、あぁ、寝顔ってこんなにも無防備なんだ・・・それだけリアルな場では弱みを見せずに、気を張っているんだ。百合の仕事も頑ばらなければと言い聞かせた。
そして呟く<自由時間?だ・・・さて唯と僕のことを考えよう>
結ばれることは、互いに信じ合っている。問題は<夢>が引き起こす啓示に対して、僕達は其れを示される儘に受け入れる他はないのだろうか?抗うとしたら何が出来て、何が出来ないのか?
不意に、夢の裡のことは夢で解決するしかないのではないかと思い立った。夢を避けるのではなく、夢の中で<道>を見つけるのだ。きっとそれがうまくいく方法で、これが解決のへの在り方だと確信した。
そして、リアルな問題の数々・・・仕事のこと・母のこと・唯との生活のこと・・・でも、リアルな事を掘り下げていくには、やはり夢の<啓示>から逃れることだ。
静一も堂々巡りの考えに疲れて、睡魔に襲われて、夢の心配もなく深く微睡んだ。
微睡みの裡では夢は出てこなかった。その代わり言葉が、空也上人が「南無阿弥陀仏」を唱えると口から六体の阿弥陀が出てくるよに・・・言葉が<空>で連なっていく幻像が視えた。
『人生は物語の集積で 物語は小さなエピソードの集積で エピソードは日々の想いで揺れ動き 風に舞う芥子粒のように定かで無く只々散って舞うことだけが“明らかなり”』
その<空>に連なる言葉が、一筋の光の仏のように視えて静一は安堵した。
そして呟く・・・仏様ありがとうございます どうか唯をお守り下さい・・・このことはホテルに着いたら唯にメールを送ろうと決めた。
ふと、飛行機のビジネスシートで寝そべる我に返り・・・隣の百合を視遣った。深く寝そべる百合のブルーとイエローのコーディネートに何故かルビーのペンダント・・・ルビーの石言葉は確か<勝利>・・・なるほど並々ならぬ意気込みの証しでもあるが、その紅は静一には危険を告げているようにも視えて落ち着かなくなった。気分転換にipadで好きな音楽をシャッフルして聴くことにした。最初の曲はエルトンジョンの『sorry seems to be the hardest word』だった。ごめんなさいって言葉は一番辛い言葉だよね・・・まさか、唯に謝らなければならないような事が起こる?いやいや考えすぎ・・・何もない・何も起こらない・大丈夫・大丈夫!数曲好きな曲を聴くと、それが子守唄のようになって再び微睡んでしまう静一だった。
ケネディ空港に着陸。現地時間は夕方の十六時半、予約していた車で北野ホテルへ向かう。ホテル迄は一時間は掛かると聞いていた。乗り込むとすぐに百合は「で、二人はうまくいっているの?」と話しかけた。必ず問い質すであろうと予期していたので、考えていた言葉を笑みを浮かべて話した。「あぁ、ありがとうございます。まずは、唯さんを紹介して頂いてありがとうございます。お家にも寄って、お母さんの初音さんともお会いしました。
唯さんは個展の準備で奮闘されています。僕も仕事が立て込んでいて、母の面倒をみているので、未だ二~三度しか会えないのですが・・・色んな話題でお話しています」
言外に今は特にお話することはありませんが・・・と言っているようなものだが・・・さてどうかな? と百合の言葉を待った。少し沈黙があり、「私に気つこぅって、紋切り型の差し障りの無い話せんでええんよ
・・・うまくいっているの?ってさ、それは男女の関係性を聞いているんだから、隠さなくてもいいし、何があっても驚かんよ・・・で、何処までいったん?」絶句し言葉を探すが出てこない、夢の話は荒唐無稽だし、今の今、二人が置かれている状況は話したくても話せない・・・ジリジリと冷や汗が出てくるが、言葉がでない。「啞になったんか?あんたは大阪生まれやのに、何か大阪ぽく無いところが好きやから、それに変に色んな発想ができるさかい付き合ってるけどな・・・はっきりせんのは、私は嫌いやねん・・・何処までいったん?もう寝たん?」さすがにそこまで言われては仕方なく言い放った「とても良い関係です。多分僕達・・・いや絶対に一緒になります。まだ口づけだけです」百合は笑った、嘲笑の嘲りではなく・・・姉が妹のことを心配するような慈愛の籠もった微笑みだった。「そう、其れは良かった・・・それが聞きたかったんや、紹介した甲斐があった・・・良かった・良かった・・・頑張りや!でもまた三人で会って話がしたいから、個展が終わったら連絡しぃや」「はい、必ず連絡入れます」 百合は満足そうに頷き・・・「で相談やけど、私にもいい人紹介して欲しい・・・仕事がらみの人間は何処か好かんね」「僕が思うに、百合さんに相応しい人は、絶対的包容力のある人、そして自分の世界を持っていて根を生やしている人・・・日本人より外人の方が良いような気がしますけど・・・的はずれてますか?
」「ゆうやんか・・・そしたらこれから外国への仕事は婚活を兼ねての出張で、その関係をコーディネート出来る人が必要やなぁ・・・其れが出来るのは静一さんあんたくらいや」「いや、僕は男女のことは奥手やから向いて無いと思いますけど・・・」「ふん、さっさと唯をものにしたくせに・・・ようゆうわ」「あぁ、それは偶然の重なりと成り行きで・・・」「なんや、二人で漫才してるみたいやなぁ・・・もう止めとこか・・・お疲れさん」百合は鞄から資料を出して読み出した。百合さんもなんとかしなければいけないのか・・・感謝が嘘でなければかたちを創ってあげなければいけないぁ・・・と思いつつ、少なくとも最初よりは気持ちが軽くなった。静一は百合の幸せって何だろうと考えたが、すぐに浮かぶ筈もなく、思考は惑星上の月のようにぽつんと放たれたものになった。 その十二に続く