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メキシコでビックリした!?(カルチャーショック#1:学校の避難訓練)

さて、初投稿ということで自己紹介をしようかなと思ってプロフィールでは伝えてない私自身のことをこのカルチャーショック編で少しだけ言っていきたいなと思います!

私は日本人とメキシコ人との間に生まれた、いわいる日本人とメキシコ人のハーフです。生まれは日本ですが、幼いうちにメキシコに行って、6歳頃日本にまた帰って、中1終わりにメキシコに戻ったと私自身までこんがらがってしまうタイムラインですが、ともかく子供のころは日本にいて青春期になるころメキシコに来たと覚えて頂ければ結構です。

そんなメキシコに来たばかりの私はメキシコの市立学校に通うことになり、スペイン語もよく分からないままメキシコで学校生活をはじめました。そこで、今振り返ると面白くて笑ってしまうカルチャーショックのエピソードが色々とあったので皆さんにもお伝えして、メキシコに行く機会があったら、そこそこ役に立ったらいいなと思っています。

今日のエピソードでは、「学校の避難訓練」についてお話したいと思います。なぜ避難訓練が一番最初にカルチャーショックを起こしたのか不思議に思う方もおられるかと思いますが、私がそれくらいびっくりした、ショックだったエピソードなんです。

まずは、日本の学校の避難訓練をちょっと描いてみましょう。小学校では、机の下に隠れて机の脚を掴みながら少し待つ、頭を守るために防災頭巾をかぶり、教室をゆっくりと出て、校庭で避難するというのが常識でしょうか。「押さない・走らない・叫ばない」と先生からもそう指示されながら、階段を気を付けて降りた記憶も私はあります。

メキシコは、日本と同じく地震が多い国です。地盤はいい地域と悪い地域があるのでメキシコシティーの学校では必ず避難訓練を行っています。

そんなある日、次の授業を机で待っていた私はベルのような音が聞こえて、なんだと思ったら、教室にいた人みんなが教室を凄まじい素早さで出ていったのです!「カオス」と言ったらいいのでしょうか、ベルが鳴った瞬間、クラスの男の子たちは机があるにも関わらずジャンプして飛び越えて、女の子たちは叫びながら走って出て行った光景はまさに「カオス」としか言えないものでした。私は教室にポツンと一人残されて、私も出たほうがいいのかと考えている間にクラスの子がみんな教室に戻って来ました。そして、みんなは教室真ん中に並んで、両手を頭の上にのせました。

そこ頃のスペイン語はあやふやで聞いて少し理解出来ていても返事ができないというレベルでした。なので、クラスの子達に「Es un simulacro! (エス・ウン・シムラクロ)」と言われても、Simulacroという言葉は聞いたことなくて唖然としていました。なにがなんだか分からなかったので私もクラスの子達と教室の真ん中に並びました。その後、教室を出て校庭に並びました。その時、これは避難訓練なのかなとやっと思いました。校長先生も校庭で待機していたので、多分そうだろうと思いつつ、そうなのかそうではないのか分からないまま教室に戻されました。

「Simulacro(シムラクロ)」は、「シミュレーション」とニュアンスが近く、単に避難訓練という意味ではありません。もちろん、この言葉は訓練する、その際に備えようとする意味は持っています。

メキシコでも地震があるときはアラームが鳴ります。アラームが鳴ったら、この場合、学校なので先生たちの指示に従って教室を出ることになっているのですが、その時先生が教室にいなかったため生徒たちが混乱して出ていってしまったんです。そして、机の下に隠れるのではなく、建物の頑丈な部分を探し、そこで地震の動きが少し済んだところで校庭へ避難するんです。建物の頑丈な部分と言われてもピンとこないかもしれないのですが、地震があっても構造上耐える部分のことです。例えば、建物の柱、その柱に近い筋交いなどのことです。丁度、教室の天井には柱のようなものがあって、そこでまず並ぶことを指示されるのです。手を頭にのせるのも頭を守るためにしていることです。

カルチャーショックは、決して悪いものではありません。ただ慣れていないシーンにはじめて出くわす経験なだけで害をもたらすものではないのですが、このテーマについてはもっと詳しくお話したいと思っているのでこのエピソードはここで一区切りつけます。

ここまで読んで頂いきありがとうございます!また次回もメキシコでカルチャーショックが起こったエピソードを語りたいと思っています!

*投稿した写真は、私自身がDesiertos de los leonesで撮ったものです。



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