小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」44
第九章 大保原の戦い
四
一三五九年 正平一四年八月。
湿気のこもった熱が覆う中、筑後川を挟んで北朝、南朝両軍が対峙している。
筑後に入った武光以下南朝軍は高良山、柳坂、水縄山に四万の大軍を展開した。
本州から九州に入った洞院権大納言、竹林院三位中将、春日中納言、花山院四位少将などの公卿武士団もいれば、新田一族の岩松相模の守、瀬良田大膳太夫、田中弾正大弼、桃井佐京介、江田丹後の守、山名因幡の守など豪族たちが次々と集結してきている。
迎え撃つ形で味坂の荘に陣を構えた少弐頼尚を大将とする北朝勢は六万。
太宰筑後の守他の太宰一族、朝井但馬、筑後新左衛門、窪能登太郎、山井三郎、饗庭左衛門、相馬小太郎、木幡左近、西川兵庫の助、草壁六郎、牛糞刑部大輔などなどの武将たちだった。
これは数だけで言えば日本最大のいくさといわれた関ヶ原の戦いに匹敵するスケールだった。書き物によっては菊池勢、精鋭八千とある。
これは郎党までからなる専門的武士団の数と考えよう。
後の三万二千は駆り集められた浪士軍や野ぶせりたちが臨時雇いされていたり、百姓農民たちが純粋なものは郷土のため、そうでなければ略奪できる物資や奴隷調達のために参陣した数だ。それは北朝勢としても似たような状況だったろう。どれだけ戦力になるかは定かでない。いざとなれば逃散するものがほとんどかもしれない。
いずれにせよ、勢力のたかから言えば南朝側に勝ち目はない。
真夏の日差しが焼き尽くすその平野が嵐の前の静けさのように静まり返っている。
高良山(こうらさん)、標高三一二メートル。
筑後川(ちくごがわ)を前面にし、築、豊、肥後六か国のど真ん中に屹立している。
筑後川は蛇行して流れ、川筋は常に変動している。その筑後川、矢部川、喜瀬川、六角川などが上流から運ぶ堆積物が形成した九州最大の沖積平野が筑紫平野(つくしへいや)だ。
その高良山上に陣城(じんじろ)を構え、武光は城隆顕や赤星武貫、武尚や武義たち子飼いの武将たちに指示を出して全軍の体制を整えていく。
城隆顕は志願してきたり徴発されてきた非常勤戦闘要員、主には菊池の百姓たちだったが、それを編成して物資輸送隊や工兵隊を組織していた。
物資輸送隊は菊池の地元隊が徴収した軍需物資や食料を軍勢を追うようにして前線へ届けた。何度も行き来を重ねて兵糧、矢などの補給を続けることになる。手が空けば工兵隊に回された。工兵隊は幹部たちによる軍議の結果に従い、割り当てられた工作をする。
陣地の削平をし、簡易の掘立小屋を建て、必要な道路を整備して戦闘隊の行動を助けた。
滞陣が長引く場合は仮御殿を作ったり、用便所を作ったり、また溜まった用便を捨てに行ったり、水の確保のために井戸を掘ったりと、あらゆる下工作を受け持たされた。
陣地は杭が張り巡らされ、いくつもの廓に分けられ、兵舎が立てられた。
矢に対する防備の板が張られたり、かがり火の用意がなされた。
兵舎は四本の柱など贅沢で二本の柱に葦や板がかけられて雨露をしのいだ。
駆り出された百姓の兵士たちには間に合わず、大きな樹の下に枝をかけて宿営とした。
上級武士の宿舎には板で壁が張られ、棟梁クラスの兵舎は掘立小屋とはいえ、床も張られ、相応の居心地が確保された。
軍馬もあるじの階級によって扱いが変わり、露天につながれたままのものあれば、武光はもとより領主クラスの馬には上級武士並みの壁のある小屋があてがわれた。
そんな陣営が高良山上に広く展開され、下部の兵士たちは毎食煮炊きをして自炊した。
そうして指揮官たちからの下知を待つのだった。
ただ、百姓たちからなる雑兵の者たちの顔色が常とは違っている。
明るく、期待に満ちている。皆に勝ちたいという熱気があった。
このいくさばかりは仕方のない義務でなく、下々の者たちにある期待が満ちている。
筑後平野全域にわたり、熱気と共に殺気がゆっくりと充満していく。
武光の陣幕内に猿谷坊が姿を現した。
「筑紫坊が殺された!?惟澄殿にか!」
筑紫坊の死を報告した猿谷坊がうなだれて顔を上げられない。
「身共が筑紫坊の背後に控えて万が一に備えており申したが、惟澄様の技に後れを取り申した、ただちに惟澄様を殺そうとしましたが、武光様にとっての恩人であることを筑紫坊から聞かされており、勝手はできないと、つい控え申した」
筑紫坊の死にショックを受けた武光には言葉がない。金吾と呼んだ子供のころからずっと武光を補佐してくれた。いつか報いてやらねばと思っていたが、それを果たせぬまま永の別れとなってしまった。それも叔父貴と頼んだ惟澄の手にかけられてしまったとは!
「金吾」
と呟くも、今の武光に竹馬の友のために泣いてやるゆとりはない。
「されど、ご案じなく、あとは我らがそのまま引き継ぎ申す、鬼面党は菊池のために命を捨てまする、筑紫坊のためにもです」
筑紫坊のために手を合わせて冥福を祈った武光だが、すぐに惟澄の意向を想った。
「では、惟澄様は北朝側に立たれるというのじゃな」
「分かりませぬ」
「なに?」
「我らはその後も御船を立ち去らず、惟澄様の動静を探り、はっきり意向を掴んでからご報告に戻ろうと致しましたが、惟澄様はただ動かれませぬ」
「動かぬと?」
「阿蘇家の惟村は惟澄様の動きを警戒しつつも、軍勢を出す準備を整えており申す、むろん北朝勢としてでござりましょう」
「…惟村が動くのを、惟澄殿が制するのか否か、…それ次第で我が方の背後が…」
「惟澄様の意図が分かり申さぬ、…ふがいなき次第で、申し訳もござりませぬ」
猿谷坊が頭を下げ、武光は惟澄の真意を想った。
五分と五分か、と判断した。
惟澄がどちらに動くか、もはや考えてもせんなく、あてにはできないと割り切った。
背後から襲われたらそれはその時だと。
武光は頭を下げたままの猿谷坊をじっと見やった。
「…添い遂げて、落ち着いた暮らしをしたかったであろう」
猿谷坊がはっと顔を上げた。いつも頭巾の下に顔を隠しているが、武光は早くから猿谷坊が女であると見抜いており、金吾の特別な女であろうと察していた。
金吾の死を知らせに来た猿谷坊の動揺の様子から、二人がやはり深い仲であったことを確信した。猿谷坊は武光に悲しみを吐き出したそうにしたが、自分を抑えた。
そこへ旗本として武光直臣に配置された伊右衛門が入ってきた。
「菊池から延寿太郎殿がお見えですばいた」
延寿太郎は自ら車夫を使い、荷車を引いてやってきていた。
「間に合い申したかな」
延寿太郎が覆いを取り払うと、特別仕立ての鎧兜が表れた。
青色の縅(おどし)で飾られた鎧,兜、と草刷りだった。
もう一つは高貴な黄色の縅で飾られた鎧兜が陽を受けて輝いている。
黄金色(こがねいろ)は高貴の色で、その鎧兜は親王のためのものだ。
武光は何も言わず弓矢を取って、離れた位置に向かう。
皆が慌てて鎧から離れた。
強く引き絞り、狙って放った。
矢は激しい勢いでひょうと飛んだが、跳ね返された。
武光が呼んだ伊右衛門や弥兵衛たち武士ども一〇名が集まってきた。
「お呼びで?」
「あの鎧と草刷りを射よ」
と、青色に輝く鎧を指さした。
的として立て、武士たちを立たせて一斉に射撃させた。
すべての矢が跳ね返された。
数本が刺さったが、射抜くことはできなかった。
鎧を裏返して内側を覗いた武光だが、矢じりは確かに貫いていない。
延寿太郎が得意げに笑顔を見せ、武光がそれに歩み寄った。
武光が満面の笑みを浮かべ、延寿太郎の手を取った。
「よう間に合わせてくれた、礼はいずれたっぷりと」
「菊池がおおきゅうなれば、当然我が延寿も栄え申す」
「延寿太郎、一つは懐良様へお届けしてくれ、おぬし自身でのう」
五条頼元(七十一)が親王の陣幕内にやってくる。
その時、すでに延寿太郎製作の黄金の兜に黄金の縅の鎧と草刷りが飾られてある。
持仏を仮ごしらえの祭壇にしつらえ、守護観音に祈っている懐良親王だった。
親王も早二十九になり、白面ながら武将の風格を備えている。
そばでは押し黙った中院義定(六十五)がいくさ支度をして控えている。
七十歳となって老け込んだ頼元の表情には焦りといら立ちがある。
「再度申します、あなたが命を懸けるいくさではござりませぬ」
中院義定がちらと見やったが、言葉は発しない。
「宮様、どうかお考え直しくだされ、あなたがこのいくさの先頭に立つなど」
親王の軽はずみを押しとどめようとする頼元は負けいくさを予想している。
「万一敵につかまるようなことでもあれば、どのような屈辱の目にあわされまいことか」
「頼元、もう言うな」
腹をくくったように立ち上がる親王。
「…無理じゃよ、わしあってのいくさ、わしが命をかけぬでどうして兵どもに命をかけよといえる?」
「兵どもなど、宮様の高貴なお命の前には虫けらも同然!彼らは己の欲のために」
懐良がいら立って声を荒げる。
「このままではわしは人に使われて終わる、頼元、そなたにもな、…わしはこれを自分のいくさにしたい」
「馬鹿な!」
「いや、わしはもうお前の思う懐良ではないぞ、頼元、…死を賭して己の道を拾おうと決めた、…亡き父、後醍醐帝のためではない、…わしは皇統統一を果たす、…わし自身の使命としてじゃ、…やってみたい、…新しい御代をこの手で生み出してみたい」
頼元が愕然として懐良を見直した。
「此度ばかりはお前の言うことは聞けぬぞ」
頼元、親王の静かだが、断然たる気迫に言葉を失う。
かつて見たことのない強さをみなぎらせている親王だった。
「宮様、…あなたはそこまでお心を」
頼元は感動していた。喜びが込み上げてきて、中院義定を見返った。
中院義定が笑った。
「もはやわれらに何を言う必要もござらぬよ、頼元殿」
危険のただなかへ親王を送り出すことはためらわれたものの、頼元には懐良の成長が嬉しく、涙をあふれさせた。
親王の親離れならぬ自分離れを見て、五条頼元は自分の役目は終わったと感じた。
親王親衛隊の陣地には「金烏の御旗」が翻っている。
高良山の北西の尾根、標高百七十五メートルに築かれた吉見岳城。
吉見岳城は眼下に筑紫平野や筑後川を見渡せる絶好の位置取りにあった。
その陣へ武光、副将城隆顕、武隆の子武明、武信、木野武茂、赤星武貫、宇土高俊、などが集結して軍議となった。
少弐、島津、渋谷、草壁二万騎が大保原に本陣を置いた、と猿谷坊たちからの報告が上がる。
「少弐武藤、少弐直資を将として原田、秋月、高木、肥前の松浦党など二万騎が小郡付近の丘や沼地に散開布陣しており申す、大保原西北には即衛として太宰頼光、太宰頼泰を将とした手勢二万騎が、さらに福童原に五千騎が陣を敷いており申す、敵は六万を超えましょう」
広げられた即製の大地図に、城隆顕が猿谷坊の言葉に従い、書き込みを入れていく。
誰もが余計な口を挟まず、地図を見つめた。
鬼面党によれば、少弐頼尚は味坂の荘に本陣を構えているという。
「少弐に集中して進撃すべし、じゃな、総員で一気に」
岩松相模の守が言ったが、土地に詳しい菊池武義が反対論を述べた。
「そうはいき申さぬ、大保原一帯は丘陵や沼地が多く、護るに安く、攻めるに固い、少弐頼尚は敵ながら見事なことに底湿地の大原野を選んで迎え撃つ体制を敷いている、単なる突撃では相手の掌中に飛び込んでしまうだけでござるぞ」
両者の間には沼地が散在し、うかつに動けない。
「城隆顕、いかに?」
武光に問われて城隆顕が広げられた地図を指示して作戦を披露する。
「主力を味坂、先方軍を古飯、二森、福童原に進め、宮瀬を中心に八丁島、恋の段、草場、五郎丸に兵を配置、征西将軍の宮様の守護に万全を期し申す、ついで」
と言いかけた時、鬼面党の一人が入ってきて、猿谷坊に囁いた。
「どうした?」
猿谷坊が武光の前に進み出る。
「少弐頼尚が陣営を引きはろうたとの由」
「なに?」
一同がざわついた。
「党員が行方を捜しており申すが、何しろ敵地の奥のことゆえ、思うように動けず」
まさか、早々に逃げだしたわけではあるまい。
頼尚は本陣をくらませることで南朝側の作戦行動をかく乱するつもりなのだ、と武光は思った。こざかしいといえばこざかしい真似だが、討つべき敵の主将の位置が掴めないとなれば、自ずと作戦に支障が出る。武光は猿谷坊に、なんとしても頼尚の位置を掴め、と下知(げち)を下した。猿谷坊が合図し、鬼面党員たちが飛び出していく。
武光は懐良を見返った。
その視線を感じて懐良が笑みを返す。
武光は懐良が落ち着いていることを見て取り、安心した。
懐良が軍勢を率いて連戦し、目覚ましい実績を上げていることはもはや知れ渡っている。
その事実が南朝を支持する武将たちには大きな影響を与えている。
懐良は頼もしく、自分たちが命を懸けて働く際にそのシンボルとして奉ずるに足る存在であると思える。その懐良が陣中にあってものに動ずる気配なく、泰然としていることほど軍勢の安心感、求心力になることはない。それは武光にも言えた。
この軍には武光と懐良という二人の柱があるのだ。
少弐頼尚は軍勢を率いて、密かに自軍の陣営中を移動していく。
その馬に数人の白拍子や遊び女、祈祷の女たちが日傘をさして従っている。
女たちは事態の切迫が理解できないのか、今夜の宿はどこか、食事はどうなるのか、酒の準備が大変だの、好き勝手におしゃべりに興じている。
「旨いものが食いたいか、博多から届いたタイがある、今宵は酒盛りいたそうぞ」
女たちが喜んで嬌声を上げ、少弐頼尚も、扇子で自分を仰ぎながらのんきな風情だ。
「武光め、今頃わしの本陣が消えてうろたえておろうな、ははは、南軍共は硬直して動けぬようじゃ、怯えている証拠であろうよ、味方の軍勢はさらに結集しつつある、そもそも兵力の違いはいかんともなしがたかろう、勝ちは見えたも同然」
と、続く福将を勤める息子忠資(ただすけ)に言うが、女が割って入る。
「では殿様、今夜は前祝にわたくしが踊りましょう」
「おお、踊れ踊れ、持参の酒も、新しか樽を開けようわい」
「きゃあ、殿様、豪気!わらわ、飲みたか」
「わらわも!」
きゃははははと嬌声が上がる。
それを満足げに見やりながら、頼尚は忠資に言う。
「圧倒的な優位で敵を押し切る!菊池一族、今度こそ邪魔者を屠(ほふ)ってやるわ」
九州で圧倒的存在感を示し始めている武光が憎い頼尚だった。
「武光、…お前さえ倒してしまえば」
もはや倒したも同然という含み笑いを見せながら、頼尚は馬に揺られていく。
高良山の山容はその前方遥かに遠い。
蝉が鳴く。
「太平記」によれば、筑後川をはさんで両軍対峙の折、菊池側は少弐頼尚を辱めようとして、金銀で月日を打って付けた旗の蝉本に古浦城で少弐頼尚から差し出された起請文をつけて押し出したという。このような起請文を書いておきながら、今翻って菊池に弓を向けるとは、情けなき性根、武士の風上にも置けぬ有様、恥を知れ、と、あざ笑って叫んだらしい。
救援された少弐頼尚が菊池武光に対し、「子孫七代に至るまで、菊池には弓を引き矢を射ることあるべからず」と誓約した牛王宝印の入った護符の起請文を差し出したあれである。 事実なら当時としては面白い出来事だったろう。事実かもしれない。
だが大保原はだだっ広く、北朝勢は散らばって陣を構えており、情報も簡単には届かなかったろう。もしこういうことがあったとしても、少弐頼尚にまで報告されたかどうか。
されたとしても、性格上少弐頼尚は歯牙にもかけなかったのではなかろうか。
硬直した戦況の中で、菊池側の将士には多少の憂さ晴らしにはなったかもしれない。
《今回の登場人物》
〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。
〇五条頼氏
頼元の息子。
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。
〇延寿太郎
刀鍛冶の長者・延寿刀鍛冶の名工
〇少弐頼尚(しょうによりひさ)
父貞経の代から菊池一族の宿敵、二度と裏切らぬと起請文を出しながら再度裏切り、大保原の戦いでは敵側総大将となる。
〇猿谷坊(さるたにぼう)
筑紫坊の相方で、鬼面党の首領の座を引き継ぎ、武光の為に諜報活動にあたる。
〇伊右衛門
武光の家来