サックス奏者の伊澤隆嗣と申します。 群馬県太田市生まれ。国立音楽大学に進学と共に、東京へ上京し、10年間、立川市に住んでいました。埼玉県在住の妻と、結婚と同時に転居し、8年ほど埼玉県民に。そして、東日本大震災をきっかけに、熊本県へ移住してきました。 写真でひかれた方もいらっしゃると思います。実際の自分は、こういうカツラや、メガネをする趣味は無いのですが、中1・小5・小2の3人の子供たちや、鬼嫁に、こんな事をやらされております。残念ながら、家庭内では、父の威厳というようなも
サックス歴の日記が大分滞ってます・・忘備録を兼ねて今回はYouTubeのことを記しておこうと思います。(今回は編集担当が記入) 2020年8月20日に「田舎暮らしJAZZサックス」のYouTubeを立ち上げ、初めて演奏動画をアップしたのが翌日の8月21日。4ヶ月と20日経ちました。 大体、週に1、2本ペースで、本日2021年1月12日現在、合計47本の動画をアップしています。 ①最初の頃は、とにかく演奏動画をひたすら作り、アップする。(編集技術もなく、ただただ、最初から
【9月に入って子供の運動会。うちの子らが通う小学校は全校生徒60人。コロナによる、短縮3時間の運動会も、子らはほぼ出ずっぱりで大活躍。観客席は天然ソーシャルディスタンス状態。よか村ばい❗】 大学の授業を終えると、研究室には殆ど行かず、まっすぐアパートに帰り練習。16時から22時迄。ロングトーンをひたすらに。最低音から最高音迄全ての音を、ppp、pp、p、mp、mf、f、ff、fff の全ての音量で。納得行く音が出始めたら半音づつ上げていく。終わったら、全ての音で、クレシェン
【先日、子供達と近くでカヌーをしてきました。1時間で600円。しかも人がほぼおらず、ソーシャルディスタンスは保ちまくり。田舎に暮らしていてよかったな・・・と思う一つであります。】 国立音大から通知が来ました。開けると、 「さくら咲く…」 合格していました。 大学から自転車で15分の、楽器練習可のアパートで、はじめての独り暮らし。練習可のアパートは防音では無く、アパートの住民殆どが、音大生で、音の痛み分け状態でした。 入学式は慣れないスーツで参加しました。合格した新入生
写真は僕の父が作っている土偶です。古墳群のお土産屋さん、また、最近では東急ハンズさんや、土偶展などのお土産として販売しています。 国立音大の入試で、鳥肌か立つほどの完璧な演奏をした僕は、合格発表があるまでの期間、合格している事を確信して過ごしました。 しかしながら、怖い自分もいました。本番に強い性分は、入試で発揮した場合、その後苦労します。現に太田高校に入学し、いくら勉強しても敵わない人がいると言う、強い劣等感を、嫌と言うほど感じさせられる高校生活を送ったばかり。 実質
【コロナの真っ最中、学校も休校が長く続きました。我が家は敷地内にテントを張って、楽しみました】 僕が国立音楽大学を受験した理由は、だだ単に聴音の試験が無かったから。 他に選択肢が無いので、おのずと、滑り止め無しの国立一本の受験。準備を始めたのが、高2の秋なので、そもそも合格するとは思って無く、一浪覚悟の上での受験でした。 ただ諦めていた訳では有りません。誰よりも苦しい練習に耐えてきたと言う自負もありました。 いよいよ試験期間が始まりました。国立音大から電車で数駅にあるビ
写真は熊本に移住した当初、地元のテレビ番組の取材を受けた時のものです。僕が現在住んでいる村ですが、本当に素晴らしい景色です。移住して9年経った今でも、毎日感動します。 頑張っても、頑張っても、なかなか上手くならない中 前沢先生に言われます。 「太田で一番にはなったな」 意外でした。 凄く嬉しい言葉ではありましたが、当時、自分ではそうは思えませんでした。今考えれば、連日の長時間の練習で、急激に腕を上げて居てもおかしくは無かったとは思います。 自分の演奏ってなかなか客観的
写真はうちの孵化器です。ここで21日間温めてヒヨコを孵化させます。子供達3人が、それぞれ自分の卵に名前を書いて、孵化するのを見守ります。 国立音楽大学の受験には、専攻楽器の他に、副科のピアノ、新曲視唱、楽典、一般科目(国語、英語)の試験がありました。なので、サックスのレッスンと同時にピアノ、新曲視唱、のレッスンも必要になりました。 運良く音大を目指す後輩がいて、近くの音楽教室に凄く良いビアノの先生がいるとの事で、紹介して頂きました。 当時、たまたま音楽室にあったCD、ポゴ
〜前沢文敬先生〜今まで、僕の知っている大人は、両親、友達の親、学校の先生位でしたが、前沢先生は少し様子が違いました。 一度先生の車に乗せて頂いた時、 「伊澤くん、この車幾らだと思う?」 「分かりません。」 「1万円」 「本当ですか!」 「乗れりゃあ何でもいんだよ車なんて」 「はぁ。」(ちょっと不安に…) 僕の他に数人の女子門下生がいて、 「お前ら、売れるのなんて簡単なんだぞ。」 「水着来てサックスカルテットやりゃいいんだよ。」 「でもガチのクラシックやんなきゃ駄目だぞ
写真は我が家の庭に建てた、鶏小屋です。図面を手書きし、素人ながら作ってみました!なかなか家族には好評です! 前沢先生の厳しいレッスンに対応するには、練習時間が全くたりませんでした。 そこで、考えます。 「時間を作ろう。」 音楽室の鍵を部長から預かり、早朝に登校。朝の6時から練習。更に休み時間の10分も、無駄にしません。毎回音楽室に走リました。昼飯を掻きこんで昼休みも練習。放課後も練習。家に帰ってからも練習。 とにかく吹きまくりました。遅れを取り戻すために… 毎日、ど
今日はYouTubeにDesperadoをあげてみました。良かったら聴いてみてください!いい曲です! 前沢先生のレッスンでは、通常初心者のやるラクールというエチュードをすっ飛ばし、第2段階の、ブレマンのエチュードから始まりました。時間が足りないから…との事でした。譜面が苦手だったので、まず譜読みに大変な時間を要しました。 そして、曲を吹けば、口の疲れ具合や、酸欠加減は、吹奏楽のパートの譜面とは桁違いで、一曲吹き終わる頃には、汗だくで肩で息をしている状態でした。 最後の方は
前沢先生のレッスンが本格的に始まりました。以前、サックス奮闘記その2でも書きましたが、高音が出ないという悩みが、まだこの時にも有りました。左手サイドキーのレから上の音が、流れでは出ても、単音では当たらない状態でした。 前沢先生曰く、「高い音と言う意識が有るから出ない」との事。確かに凄く力んで吹いていました。「サックスという楽器は基本、最低音から最高音まで※アンブシュアは一定」との事。(※フラジオは除きます) 僕の場合、アンブシュアは、高音では強く噛んでいましたし、息も入れすぎ
写真は高校2年の文化祭。吹奏楽部員でTスクエアのコピーバンドをしています。「髪があって気持ち悪い」と子供談。今のスキンヘッドの方が良いらしいです😅 国立音大の夏期セミナーのメインイベントは、国立音大サックス科の教授である石渡悠史先生による個人レッスンです。専門的なレッスンの初心者である僕に、丁寧にご指導下さいました。 石渡先生「ちょっと遠いけど、僕のところにレッスンにおいで。」 僕「実は先輩に前沢先生を紹介して頂きまして、群馬である程度上達してから、石渡先生にレッスンを
写真は牛小屋のリフォーム後の写真です。(リフォーム前の写真は前回の記事を参照下さい!)あんなに隙間だらけの板張りの小屋が、ここまで綺麗になるんです! 高校2年初夏〜進路続編 帰宅し夕飯時、両親に切り出します。 予想通りあまり良い顔はされません。 国立音大には夏と冬に受験生を対象にしたセミナーがあり、まずはそれに参加して、自分が受験出来るレベルなのかを見てくる…という事にとりあえず承認をもらいました。 まずは一歩前進です 吹奏楽部に入部した当時、先輩が使っていた綺麗な
写真は牛小屋を購入して、片付けが終わったところです。賞味期限が昭和の日付の大量のジュースや、焚きつけに使う枝など、ものすごい量のゴミを片付けました。この室内が家になるとどうなるのか・・・次回に載せますね! 〜高校2年初夏〜進路 念願のサックスも吹きながら、その先の進路の事も考えるようになりました。やはりサックスプレイヤーになりたい夢は持っていました。 有名なプレイヤーの経歴を調べると、○○大学ジャズ研卒 というのが圧倒的多数。しかも東京の有名大学。よし、この流れで行こう