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慕情。

最初は誰かを待っているのだと思った。

五月雨の天を仰ぎ
傘も差さずに歩き出すまでは。

ずぶ濡れになった彼を送り届ける算段を途中で放棄して、来た道が夜間通行止めになった後の事を考え始めた。しかし荷物を漁った手が取り出したタオルを雑に扱うのも、隠す様なくしゃみの後で控え目に鼻を啜る忙しなさのいちいちが、気に掛かる。助手席に乗せた問題児が視界の端に触れる度、飲み込む言葉が増えるばかりで息苦しい。

たかが教え子を一人、気まぐれに荒天から救った筈が…

「あの、スミマセン」

信号待ちのブレーキと同時にようやくだんまりが口を利く。

「このまま何処か遠くまで」

連れて行って下さい────


行き先のない
呪縛のような指示だった。

雨音を引きずった彼の懇願が
何故これ程甘く聴こえるのか。

危うさに視界が歪む。

後先を考えない年頃の恐ろしく純粋な思慕。
無下に出来るなら、此処で彼を降ろせばいい。
下手な叱責より熱を冷ますだろう。
見知らぬ土地に置き去りにされ、濡れた服で夜の街を彷徨う姿を想像した。

「…先生?」

赤から青に変わったライトを指先に見て
陶然とアクセルを踏む。


見出し画像:L版SSメーカー sscard.monokakitools.net / Photo by Inge Maria on Unsplash


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