ルイ16世の妹エリザベート
今回は、ルイ16世の妹のエリザベートという人について書いてみたいと思います。
オーストリア公妃のエリザベート(エリーザベト)とは別人です。
なぜ、歴史的にほとんど知られていないこの人物を取り上げるのかというと、
ずっと前にどこかの展覧会でエリザベートの絵を見たのを思いだしたからです。
その絵がすごく印象的だったのを覚えています。
それで、今回エリザベートについて詳しく調べて見ることにしました。
エリザベートは、1764年にフランス王太子ルイ・フェルナンデンと応対子妃マリー・ジョゼフ・ド・サクスの末娘として誕生しました。
フルネームは、エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランスです。
ルイ16世の妹ですから、マリー・アントワネットの義妹にもあたるわけです。
そんな、エリザベートはどんな人物だったのでしょうか。
・心優しいフランス王女
エリザベートはとても心の優しい人だったそうです。
絵を見てもそんな印象を受けますね。
そして、堅実で信仰心も篤く、まるで聖女のような人だったそうです。
そのうえ、勉強熱心で頭が良く、乗馬や狩りなどのスポーツも好きだったそうです。
優しいだけでなく強い女性でもあったのです。
理想の王女様ですね。
そんなエリザベートとマリー・アントワネットはとても仲がよかったようです。
兄夫妻とよく食事も一緒に取っていたそう。
理想の王女様であるエリザベートには、年頃のなると結婚の話があちらこちらからきたそうです。
しかし、エリザベートは兄夫妻の側や生まれ育ったフランスにいたかったため、生涯独身を貫きました。
そんな素敵な人なら、結婚してもよかったような気がします・・・。
・フランス革命で断頭台の露と消えた
エリザベートの最期はフランス革命で処刑される、というあまりにも悲劇的なものでした・・・。
国外に逃げる機会はあったものの、エリザベートは最後までフランスにとどまったそうです。
ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑された後、エリザベートは無理やり罪を着せられて処刑されました。享年30歳。
理由はルイ16世の妹だったから。
聖女のようなエリザベートの助命嘆願も出されましたが、処刑は強行されました。
処刑間際には妊娠間近の妊婦の命を救ったそうです。
最後まで毅然として態度だったそうですよ。
おのれ、ロベスピエールめ!
結婚するかフランス国外に逃げるかして、生き延びてほしかったです。
・マリー・アントワネットの最期の心の支え
マリー・アントワネットが最後にしたためた手紙の宛先人はエリザベートだったそうです。
もし、エリザベートが生き残れたら自分の子供を託したかったそう、それほどマリー・アントワネットにとって信頼できる大きな存在だったのです。
しかし・・・マリー・アントワネットが最後にしたためた手紙はエリザベートの元に届くことはありませんでした。
その手紙はロベスピエールの手に渡り、処刑後は紆余曲折の末、20年以上も後にマリー・アントワネットの娘マリー・テレーズの元へ届いたそうです。
マリー・テレーズがどういう反応を示したとか、その後の詳しいことはわかりませんでした。
以上がエリザベートの大まかな一生です。
ルイ16世の妹として生まれたばかりに、フランス革命の犠牲になった心優しい王女。
なんとか生き延びてほしかったな・・・と思ってしまいます、残念・・・。
ちなみに、マリー・アントワネットの子供で唯一生き残ったマリー・テレーズは結婚したものの子供がなく、現在マリー・アントワネットの子孫はいないそうです・・・。ガーン!
傍系であるハプスブルグ家のマリー・アントワネットの兄弟姉妹たちの子孫ならいるそうですが。
以上です。
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