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あぁ夏野菜【インドア目線】

百姓のルーツのある我が家の庭では、
両親が中心となって家庭菜園をしています。


親戚や家族の会社の同僚に持っていったり、
ご近所さんも似た野菜を作ってるから、需要と供給が一致しない日もあったり。
魚を釣ってくる人もいるので、そのお返しに…と、急遽選別して畑から採ってきたり。

そんな中、バイトから帰ったある日の僕に、
収穫の命令が下りました。

ターゲットは、
キュウリ、しし唐辛子、ミニトマト。

…恥ずかしながら、わたくし、家族の中でひとり、
トマトが苦手なのです。

全く食べられないわけではなく、
アレルギーなどの理由で食べられないわけでもない。食べろと言われたら食べられる。

しかし、
僕を戦々恐々とさせる、

口の中で実を噛み砕いた時に、
中身が口の中で爆裂四散するビッグバン

これがどうにも、僕にはストレスフルなのです。

もう一度言います、
あの爆発がイヤなのです。

よく、「じゃあ小さければ食べられるんじゃない?」と
聞かれることがありますが、

ミニトマトだと身が丸々一個、
四方八方に爆発するので、逆に強敵なのです。

一度スライスされたトマトであれば、
爆発する量も、ある程度軽減されます。

爆発のタイプや量などを総合評価して、

ミニトマト>イクラ>スライストマト

の順に苦手です。

トマトの味自体が、
出来が悪くて酸っぱいかとか、
品種改良されて甘いとか、
そんなことは僕にとっては問題ではないのです。

トマトの名産地で取れたものだとか、
家で自分達の畑で取れたかとかは、
そんなことは僕にとっては問題ではないのです。

僕のトマトに対する苦手意識は、
両親もわかっているので、

この日は、父がそれをわかったかのように、
トマトを収穫してこい の礼状を、私に突きつけたのでありました。

いい歳してトマトごときがキライなんて、恥ずかしいぞ…
トマトって普通、甘い食べ物のハズじゃないか…
家で取れたものなのだから、好きになってほしい…

こんな憶測も全て、私の空振りなのかもしれませんけども、

どうにも父は、私をトマト好きにしたいようです。

しかし、私は、
ある昼食の時に、父にトマトを苦手なポイントを細かく説明しました。

それを聞いた父が一言、

「じゃあ、ミニなら食べられるな?」

……

(ちょっと、息子の話聞いてた…?)

ミニなんだから、余計ダメなのだが…
(振り出しに戻る)

この「トマトの爆発論争」は、
最終的に父の

「その考えは理解できんなぁ」の一言で終わりました。

ここまで僕が家族に対して声を荒げたのは、

少なくとも20代になってからは始めてのことでしたが、

そんなことを言っていたら、
夜ご飯には、トマトを具にして煮込まれたカレーが出てきました。

爆発して水分など諸々が鍋の中に吸収されたあとのトマトなので、
私の口の中がパニックになることはありません。

ごちそうさまでした。

しかしこれからも、トマトを好きになることはありません…。

私はトマトの「爆発」がキライなのですが、

なかにはこの「爆発」を好きな人もいるのだと思います。

これはもはや、
『青色が好き・キライ』と同じものだとおもって、
僕は割りきるようにしています。

別に僕は、トマトが苦手だからといって、

「トマトが好きな人を憎んでいる」わけではありません。

明日また、収穫してこいと言われたって 、普通に採ってきます。

放っておいたら、熟れすぎたりして(他の家族が)食べられなくなるほうが勿体無いし。

大学生としていろんな人とふれあう時や
世代の異なる人と話している時に、
幾度となく

「何に興味があるの?」とか
「何が好きなの?」とか聞かれてきましたが、

人間を構成するもの、

またそれを自己分析する際にヒントになるものは、
「好きなもの」ばかりではないと思うんです。

人を理解するのに、
「◯◯を好きな理由」ばかり聞くより、

「◯◯が嫌いな理由」のほうを聞くことで、実は新発見をすることもできます。

また、良くも悪くも、人との繋がりを強くするためには、

好きな理由よりも嫌いな理由のほうが一致したほうが、まとまりやすいといった説もあります。

僕がSNSに、足を運んだアートギャラリーや
イベントのことについて投稿している目的も、

アートが嫌いな人もどっぷりはまらせたい…
とにかくどんな人もアートを好きになってほしい…というよりは、

世の中にはこんな人をしている人もいる、

鳥取では会えないタイプの人や考え方に、実は会える機会が目の前にある、

ちょっと頭の中に刺激がほしいときに、こういう機会が鳥取にもある…

そんなことを記したり残すために書いています。

小さい頃から、どちらかといえばマイナーなものを好んできた僕は、

自分の趣味思考が
多くの人間の意見や『普通』に結び付かないことを、薄々感じて生きてきました。

僕もその「多数派」の全てに賛同するわけではありませんが、

その理由を聞いて、
試食する程度のことをしてみるのも、

かえって、自分の理解に繋がったり、
いろんな人から物事を吸収しやすくなったりするのかなぁと思います。

まあ、これからも苦手ですが、トマト食べるし。

~終~

読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、鳥取のアートシーンで活動されている方々を応援する際に使わせていただきます。