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九州へ移住して見つけた新しい暮らし⑥
フェスには大勢の方が来場してくれて、ミッションの1つは成功でした。
でも、自分としてこれだけでは手ごたえが足りません。
さらに何か働きどころが欲しい。
そう考えて、私は市内を歩き回り、観光資源を探し始めました。
菊池温泉があり、菊池渓谷という観光スポットがある、など、様々なことが分かってきましたが、問題は私に何がやれるのか、ということです。
よそ者ならではの視点を持ち込み、私でなければできない取り上げ方をし、いきなり観光客を誘致できなくても、将来の観光資源を開拓する、そういう仕事を探さなければなりません。
私は関東にいたころからキャンピングカーで全国を巡り、日本中を訪れていましたが、その時の大きな楽しみが各地の土の城を訪ねることでした。
わたしは町の中心に位置する市民広場にたち、あ、これは城ではないのか!と直感しました。いわゆる舌状大地の先端です。
その舌状大地には桜で有名な市民公園がしつらえられており、一角には菊池神社という大きな神社があります。守山という山ですが、その山上に立つと前面に菊池市街が広がり、目を見張る絶景ですが、直下の隈府の町は守山から正方形を描くように全面南西に伸びており、まさしく城下町です。
後で分かったのはその守山こそ菊池一族の菊池本城であり、菊池神社は本郭跡に建てられたものだったのです。
ところが市内にはどこにも案内が出ていません。
いえ、一切アナウンスがないというのではなく、それなりに観光案内として、菊池一族の歴史、ゆかりの地、お寺やお墓、などが紹介されてはいたのです。
ただ、それが一見の訪問客には目につかない、という状況だったのです。
地元を歩いて歴史観光資源であるはずの「菊の城」という城跡はどこか、行き合った若者に聞いてみても、首をかしげます。どうやら地元の若者は「菊池一族」を知らないみたいなのです。
やがて分かってきたのは、郷土史家の先生方や一部のもの好きは熟知している、でも、殆どの方が郷土の歴史に無知であるということでした。
ただし、知っている人たちに限っては、「菊池一族」はとんでもない名族で、誇り高い歴史を持ち、500年近い歴史を誇っているのだ、と、思い入れが半端じゃないみたいなのです。
何といっても観光案内人組合のメンバーが郷土愛に燃える郷土史家の先生方や旅館経営者、お菓子組合の幹部の方などで構成されているなど、重々しいとことこの上ないのでした。
そういう事情が分かってきて、私が自分の仕事としてアプローチするにはどうしたらいいかと分析すると、以下のような点が着目ポイントだと思いました。
1、 菊池一族の歴史は戦前は日本中に知られたほど大変なものである。
2、 ただし、太平洋戦争当時軍部のプロパガンダに使われたため、戦後は表舞台から一切消されてしまった。
3、 史跡が大切に残されてこなかったので、寺や墓地、お墓などがわびしい。
4、 巨大な本城が公園と化して顧みられていない。
5、 18外城という土の城群が放置されて草に埋もれ、顧みられていない。
6、 菊池一族の歴史を伝える道筋がない。
という現状の厳しさでした。
私は土の城好きなので、実際に行ってみましたが、土の城好きにとってはどれも面白い城ばかりでした。
興奮しました。
とはいえ、今直ちに観光客を迎え入れようにも、険しい山中の城では訪ねるだけで遭難しかねません。
これは長いスタンスで見た歴史掘り起しが必要だ、と思いました。
そして2年目で辿り着いたミッションが、城下町菊池の絵による歴史掘り起しでした。
というのも、菊池一族の全盛時、この菊池は高度に発達し、九州でも、博多、太宰府に次ぐ見事な都であったらしいことが分かってきたからでした。
図書館の郷土コーナーの書庫には「菊池一族」に関する書籍、郷土史家の先生方の献身的な研究による成果が山積みにされているのですが、戦前のものは文語体だったり旧漢字の羅列で、現代の人には読みこなせません。そしてそれがすべてなのでした。
どうやら、専門的情報を一般の人に見たり読んだりしてもらえるように、翻案すべきなのに、それがなされていないのです。翻案が必要だという認識がまず、地元の人々にないのですね。
ここに至ってやっと自分の出番が見えました。
観光の手がかりとして、城下町菊池の最盛期を絵に掘り起こそう、というものでした。
熊本市には熊本城があり、否応なく歴史の重みが示されます。
熊本城を意識すれば自然に加藤清正に行きつきます。
やはり、現実にそこに見えるものがある、という事実は大きい、と思います。
しかし、菊池の菊池本城は誰の目にも城に見えません。
そこになんとか目で見て歴史を感じてもらう条件を持ち込むには、それは絵ではないか、と思い立ったのですね。城の復元には億のお金がかかります。
その重要性が認知されない限り、お金なんて夢のまた夢です。であれば、絵なら安くできるのではないか、というのが発想でした。
何しろ「菊池アートフェスティバル」で絵描きさんたちとはたくさん知り合いになってます。
彼らに絵をかいてもらおうと思い立ちました。
代金くらいは活動費の予算から出せます。
企画書を書いて市の了解を取り、絵描きさんに声をかけました。
ところがこれがうまくいかない。
なぜか絵描きさんたちには描けない。
やがて問題点が明確になってきました。
すなわち、菊池城下町最盛期の風景を絵にするためには、当時の時代背景から勉強しなくてはならないということなのです。まず、城といってものちの時代の石垣の城ではなく、土の城です。
その知識がなければなりません。人物を描きいれるにも水干を知らないといけないし、烏帽子、髪形、刀ではなく太刀を描きこんでもらわなくてはなりません。
今はない城や風景を再現するには、時代への知識を持った絵描きが実際に何度も現地へ出かけ、推理を凝らして建造物を脳内に復元しなければならないのです。
ですが、まずそれを絵描きさんに理解してもらうこと自体が困難なことでした。
やがて私はあれ?となりました。
そもそも映画やテレビの業界で生きてきた私には、時代考証、衣装、小道具もち道具、などをどう考証するか、必要であるかが理解できているのでした。
かくして私は決心しました。
よし、自分で描こう。絵に自信はないが、今はそれが最善の策だ、と思うに至りました。
そうやって歴史検証、舞台検証、推理、絵を描く、という作業を始めました。
全部で50枚弱の「城下町菊池」の製作がスタートしたのです。
続きは次回書きますね。