小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」37
第八章 宿敵
一、
第三勢力は結局、菊池一族にとっては大きな脅威とはならなかった。
武光と懐良親王は筑後へ出撃し、直冬(ただふゆ)攻撃の機を狙った。
この間に直冬方が反対に征西府のおひざ元である菊池を伺い、攻め込んできた。久々に菊池が攻め込まれ、領地が荒らされる事態となった。
しかしこれは致命傷には至らず、武光の築いた惣構えの堅固さを証明するいくさとなった。菊池の何重にも張り巡らされた防衛ラインは見事に敵を撃退していた。
その後、直冬の義理の父である直義が尊氏によって鎌倉に攻め滅ぼされてしまう事態が起きて、情勢がまた変わった。直義という後ろ盾を失った直冬には痛手であり、同時に尊氏が直冬を敵対視している、という事実が公になり、直冬を支持した九州の武士団が態度を翻した。尊氏に見限られ、孤立した直冬に味方することには利がない、とはっきりしたからだ。直冬方についた武士団が次々に離反し、武光に率いられた征西府はここぞとばかり勇み立った。足利直冬と少弐一族が拠る大宰府攻撃が計画された。
呼応する南軍諸族たちとの合同軍が虎視眈々と狙った。
その勢いに押され、武光たちが大宰府攻撃を実施するまでもなく、ついに足利直冬は九州を脱出した。落ちていった先は中国地方だった。
かくして第三の勢力は失速し、九州には再び北朝と南朝が残った。
その一方で、武光の農業振興策、貿易システムの設計、それらの功が上がり始め、菊池には多大な富が生み出され始めていた。とはいえ、まだ倭寇(わこう)の利益はもたらされておらず、出費がかさんでいた。何しろ惣構えの構築、本城移転、五山十刹の制度発足、城下町整備、深川港の整備など、壮大な事業に莫大な金が消費されていた。
南朝に下る部族も増え、土地や褒賞(ほうしょう)をたっぷり与えなければならない。
頼みの綱はひとえに海での交易による表と裏の利益だった。
北朝側からは密貿易とされたが、正々堂々たる交易をプロデュースして今の貨幣価値なら数十億円にも上る莫大な利益が見込まれている。それを繰り返せば毎回の利益が積み重なっていこう。中でも最大の利となる予定なのは海賊行為による利潤だった。
とはいえ、その利がいつ懐を潤してくれるのかだ。
実際にその利が上がるまで、持ちこたえなければならない。
今は支払い分の借り入れや据え置きでしのいでいるが、その間いくさで勝ち続けなければ商人どもを抑え込んではおけない。世は敗者に甘くない。いくさに勝ち続けること。
武光にはその十字架も課せられている。
そんな状況の中、武光と延寿太郎(えんじゅたろう)が延寿鍛冶屋敷で量産計画を練っている。脇には菊池武澄と城隆顕(じょうたかあき)、赤星武貫も控えている。
「で、槍でござりますが」
都から来て菊池に土着した刀鍛冶の末は、今は職人の面影はなく、刀剣産業の経営者だった。その貫禄も重々しく、業師(わざし)たちが刃物を打つ工房内で試作の品を武光に提示した。示されたのは槍先だった。
「身幅狭く、内ぞり気味にして、鵜の首作りとなし、切っ先を強く打ってこう、すなわち刺突に効果を上げまするので、こちらは内ぞり気味の無そりの短刀を鵜の首作りにて、六寸から八寸、かく工夫をしてみ申した、いかがでござりましょう?」
武光が両方を受け取って差し込んでいる陽光にかざしてみる。
「こいを量産できるのじゃな?」
「はい、我が工房の業師どもであれば、問題なく」
延寿太郎とは代々の当主の名前で、延寿一族は刀剣鍛錬の技をもって作刀から拵えや柄、つばまでのすべてをプロデュースするお大尽だ。配下には数十人の刃物師から数百人の鞘師、柄職人や雑役夫を養い、引きも切らない菊池の軍需物資の需要に応えている。
「良う工夫した、鉄の使用量が太刀や薙刀(なぎなた)に比べ、極端に減らせるでな、槍を実践的に使えればこれにこしたこつはなか、菊池では砂鉄が取れるとはいえ、この先どれほど採れるか定かでない、これなら量産もでき、心得のない雑兵にも扱えようわい、延寿太郎、褒めてやるばいた」
武光と延寿太郎が笑い合う。
かつて鎌倉にいた足利尊氏を攻めるために編成された新田義定軍に組み込まれて箱根に戦った菊池武重は、敵三千の圧倒的不利な状況の中、襲い掛かってくる敵兵に対し、とっさの判断で伐採した竹の先に短刀をくくりつけて長得物とし、敵を崩して勝機を得た。
当時槍は流行らなくなって誰も使うものがいなかったが、低い位置にあって迫りくる馬上の敵に圧倒的に有効な攻撃手段となったいわば竹やり。
その槍による徒歩(かち)部隊を作ろうというのが武光のアイデアだった。
長短や重さを均等にし、大量生産を可能とする。
武士の武技力量によらず、普段農耕している百姓のにわか兵士に使わせようというのだ。
武光の工夫以降、「菊池千本槍」の武功譚が菊池の戦史を彩ることになる。
武光は矢にも同じ工夫を求め、軍事訓練をしておらず、武芸のできない百姓の兵士にも扱えるようにすることを狙っている。こうした工夫の先に戦国期となって騎馬隊、足軽隊、槍隊、工兵隊などの軍隊組織が生まれてくるようになる。
赤星武貫(あかぼしたけつら)が柄までつけられた試作品の槍を持って振るう。
「おう、軽か、おいには物足りんが、こいなら非力のもんでも片手でも扱えて、刺突力があろうわい、鎧でも突き通せる、のう」
と城隆顕に突き出した。
城隆顕が受け取り、早いスピードで振り回してぴたりと構えた。
「うむ、柄を短くして扱いやすくすれば、徒歩武者が騎乗の武者を狙うには最適じゃ」
「それよ、徒歩武者、雑兵どもに持たせよう、部隊を作れば大きな力となるばい」
武澄が城隆顕と赤星武貫にいう。
「戦術を工夫することじゃな、騎馬武者に徒歩武者が付いて回る今の軍建ての構成では有効に使えまい、しかし、となれば家についた兵ではなく、何か別な兵のまとめ方が必要になろう、そこをどうするか…」
武光はもう試作品の矢を手にさまざまな角度から眺め入っている。
「矢も同じよ、同じ規格でやすう上げることで、まとめて売りにも出せようわい」
この武器開発、武光にはいずれ軍需物資としての輸出が狙いになっている。
「宗英顕の線ですな」
武澄が言うのは宗英顕との打ち合わせの中から、主に東南アジア方面に輸出できる見込みが立ってきたことだ。日本刀の切れ味は刃物が洗練されていない地域では革新的な武器となる。それを槍や弓矢でも実現し、海外への輸出品とし、新たな財源にしようというのだった。城隆顕は武光をじっと見つめた。
武光邸での恒例の飲み会で、いつものようにバカ騒ぎが繰り広げられている。
武光を真ん中に、太郎や伊右衛門、弥兵衛たちが一気飲みの比べをしている。
赤星武貫はしばしば腕相撲で武光に挑み、毎度ねじ伏せた。
「わはははは、棟梁、ご無礼」
「おのれ武貫、酒で来い!」
悔しがった武光は飲み比べを挑んで意識をなくすまで盃を下ろさない。
二人が並んで庭へげろげろ酒を吐くさまは皆の爆笑をさらった。
もはや漫才コンビのような掛け合いが板についてしまっている。
赤星武貫は酔い覚ましに座の奥へ這ってきて身体を投げ出した。
その片隅の席で静かに盃を運ぶ城隆顕が何やら一人でほくそ笑んでいるのに赤星武貫が気づいた。酔眼朦朧としながらもどっかと城隆顕の隣りへ座り込んだ。
「何を一人でにやつく?いやらしかやつじゃのう」
「いやらしいか?…ふふ、つい色々頭に浮かんでのう」
「どこかの娘を見初めたか?それとも後家か?」
「ふふふ、菊池武光という娘じゃよ」
「あ?」
向こうで太郎たちとバカ騒ぎする武光を見返って、フンと赤星武貫が苦く吐き出す。
「ぬしにその気があったつかいの?…じゃが、よりによって武光様とは、そいは趣味が悪かろう、見目はよかこつはよかじゃが、おいなら親王さまの方が」
「宮様に対し奉り、不敬なことを言うな!馬鹿、そげな意味ではないわい」
「ならどげんな意味かい?」
「おいは近頃夢を見るのよ、棟梁の行く先の」
「棟梁の行く先?」
「棟梁はいくさの面でばかり評価されておるが、武光殿のやったこつを見てみよ、本城を移転させ、惣構えを築き、深川の湊を整備、博多の宗長者と結んで航路を開こうとされておる、卸の商人に農産物をさばかせ、菊池は見違えるように栄え始めておるわ」
「あ、まあ、確かにな」
赤星武貫は根っからの武人で、目の前で城隆顕が言ったとおりの変化が起きていても、ではだからどうしたという意味合いには気づけないでいる。
その不得要領な表情を見て城隆顕が笑った。
「棟梁は武人である以上に政(まつりごと)じょうずなのじゃよ、…菊池はまとまる、…まとまったうえに」
と、何事かを思い巡らせてある種の緊張、同時に興奮を覗かせた。
常に冷静沈着な城隆顕にしては珍しい表情で、赤星武貫は驚いている。
「うえに、なんかい?」
城隆顕が赤星武貫の顔をまともに見やった。
「棟梁は南朝最後の星、牧の宮懐良親王様を担いでおられる、本州の南朝勢はほぼ壊滅状態じゃ、南朝に目があるとすれば、一人我が九州南朝征西府、その主体は菊池、すなわち」
「すなわち?」
「征西府が中央へ攻め上って皇統統一を果たせば、その先に」
「なんじゃ?」
「中央において菊池幕府を開くことにもなりはせぬかということよ」
武貫が唖然となった。考えたこともなかった。
だが、言われてみればそれは道理でもある。今は足利一味が幕府を名乗っているが、それを討幕すれば皇室に仕える武士団の中で一人菊池一族こそが皇室を支え得る唯一の武士団ということになる。それにしても、菊池幕府じゃと⁉
武貫がボウと中空に目を泳がせた。
「…そぎゃん夢んごつ、ありえるじゃろか?」
城隆顕が笑った。
「いや、おいも本気で考えたわけではないたい、…ただな、…棟梁の器量が本物なら、万が一にもそぎゃん時が来んとも限らぬ、…そげな気がするのよ、近頃な」
赤星武貫が再度武光を見返った。
武光はみなとバカ話に花を咲かせて大笑いして腹を抱えている、どう見ても昨日まで豊田で地毛の侍たちと暴れまわっていた田舎土豪にしか見えない。
だが、言われてみれば確かに菊池は様変わりして、人によれば都の趣が漂ってきたというものもある。商人が多く訪ねてくるようになり、経済は上向きで賑わっている。
それが武光の業績なのだと、誰も声高に言うものがいないので気づかなかったが、確かにすべては武光の采配以来のことではある。そして牧の宮をこの菊池にお迎えしたことも。
フーム、と考え込んだ赤星武貫に、城隆顕が言う。
「ただの暇つぶしの妄想たい、九州の北朝勢をどう退治するか、そげな諸問題の前には他愛もなか、世迷い事よ、…ただのう」
と、城隆顕も飲んで騒ぐ武光を見やってじっと見つめた。
城隆顕はそもそも野心家ではない。武光という人間の何かが城隆顕にそんな夢想を抱かせたということだったろう。この時点では、これは城隆顕個人の夢想に過ぎなかった。
だが、菊池には大きな潮流が生まれつつあるのだと、城隆顕は指摘したのだ。
密やかな足音を忍ばせて、何かが近づきつつあった。
そこへ筑紫坊(つくしぼう)がやってくる。
「武光様」
酔っ払いどもをかき分けて武光の傍に進み、書状を差し出した。
「書状かい?誰からじゃ?」
筑紫坊がにやりと笑った。
「誰からじゃとお思いか、少弐頼尚(しょうによりひさ)でござるよ」
「少弐頼尚じゃと?」
少弐の使う諜者を通じて武光への打診を依頼されたという。
それを聞きつけて、城隆顕と赤星武貫が顔を見合わせた。
二人は酔っ払いたちを突き飛ばし、蹴りのけて武光の傍へ行く。
「どうやら一色範氏(いっしきのりうじ)に押されて菊池に合力願いたいという相談らしゅうござります」
武光はげっぷなどしながらも、手早く巻紙の手紙を開いて読み込んだ。
それは実質上、救いを求める手紙だった。
足利直冬を九州から追い出した一色範氏は手のひらを返して菊池氏から離反していった。
利用できる限りは甘くおもねり、危機が去ればあっという間に元の木阿弥、北朝勢として征西府に対抗しようとして来ていた。菊池のものたちは苦々しく思い、これを討つ準備として軍備の補強を図っていたまさにその時、今度は少弐が合力を求めてきたのだ。
武光が大きく笑って武澄たちに手紙を読めと示した。
ひったくったのは赤星武貫だった。
「少弐が菊池に合力せよと?なんと厚かましか!」
手紙を読みながら、赤星武貫が顔を赤くして鼻息を荒くするが、武光は暗い目で笑っている。武光の情念が暗く燃え上がる。
足利直冬の敗走で取り残された少弐は今度は一色範氏から責め立てられて窮地に陥ったのだった。それでさんざん敵対してきた菊池に味方してくれとは、一色といい少弐といい、 節操のなさにも限度がある、と居合わせた一同はあきれ果てた。
「放っておけばよろしい。いつまでも裏切りあい、血まみれの争闘を繰り返せばよいのじゃ」
と武澄が唾を吐き出すが、いや、面白いと武光はいう。
「菊池に、武光殿におすがり申す、共に一色範氏をこの九州から排斥すべし!」
そんな文面を読みながら、武光の脳裏に博多合戦で炎を背にした少弐貞経(しょうにさだつね)の姿がよみがえる。少弐貞経の悪魔のような顔!その貞経は死に、今救いを求めてきているのは倅(せがれ)なのだ、あの裏切り者の!武光の脳裏で貞経の映像とまだ見ぬ頼尚(よりひさ)のイメージが重なった。
あの日の少弐貞経、頼尚の親父は既に亡いが、息子にも同じ性根が引き継がれておろう、腹の底には何がある…?との思いが込み上げている。
「合力してやろうではないか」
えっと、武光を見やったのは城隆顕だった。
その先に、どう出る?…少弐頼尚。
《今回の登場人物》
〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。
〇菊池武澄
武光の兄。初めは武光の一五代に疑念を示すが、やがて腹心の武将として一身を捧げる。
〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。
〇延寿太郎
刀鍛冶の長者・延寿刀鍛冶の名工
〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。
〇伊右衛門
武光の家来
〇弥兵衛
武光の家来
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