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空について

 時折ケアの現場を離れると 何故とはなく・・・私は相手の立場の
気持ちを第一義的に考えて対応することが自然でなくなる

それは まだまだま~~だ私は自分本位の世界を考えているからに違いない

確かに 相手のことを考え続けていれば 自分のことで悩む暇などない

その時 私は<空>になりえている 慈愛の人となりえている

そう信じて この当たり前の倫理を実践しなければならない

なるほど 心を空にすれば この現実で起こる出来事はすべて駆け抜けていく現象の一つでしかない

現象:それは立ち現れては消えていく幻影で雲のようなもの

他者のリアリティ:当為と意志とプライドの三位一体のこだわりに過ぎ
         ないのではないか?

では この現象に立ち会った時 私はどうすればいい・・・すべてではないが あるものは鋭く切り込まれ腹立たしく感じてしまい・・・そのことで 現象は無にならずに葛藤する
その瞬間 その時の意識の立ち位置を何処に置けば良いのだろう

意識は=我執を相対化へと導くが もうひとつ奥へ・・・それを透明化
    しなければならないのではないか?

透明化すれば 揺さぶられることもなく只風景として視ることができる

現象→風景→それを眺める眼差し

視る=視つめるのはその世界の現象ではなく空の心の世界である

その時 慈愛の胞子に自らが包み込まれて 包容の意識だけが働く

そう、こゝろを動かすこと・働かすこと・・・・・・

空になれる 空になる 現実の世界に関わる時は空になろう

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