九州へ移住して見つけた新しい暮らし⑧
「アートフェスティバル」の運営、と、「城下町菊池」の掘り起こしのための絵画化。
この2つが柱となって、私の「菊池市地域おこし協力隊」としての3年間はあわただしく過ぎ去っていきました。
3年目となり、「アートフェスティバル」は時期を秋から春に移そうということになり、半年ずらした5月にスケジューリングしました。
そのため、私の任期3年を3月で終了したのち、2か月のサービス残業という形で、任期終了後の開催となりました。
それも盛会で大勢の皆さんにお越し頂いて大成功裏に終了できました。
「アートフェスティバル」では3回とも、相当数人を呼ぶことができ、熊本では最大のアートフェスティバルとなり、成果を認めていただけました。
協力隊や市民の皆さんのご協力のおかげです。
絵の方は40枚以上の点数となり、それを観光事業にどう生かすか、という課題が残されましたが、これは同じ観光課の職員さんが何とか予算を取ってくれて、「絵で見る幻の都、城下町菊池」という冊子にまとめてもらえることになりました。
私の解説文章を添えて立派な編集をしていただき、気の利いた冊子となりました。
歴史に興味のある方々の間で、始めて菊池の歴史を目で見える形に提示してもらった、これまで漠然していてイメージできなかったものを具体的にしてもらって衝撃的だった、と評価していただけました。
お陰でその後、公民館の市民講座で何回か市民の方々にお話をさせてもらったり、絵画展を開かせてもらったり、市の歴史を掘り起こそうとする有志の方々にいい形で使って頂けたり、かなりの手ごたえをいただけました。
ふとした思い付きから「地域おこし協力隊」に志願して、採用して頂いて無我夢中で走り続けた3年間でした。
思い返せばあっという間に過ぎ去った3年間で、充実していたし、色々な体験をさせてもらったし、本当に楽しく、瞬く間の夢のようだと感じます。
地域おこし協力隊のみんなには本当にサポートしてもらって、こんな年寄りなのに仲間としてワイワイガヤガヤ、楽しく過ごさせてもらいました。
もちろんお互いに地域のために何ができるかという課題をそれぞれが背負った雇われたもの、という立場はありましたが、新しい人生を切り開いて掴もうとしているという共感性の前には平等で対等でした。
その付き合いは本当に楽しかった!
青春がよみがえった!
そんな気がしました。
年配で経験値が豊富な分だけ、私にはみんなのことが見えすぎたり、心配しすぎたりということはありましたが、互いに上下関係ではなく、あくまで動機である、という状態が大変好もしく、居心地のいいものでした。
とはいえ、こっちはネット系のことやPCを使った事務のことなど、まったくわからない親父ぶりで、その点では特に女子隊員に迷惑をかけました。
でも、お陰で色々教えてもらって、今ではPDFが何か分かり、パワーポイントを使えて、エクセルを覚えたりと、自分としてはかなりの進歩もできました。
それまでハワード以外、メールがやっとだったのです。
ありがとう、Kさん、Wさん!
その間、住まわせて頂いた地域の皆さんとは何度かBBQや飲み会を開かせて頂いて、そこへは協力隊のみんなを呼んで互いに交流してもらったりもしました。
季節ごとの地区美化作業などを通じ、皆さんと仲良くもなり、地区の住人として受け入れてもらえました。
今では散歩の度に行き合う皆さんと声を掛け合ったり、おしゃべりに興じたり、仲良しさんもできました。
もう完全に菊池市は私の故郷です。
広大な空や大地、山並みの美しさ、豊富な温泉、おいしい農産物、それら全部がいとおしくてたまらない気がします。
それにはもちろん市の色々な立場の皆さんとの交際も影響しています。
特に感動したのが、熊本の人がそうなのか、菊池市の人が特別なのかは分かりませんが、皆さんがなべてお人好しで純情、誠実なのです。
ご本人たちは肥後もんは頑固で意固地、肥後もっこすで付き合うのは大変だろうというのですが、関東で暮らしてきたこちらからすればとんでもない、そう思って少し恥じらうようなところまで含めて、私からすればなんて素敵な人たちなんだ、と思わないではいられません。
これから死ぬまで最後の時間を生きるならこの人たちとがいい!と思わせてくれました。
そんなこんなで、「地域おこし協力隊」の任期、3年を終えることにはすっかり菊地が気に入り、ここを最後の安住の地にしよう、という気持ちになっていたのでした。
さらに任期終了後、永住して菊池市に住む隊員には100万円の開業資金援助をするので、ぜひ何か市に貢献できる仕事を立ち上げてほしい、という役所からの協力隊員卒業組に対する要請に、それなら何かやってみようか、という気持ちになっていきました。
「地域おこし協力隊」をやったことが自分の現役としての集大成、これを終えたらもうただのジジイ、あとは絵を描いて、たまに菊池一族の栄光についてお話でもさせてもらいながら、余生を静かに暮らしていこう、というのがこの先のビジョンだったのですが、市の方でそういう考えがあるなら、市の役に立つ仕事を何かやってもいいのじゃないか、なんて考えが変わっていきました。
そこで何がいいかなんてあれこれ考えたのですが、普通の仕事の経験などない私にはビジネスを立ち上げるなんて夢のまた夢、途方もない大ごとだと気づかされ、めげてしまいました。
とはいうものの、大きく稼がなくていい、何とか倒産せずに続けられて、それで地元の方々の助けになることならできるんじゃないだろうか、とも考えました。
それでも難しくてあれこれ悩んだ挙句、やっぱりやめとこう、となったのですが、上さんに言わせると、「あなたはどうせ暇を持て余して何かやり始める、大人しくじっとしていれば、暇だ暇だといい始めてうるさくてしようがない、何かやりなさいよ」と、いわれてしまいました。
それもそうか、となり、協力隊の仲間に相談したりした挙句、やっと決心したのが「通販サイト」の運営でした。地場の産物だけを扱い、それを都会方面に紹介し、熊本にはいい商品がたくさんあることを宣伝できるそんなサイトを、と考えを詰めていきました。
上の写真は仲間の生産者さんです。
大手や通販を使いこなしてしっかり商売しているところはそれでいい。
そうじゃない生産者さんたち、私と同じようにネットを使いこなせなくて、派手な宣伝をするお金がなく、でも誠実にもの作りにこだわり、食べ物なら無農薬、安心安全に責任を持とうとし、不器用なのでしっかり利益を出すこともできない、そういう人たちの手助けができないか、と思いついたのです。
でも、私一人じゃ荷が重く、相棒が欲しいと思いましたが、協力隊のみんなにはみんなのビジョンがあり、私の世話まで手が回りません。
またまた私がそこで思いついたアイデアは、パートナーに私の娘のちゃーこを引っ張り出すことでした。
ちゃーこは事務のキャリアがあり、多少そっち方面のことが分かるのです。
私が「地域おこし協力隊」をしている間に結婚していた彼女は出産のために当分は専業主婦でいくというので、この子に助けてもらおうと思い立ったのです。
それでちゃーこと話し合いを持った結果、ちゃーこも「通販、面白い、やってみようか?」といってくれたのでした。
こういう成り行きで、私は「地域おこし協力隊」を終えた後も現役引退した楽隠居、という暮らしには入ることができず、新たなミッションを抱えて生きることになってしまったのでした。
ここで「地域おこし協力隊」の顛末記は一応終わります。
上はお店のロゴ。
この先のことはまだまだ進行中で、時期が来たらまた書き継ごうと思いますが、次回は「地域おこし協力隊」の経験から生まれた構想により、小説を書いてしまったのですが、そのことについて書きますね。
小説なんて書く気はまるでなかったのに、やむに已まれず書いてしまいました。
その小説とは何か、もちろん菊池一族に関する物語です。