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便利さと引き換えに人が失うもの

先日、イギリスからクリスマス・カードをもらいました。
私も出さなければならないので、今日郵便局に行って投函しました。

自分の近況などを書くにあたっては、英文を考えなければなりません。
去年までは、自分で英文を考えて書いていましたが、今年は手を抜きました。

PCに日本文を入力すれば英文が出てきますからね。
出てきた英文の気に入らない個所を、多少修正しただけです。
おかげで、時間が短縮出来ました。
最近は、滅多に英文なんか書かないので、これは楽でした。

でも、これを続けていると、英語力が失われるんだろうなあ。
ただでさえ英語力が落ちているのに・・・。

つまり、便利さを得る代わりに、自分の能力が低減していくわけですね。

計算もそうですよね。
電卓で計算していると、計算力が落ちます。暗算にも弱くなります。

学生が宿題をやるときに電卓を使っっちゃいけないのは、これが理由です。
学生は、計算する力をつけなければなりません。
それが勉強の目的の一つですからね。

電車や車がなかった時代の移動する手段は、歩く以外に方法がありませんでした。
東京から大阪まで行くとしたら・・・。

江戸時代には歩く。
今は新幹線か飛行機。

今の方がずっと便利だけど、脚力は全然違ってくるでしょう。
脚力とか耐久力を、現代人と昔(江戸時代・明治時代)の人で比較すると、現代人は相当弱いのではないか?

脚力を弱くしないためには、そのために運動をしなければなりません。
実際、スポーツクラブでベルトの上を走っている人が多いですからね。

もっとも、現在の交通事情を都会と田舎で比較すると、ちょっと事情が複雑です。

東京に住んでいて車を持っていない人は、電車やバスに乗るために駅や停留所まで歩きます。
目的の駅や停留所に着いた後も歩かなければならない。

都会では、大した距離じゃなくても、一応は歩くことになるんです。

ところが、田舎に住んでいると、地下鉄はないしバスサービスも東京のように充実していません。
バスの路線網は貧弱だし、本数も少ない。

だから、無理をしてでも車を買って、それを利用することになる。
だから、結果的に田舎の一般人はあまり歩いていない可能性があります。
これは意外ですが、こういう傾向はあると思います。


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