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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」64



第十二章   落日


九、

 
菊池軍本営では遠く望見して武政や武安が驚いている。
「信じられんばいた」
「おいたちは本当にいかんでよかか⁉」
彼方の北朝勢の陣営で騒ぎが起きているのが見て取れる。
武光と懐良はわずかな手勢で不意を突き、今川了俊の本営を襲撃した。
「本気で自分たちだけでやり負わせるつもりか!?」
いつの間にか来て覗いている賀ヶ丸と良成親王。
そして背後からのっそりと中院義定が出てきてともに眺めやった。
「やっぱり、あんお方はいくさ神じゃな」
微笑んでぼそりと言う中院義定だった。
「いくさ神…」
賀ヶ丸が伝説を目の当たりにしたように呟いた。
なるほどな、と感心する。
武光の行動を知らされていなかった武将たちは焦る。
「どぎゃんつもりでこげな真似を!?」
「総軍攻撃に打って出よ、棟梁と親王をお助けせよ!」
だが、武政が止めた。
「よか、やめておけ、…親父殿に任せておくばいた」
彼らは我々に攻撃を命じなかった、彼らだけで行きたかったのだ、その思いは我らには分らぬ、信じて待とう。と、武政は言った。万が一のことがあっても、自分は良成親王を奉じて戦いを続けよう。すでに勝敗を言えば勝ち目はない。だが、最後の瞬間まで、戦い続けることはできる。ただ投げなければよい。行く先が地獄でも構わない。
行くべきところまで行く。それが親父の教えだ、と武政は思った。
武政にはやっと武光が理解でき始めていた。
そして最後の瞬間に、まだ勝機はある!
それを武光は掴もうとしている。
武政の目がじっと眼下の今川陣営を見つめた。
 
颯天で今川了俊を追い回す武光の姿はまさに鬼神だった。
意識が飛びそうなほど消耗し、太刀を振り上げる力も残されてはいない。
それでも今川の者たちには鬼神に見えていた。
いくさ神。
それを目の当たりにした思いで呆然となるのは今川義範と今川頼秦だった。
慌てふためき這いまわって逃げる了俊をなぶるように追い回し笑う武光。
「や、やめてたもれ!頼む、武光殿!」
今川了俊が膝をついて拝むように命乞いをした。
それへ武光はあと一歩のところまで迫る!
それを必死に追い、太刀を振るう今川の手練れの衛士だった。
了俊へ振り下ろされた武光の太刀を衛士が跳ね上げた。
必殺の太刀で武光を狙い、武光に斬りかかる!
そこへ割って入ったのは懐良だった。
武光を守って懐良が死に物狂いで太刀を振るった。
今川頼秦も今川の将士たちも、まさか相手が牧の宮懐良であるとは思いもしなかったろう。懐良は吹っ切れたように暴れている。
進み出た頼秦は懐良と斬り結んだ。
懐良の腕は思うように上がらない。
次第に斬りこまれて下がり始めた。
武光はめまいがして落馬しかかる、毒のために弱った体が悲鳴を上げていた。
太刀は狙いを外れて了俊をとらえきれない。
その間にも敵が大勢を立て直し、包囲してくる。
鬼面党員たちが次々と斬り殺され始めた。
猿谷坊が、事態が限界に達したとして馬を引いて親王に迫り、叫ぶ。
「宮様、棟梁、もはや限界じゃ、逃れてくだされ!」
脱出路は鬼面党が確保している手はずだが、それも機を逃せば無理になる。
鬼面党員が必死に守るが、次第に打ち取られていく。
敵が迫りくる!
乱戦の中、次第に武光たち切込み隊は押し包まれ始めていた。
武光はめまいに襲われ、体が震え、次第に限界に達しつつあった。
颯天馬上でぐらりと傾いた武光に隙ができた。
「今じゃ!討て、討て!」
叫びながら武光に切りかかる義範は必死の形相だ。
その刃を割って入って棒で受け止めたのは猿谷坊だった。
「武光様、しっかり!」
義範に傷を負わせるが、背後から敵の将が切りかかった。
相手の太刀筋は鋭かった。
数度打ち合うが、棒をはねられた。
猿谷坊が斬られて倒れた。
「猿谷坊!」
「逃げて、棟梁」
懐良は今川頼秦に追い詰められているが、そこへ鬼面党員が駆けつけてきた。
声もなく懐良のカバーに入る鬼面党員たち。
「おのれ」
頼秦が攻撃されて退いた。
「騎乗くだされ!」
「うむ」
鬼面党員が引いてきた馬に乗りながら、親王が叫ぶ。
「もうよい、引き返そう、武光!」
それへも敵が襲い掛かる。
槍が伸び、太刀が斬りかかった。
鬼面党員たちが身をもってかばい、切り伏せられた。
「お立ち退きを!」
「!」
懐良の腕は上がらず、思うように太刀は使えない。親王は焦った。
古傷の痛みが懐良を襲って戦闘がままならない。
「お早く!」
義範と頼秦と斬り結びながら、鬼面党員が叫んだ。
親王は武光を促し逃げ帰ろうとする。
「奴は十分うろたえた、長居は無用だ!」
だが、武光は聞く耳を持たないようだ。
鬼神そのままに了俊をなぶりまわる武光は既にこの世の人とは見えない。
正気を失っているかもしれない。人ではなく、神になっているのかもしれない。
冷たく冴え渡り、無心の中に殺意だけが鋭く込められた瞳だった。
了俊は怯えおののき、人には奴を倒せないと呟く。
「いくさ神、…鬼神か⁉」
懐良が無理に武光の馬の轡を取って脱出にかかろうとする。
「武光、行こう!」
その手を抑えた武光の眼光が懐良を見据えた。
相手を懐良と認識し、武光の顔から厳しい殺意の色が消え、微笑みを浮かべた。
親王はただ茫然と武光のその笑顔を見つめる以外になかった。
武光が腰を抜かした了俊を見返り笑った。
「改めて総攻撃をかけて見参致す、この顔をば見おぼえて、しばし待たれるがよか!」
そう言い放って颯天のたずなを引いた。
笑って駆け去った武光。
それを騎馬の懐良が追った。
二人は鬼面党の用意しておいた脱出経路に駆け込んでいく。
その脱出経路は炎が何重にも楯となって今川の将士を食い止め、今川陣営の外れまで誘導する。その脱出路を武光、親王、二頭の馬が全速力で駆け抜けた。
鬼面党員たちは最後の一人までが残って敵の追撃を防いだ。
そして全滅した。
その時、すでに武光と懐良の姿はない。
残されてがくがく震えながら、腰を抜かしている今川了俊だった。
「お怪我はないか!?」
義範と今川頼秦が今川了俊に駆け寄った。
小便を漏らしていた。歯の根が合わず、言葉は出ない。
「な、なんという…!」
 
武光と親王は高良山本営に無事に駆け戻った。
大手門が開かれ、二騎は迎え入れられた。
追跡してくるものはない。
「ご無事か!お怪我はござらぬか⁉」
駆け寄る武政、良氏、良成親王に武光は大きく笑って見せた。
「いんやー、近頃なかごつ面白かったばいた」
武光は興奮しているのか、自分でしっかり颯天を降りた。
懐良は素早く馬を降りて武光を介助しようとするが、武光は手で制した。
「討てましたか!?今川了俊を!」
「あはは、惜しかったわい」
結果を期待していた全員がその一言で落胆した。
やはりことはそう甘くはなかった。情勢に変わりはない。
武光は平静を装い、笑いながら陣屋へ引き上げる。
颯天は若い衛士に任せた。もはや颯天の世話をする余力はない。
鬼面党員たちが一人も続いていないことに武政たちは茫然となった。
武光の行動は虚しい失敗だったのか。
「あっぱれ、敵のただなかで暴れてきたとは、あっぱれじゃ!」
中院義定が上機嫌にもろ手を挙げて褒めたたえた。
「今川了俊め、肝を冷やしたでござろう、武光殿、お見事!牧の宮様も、お手柄でござった、南朝の意気や天を衝くべし、愉快じゃわい!」
その言葉が場に明るい視点をもたらした。
大勢の将士が集まってきていた。全員が興奮し始めた。
「そうですばい、こいはすごかこつじゃ!」
誰もの度肝を抜く快挙といえた。圧倒的な軍勢のただなかに乗り込んで、敵の総大将を討つ寸前までいったのだ。討てはしなかったが、大いに敵をうろたえさせ、おびえさせた。
「我らの意地を見せてやりなはったな!」
「棟梁!ようやんなはったばい!」
「さすがは我らがいくさ神じゃ!」
「棟梁ある限り我らは負けぬ!」
「菊池武光ある限り、のう!」
「おう!」
全軍の士気がこれ以上なく上がっていく。
興奮は伝幡して高良山の全将士が雄たけびを上げ始めた。
武政と武安が目を見かわし、笑顔となっていった。
この窮地に全軍の士気が上がることは願ってもない支えとなる。
ありえない奇跡といえた。それを武光が呼び込んだのだ。
まさにいくさ神、と思った。
おうおうと高良山自体が雄たけびを上げてどよめくような山鳴りとなった。
武光は笑顔を向けて手を振り、陣営奥の自室に向かった。
見送る颯天が鼻ぶるいした。
部屋へ引き上げていく武光を、やえがそっと伺った。
 


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。
 
〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。
 
〇菊池武安
征西府幹部。
 
〇賀ヶ丸(ががまる)
武政の子で武光の孫。のちに菊池武朝となって活躍する。
 
〇良成親王(よしなりしんのう)
後小松天皇の皇子で、九州が南朝最後の希望となって新たな征西将軍として派遣され、懐良親王の後を継ぐ予定の幼い皇子。
 
〇やえ
流人から野伏せりになった一家の娘。大保原の戦いに巻き込まれ、懐良親王を救ったことから従者に取り上げられ、一身に親王を信奉、その度が過ぎて親王と武光の葛藤を見て勘違いし、武光を狙う。
 
〇今川了俊
北朝側から征西府攻略の切り札として派遣されたラスボス、最後の切り札。貴族かぶれの文人でありながら人を操るすべにたけた鎮西探題。
 
〇今川義範
今川了俊の息子の武将。
 
〇今川頼奏
今川了俊の弟の武将。
 
〇猿谷坊(さるたにぼう)
筑紫坊の相方で、鬼面党の首領の座を引き継ぎ、武光の為に諜報活動にあたる。
 




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