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鬱病の私が"気づき"と"学び"から得たものを伝えたい


こんにちは。いずみです。
このタイトルにした理由は、記事を読んだ方が共感しながら参考にして人生の歩みの参考にしてくれたらと思ったから。

創作で病んだ私は、好きな作品も一時期トラウマになり創作の孤独感と向き合わなければならなかった。自業自得の出来事だったけど、適応障害から鬱病になるくらい精神疾患を患いました。でも今は大丈夫です。
自分の心と、しっかり向き合えたから。
少し長くなりますが、私の記事にお付き合い頂ければ幸いです。

1.内観の"気づき"。自分を見つめる(インナーチャイルド)

私は自分の性格にずっと嫌気がさしていました。
本心では『いつも前向き天真爛漫な女の子』でいたかった(29歳だけどね笑 心はずっと女の子( ơ ᴗ ơ )♡
でも、思えば私の内面はずっとグチャグチャのドロドロ。

幼少期からのいじめとか、家庭内の問題で、細かい事まで人が自分をどう思っているのか気にしていた。
そして周りに好かれるために、『弟と比較されたくなかった』『私はもっと愛されていたい』という自分自身の感情をずっと癒さず、無視をしていた。
その結果、抑圧されたエゴは膨れ上がり自分でも自分の心が分からなくなった。
幼少期に保持された記憶や心を例えたものを心理学やスピリチュアル用語では「インナーチャイルド(内なる自分)」という。

もう一人の自分の気持ちを「ネガティブなお前は黙っておけばいいんだよ」と耳を貸さず放置し続けていた。
自分のネガティブな気持ちをありのまま癒さず、他人のせいにする事で正当化していた。

その結果、溜め込んだ感情が爆発する出来事が起き、自責思考から希死念慮に苛まれた。

でも、周りは関係ない。
私が私自身で幼少期に押し込めた自分の気持ちに気づかず、思考パターンに気づかず、感情の原因を周りに求めて正当化しようとしただけだ。

ネガティブな気持ちも、ありのままで許されるべきなのだ。

これを知った時、どれだけ楽になっただろう。
心を病んでから教会に通い、ミサでもずっと罪の意識から解放されたい、もっと聖人になりたい、と祈っていたけれど。

人は赤ちゃんの時から色々な体験をする。
精神疾患だって環境によるもので、誰でもなりうるものなのだよ、と。
読者様も、ぜひ自分を癒してみてください。もう癒している方もいるかもしれない。

ありのままの自分を愛し、感情を許す。

繰り返すうちに、私は周りに原因を求めなくなっていた。

もっと早く知っていれば、今までの人生で人を傷つけなかったのに、という後悔はある。でも『今』私は気づけたんだ。
そして、ネガティブな体験と向き合って自分の感情を知り、同じように人に対して寛容になれたのだ。

いつも、このように心に聞いてあげる。
①何故その感情を抱いたの?
②その感情は100点中何点かな?
③過去と同じ感情パターンに気づいたら、自分のネガティブな感情を全て受容して、ありのまま認めてあげる。
④自分を繰り返し分析すると、人のせいにしなくなる(他者にネガティブ感情の原因を求めなくなる。感情に理由づけしなくても、ありのまま自己受容できるから。)

『アナと雪の女王』のエルサの歌でも、「ありのままで」とあるじゃないか。
そうだ、ありのままで良い。
怒りも悲しみも人が持つ当然の感情であって、ネガティブな感情を抱くから「私はだめだ」と思う必要はないのだ。

傷も人生の彩りで、その人にしかない体験。辛い傷を抑圧して無いものにする方が楽だけど、学ぶことでちょっと強くなれるんだ。
傷を追ったあなたは、優しくなれる。大丈夫。

2."学び"で得たもの(全ての人は愛されるべきである)

自分の心と向き合うために、心理学と精神医学の勉強をした。心=脳、脳が創り出す現実に誰もが苦しんでいるというメタ認知は大いに役立った。
精神医学は、益田先生の動画で勉強していた。
https://youtube.com/@masudatherapy?si=GxmLO2kTGBSAMail

仏教やキリスト教など、古来から人々が探求してきた心の在り方にも触れた。
特に仏教は、菊谷先生の動画で勉強していた。
https://youtube.com/@bybuddhism?si=N031As8CQlBo1aSE

自分を省みなければならず耳が痛くなることもあったが、"学び"が私を駆り立ててくれた。

精神医学で色々な精神疾患を学び、
精神疾患は環境によって誰でもなりうるもの
だと感じた。
誰でもなりうるものなのに、精神疾患だという理由で差別される社会が続いているのは残念なことである。

お釈迦様もキリストも、一貫して他者への平等と愛を説いていた。
自身のエゴを内観し、他者への慈愛をもつこと。
うん、確かにエゴの膨らみから慈愛は生まれない。生まれたとしても"仮初の慈愛"だ。
"優しさ"には、自己保身のための優しさと、相手を思う厳しい優しさがある。
私は、嫌われても厳しい優しさを向けられる人でありたいし、慈愛をもてる人でありたい。

そう考えながら近くの教会で祈りながら内観を続けてみた。朝の瞑想も続けていた。
その結果、日常生活で人の温かさをより意識するようになり、心の回復に繋がった。

他責思考だった自分が変われたのは、"学び"と"気づき"のおかげだと思う。

3.最後に

もし辛い状況にいる読者様がいるなら、まずあなたが生きていることに賛美を送りたい。
何も考えずにゆっくり休んで、すこしだけ余裕が出てきたら、心とゆっくり向き合ってみて。
あなたの心を一番よく分かってあげられるのは、あなたしかいないのだから。
ありのまま、自分を見つめていいのです。
でもそれを乗り越えた時、あなたは強くなっている。楽になっている。
私を信じてくれたら嬉しいな。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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