「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」43
第九章 大保原の戦い
三、
少弐に合力して宮方を攻めるため、大友軍五千騎が日向を回り込んで肥後に入り、北上してきた。この時点で阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)本家は動かない。惟時以来の優柔不断で、 惟村は北朝勢に味方するといいながらも、この期に及んでまだ決断を下しかねているらしい。そんないきさつから、甲佐方面の戦況の鍵は恵良惟澄(えらこれすみ・四十八)が握ることになった。迫る大友勢に対し、合力するのか敵対するのか。武光は南朝軍への合力を期待していたが、確信は持てなかった。賭けだった。
南方から迫ってきて、大友勢はまず御船城へ進軍した。
大軍でひた押しし、味方せよとの圧力によるメッセージを発したつもりらしい。
既に筑紫坊を使った武光から連絡済みで、惟澄は心得ている。
惟澄は全軍を率いて早くも御船城を出て姿をくらませていた。行方が知れない。惟澄は大友勢の進撃に恐れをなしたものだろうか。
そのあとに御船城に迫った大友軍は、御船城が空なのに驚いたが、自分たち大軍に恐れをなして逃げ出したのかと安心し、御船城を占拠した。
幸先よく、自軍無傷のままに城を横領して、大友勢は浮かれ立った。
ここを根城に北上して菊池の征西府を叩く、そんな計画が大友氏時の頭に浮かんだ。
そんな折、御船城前に突然百騎の兵士が現れて城内の大友勢を囃し立てた。
「空の城を奪ってめでたいか、めでたいのはおまんらのおつむじゃ」
「おまんらになぞ肥後の侍を一人でも討てやせぬわ!」
「くやしかったらかかってこんかあ!」
内河、宇土らの武将の手勢だった。まるで舐め切ったように城の前面でふざけ回られて大友勢はいきりたった。たかが百騎程度の軍勢に侮られてたまるかと、大友勢は主将から号令をかけられ城から押し出して襲い掛かり、これのせん滅を図った。
すると内河、宇土の軍勢はたちまち一斉に逃げ散り、大友勢はかさにかかって追撃した。
大友勢は兵を出しすぎた。内河、宇土の兵士たちはばらばらに逃げると見せかけながらも甲佐城近くへ敵を誘導し、そのまま緑川付近で姿を消した。
大友勢はそこが甲佐城のテリトリーであることに最初気づかなかったが、甲佐城の大手門が開き、惟澄の軍勢が押し出してきて、慌てた。
二千の惟澄の軍勢が襲いかかり、同時に背後から逃げたはずの内河、宇土の勢力が戻ってきて挟み撃ちにした。この時は百騎程度ではない、千騎に増えていた。
大友軍を内河、宇土軍が両側面から襲い掛かって大混乱に陥れた。
惟澄の軍勢はうろたえた大友勢をさんざんに打ち破り、蹴散らした。
その間に手薄になった御船城も簡単に奪回され、大友勢は寄る辺を失った。
はぐれオオカミ、恵良惟澄の本領発揮だった。
大友軍はこの敗戦で逃げ帰り、結果、後の決戦には参加せず、北朝軍の勢いはその分そがれた。これは恵良惟澄からの宮方への援護射撃となった。この戦いは後に南肥後合戦と呼ばれた。惟澄はそのまま御船、甲佐に軍勢を留め置き、南方への堅めとした。
少弐頼尚(しょうによりひさ)は大友軍の敗退に衝撃を受けた。
「大友氏時のばかめ!恵良惟澄ごときに翻弄されて、わしの作戦が台無しではないか!」
歯噛みして地団太を踏んだ。
頼尚の作戦として、征西府挟み撃ちは最大の仕掛けのつもりだったが無残な結果だった。
ただ、これより前に頼尚は足利幕府へも作戦を上申しており、九州を完全に掌握するため、決戦を挑み申す、と大見栄を切っていた。
そのため、喜んだ足利幕府は細川繁氏を下向させて味方させると通達してきた。
頼尚はその報があって大いに期待したが、繁氏は讃岐で突然不測の病魔に倒れて急死した。これにも衝撃を受けた頼尚で、大友の敗退と共に二重の打撃だった。
ところがその後、足利幕府の命により北朝に味方するという各地の豪族や九州入りした軍勢が急速に膨らんでいって、頼尚は励まされた。
「やれる、わしにはやれる、菊池武光、お前ごときが少弐の邪魔をするなぞ、片腹痛いわ、此度こそぬしの息の根を止めてやるわい、分を思い知らせてくれる!」
頼尚は全員に檄文を放ち、直ちに築後に進発するよう下知し、味方の諸将に筑後で合流するよう要請をかけた。
武光は颯天の体に胸掛け、尻掛けとして人の鎧の作りを応用した馬用の特製の鎧を用意した。颯天も理解しているかのごとく、その鎧を受け入れて着せ掛ける武光に身を委ねている。颯天の目を見つめ、此度は我ら生きては帰れぬかもしれぬ、それでも進むことをわしは選ぶ、共に来てくれるか、と問いかけた。
颯天の目がじっと武光を見返した。
颯天もはや二十歳近い年齢となり、壮年期を終わりかけている。
かつてのような躍動的活躍は期待できそうもないと思ったが、武光はこの大いくさは颯天と共に駆け抜けたいと思った。どちらも生きては帰れぬかもしれないが、人生には賭け時があると思った。思いは同じだと、颯天の目が武光に語り掛ける。
颯天にまたがり見返ると、菊池郡から出撃する軍勢数千名が背後に控えている。
御殿前の武者だまりには懐良の軍勢がいる。
高瀬村と正観寺村の間の広大な広場に城隆顕の軍勢がおり、赤星武貫の軍勢も一塊でいる。西郷勢や出田、水次の軍勢はそれぞれの地元から出撃することになっている。
武光が合図を出し、軍勢が進発していく。
それを取り巻いた女子供や百姓衆が万歳を叫び始めた。
「武光様っ!」
「親王様―っ!」
「きっと勝ってねえ!」
「まってるう!」
中には感極まって泣き出す女もいる。
武光は軍勢を袈裟尾(けさお)方面から台(うてな)台地に進め、山鹿辺りから山地のルートを抜けて筑紫を目指すつもりだ。途中で南朝方諸族と続々合流する予定となっている。
颯天(はやて)を進めながら、武光は重大な懸念に思いをはせる。
恵良惟澄が阿蘇を動員して南朝側として立てるか、武光には読み切れていない。大友勢を打ち破って追い散らしてくれたことは大きな功績だった。
まずこれで引け目なく北朝勢に向かえる。だが、その後、筑後での合流要請に対して、惟澄は返答を与えてくれていない。実際惟澄は御船を動かない。
惟澄が味方してくれれば勝機は大いにある。
だが、阿蘇大宮司が北朝側に立てば、菊池には大いなる脅威だ。
背後を突かれかねない。武光や征西府を知り抜いた惟澄が阿蘇家を率いて敵側に立てば、征西府にとっては命取りになりかねない最大の脅威となろう。
勝敗を左右する一大事だ。最悪の場合、叔父と頼んだ惟澄と戦わねばならぬ。
武光が指笛をふいた。
見送りの衆の中から山伏姿の筑紫坊が進み出てきて颯天の脇にぴたりと身を寄せた。
武光は懐から書見を取り出した。
筑紫坊に密書を託し、惟澄に会えと命を下した。
「分かるな」
なんとしてでも阿蘇家をこちらに味方させよ!と、目で言っている。
筑紫坊はうなずき、たちまち人波に姿を消した。
阿蘇大宮司家、瀟洒な浜御殿の一角で惟村が呼びつけた惟澄に対峙している。
長い間じっと座って杯を傾けながら、二人は言葉を発しない。
惟村がやっと重い口を開いた。
「親父殿、…お呼びたてして相すまぬが、おいは決め申した」
「なにを?」
「阿蘇大宮司家は少弐頼尚の合力要請にこたえ申す」
「左様か」
惟村がいら立って詰め寄る。
「左様かではなか、…親父殿にも共に働いてもらわねばならぬ」
「なぜ?」
「知れたこと!…親父殿の手勢は阿蘇大宮司家の半数近く、親父殿が別な動きをするというのでは、阿蘇大宮司家は分かれ申す、勢力が半分では武功を上げられぬわ」
「なぜ半分では武功を上げられぬ?」
「おいは親父殿といくさをしとうはなか、阿蘇家の者同士で殺し合うなぞ愚の骨頂じゃ!よかか、仮に九州で南朝が威を張れたとしても、全国で見れば天下は足利のもの、南朝は滅ぶ、利はなか、へそ曲がりはたいがいにして、本家に合力してくだされ!この通りじゃ!今阿蘇家が総力で当たれば、北朝が勝てる、足利に恩を売れるのじゃ」
惟村が頭を下げた。
「…惟村、阿蘇家はお前が思うように采配すればよか、…わしはわしの行く道を行くだけんこつ」
「親父殿!」
惟澄が部屋の周囲に鋭い目を向ける。
「…言うことを聞かねば、命はない、…か?」
部屋の外四方には太刀に手をかけた侍たちがひしひしと迫っている。
惟澄の返答次第では惟村が合図を出すことになっており、惟澄を打ち取る手はずだった。
「親父殿、…頼むばい」
惟村が泣きそうな顔で再び頭を下げた。父を殺すことにはやはり抵抗があるのだ。
武士たちが殺気を充満させ、惟澄はじっと座り続けている。
惟澄は御船の城に帰着した。
館の奥の間に入って体を投げ出した。
結局惟澄は返事をせず、惟村も合図を出さなかった。
阿蘇大宮司家は膠着状態のまま、問題が持ち越された。
惟澄にも迷いがある。何しろ南朝方には金も勢力もない。
それなのに惟澄が南朝方に立つのは一つにはへそ曲がりだからだった。
嫌いだった足利尊氏はすでに亡く、南朝方に無理に立つ必要はない。だが、損得でつく側を簡単に変えてしまうのは面白くなかった。劣勢の方に味方した方が気分がいいし、立てた手柄にも重みが出る。もう一つの理由は武光の存在だった。
同じ気分を共有できる武光には同志的な親しみを感じている。幼いころから懐いてくれて可愛い相手だった。息子の惟村よりも通じ合えている。
その時、庭の植え込みに人の気配を感じた。
「筑紫坊じゃろ」
惟澄が縁先に出ると、筑紫坊が現れてきた。
「武光様からの文を」
筑紫坊が跪(ひざまず)いて文を差し出し、惟澄が受け取る。
内容は読まずとも分かっていた。阿蘇大宮司家を一つにまとめ、筑紫のいくさに参戦してくれというのだろう。最悪は手勢を率いるだけでも良い、南朝として立ってくれというのだ。
筑紫坊が惟澄の顔色をうかがいながら言う。
「決戦近し、惟澄さまの合力が必要でござる」
「それにはわしが阿蘇家を継ぐしかない、じゃがのう…」
惟澄はため息をついた。
阿蘇家全軍を南朝として動かすには惟村を暗殺するしかあるまい、と感じている惟澄。
だが、息子と殺し合いの対決をするには抵抗があり、そもそもそれでは阿蘇家は惟澄に反発、まとめきれまい。惟澄の目がかつてないほど暗い光を宿した。
筑紫坊は惟澄の腹が読めない。
(…まさか、敵に回られる気では?)
筑紫坊は武光の焦りを誰より感じており、その負荷を少しでも減じてやりたいと思っていた。万が一惟澄が北朝に回るくらいなら、今、この場で惟澄を!
そう考えた筑紫坊に殺気がこぼれ出て、それを惟澄が感じ取った。
惟澄と筑紫坊の間の空間に、にわかに緊迫がみなぎった。
殺気の充満する中、二人は全身の感覚で相手の出方に集中した。
白熱した二人に瞬間機が熟し、筑紫坊が身を乗り出しながら腰の山刀に手をかけた。
筑紫坊が抜くより早く惟澄の左手が伸びて筑紫坊の手を抑え、刀を抜かせぬようにしつつ、右手がおのれの短刀を抜いて筑紫坊の喉元に突き立てた。そのすべてが一瞬だった。
同時に表の樹上から手裏剣が投げられた。惟澄は筑紫坊の体を盾にしてかわし、城内に叫ぶ。
「曲者じゃ!出会え!」
樹上の何者かは飛んで逃げ去り、その直後に惟澄配下の侍たちが飛び込んできた。
「なんごつでござりますか⁉」
「おお、こやつは!?」
惟澄は筑紫坊の遺体を見下ろし、やりきれぬため息をついた。
「死なんでもよかのに、…馬鹿なやつたい」
《今回の登場人物》
〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
〇恵良惟澄(えらこれすみ)
阿蘇大宮司家の庶子として阿蘇家異端の立場に立ち、領地が隣り合った武光との絆に生きる道を探そうとするが、阿蘇家のため、武光に最後まで同行することを果たしえず終わる。
〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。
〇阿蘇惟村(あそこれむら)
阿蘇家の後継者。惟澄の息子だが、考えが合わず、惟澄と対立を続ける。
〇少弐頼尚(しょうによりひさ)
菊地武光の宿敵。大保原の戦いでは北朝軍の総大将を務める。