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『エール』最終回を見て感じたドラマの役割

○東京五輪パラに合わせたはずのドラマが…

今週でNHK連続テレビ小説『エール』が最終回を迎えた。私の日々の楽しみの一つは朝の連ドラを見ることで、このドラマも大部分は録画になったが全編を視聴することができた。この『エール』、そもそもは今年の東京オリンピック・パラリンピックに合わせて放映するはずのものだった。しかし、未曾有の新型コロナウイルスのパンデミックによって途中で撮影の中断が余儀なくされた。かつて朝の連ドラで放送日程が変更になったのは、私の記憶では2011年の東日本大震災が起きた当時の『てっぱん』で、この時から連ドラの放送は一週間ずれて今に至っている。

○『エール』が描いた“戦意高揚”とドラマの役割

ドラマの中で「エール」という言葉が登場するのは一回だけだ。主人公の古山裕一(古関裕而)が長崎を訪れて被爆した医師から「希望を持って生きる者にエールを贈ってください」という言葉をかけられる。その声は『長崎の鐘』という名曲になって多くの人々にエールを贈ることになる。さて、このドラマが当初の思惑通りに東京でオリンピック・パラリンピックが行われているときに放送されていたらどうだっただろうか。ドラマの中で古山は多くの戦時歌謡を手掛ける。当然のことながら、それは戦意高揚の国策のためのに利用され、多くの若者が戦地へと赴いた。そのことが古山自身を苦しめることになる。「五輪は国家行事だ」という声を耳にする、それに合わせて公共放送がドラマを作るのはいかがなものだろうか。

○『エール』は希望を与える最高のドラマ

私は幼い頃から朝の連ドラが大好きで、そのために学校を何度も遅刻した。1974年の『鳩子の海』の頃から毎日、連ドラを見ていた。その時代背景、良いことも悪いことも何もかもを映し出す鏡のようなドラマ、それが連ドラだった。『エール』は結果的に「ウィズコロナ」の時代を映し出す最高のドラマとなった。撮影が中断したこと、その間は再放送でつないだこと、そして再開して11月の末に最終回という異例の放送になったこと。何より鬱屈したコロナ禍で古関裕而の残した、まさに希望を与えてくれる楽曲の数々を私たちに伝えてくれたことは素晴らしいことだと思う。このドラマに携わったキャスト、スタッフ、すべての人々に心から感謝とエールを贈りたい。

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