卒業まであと【8日】
びっくりするほど何もやる気がない。
というのは少し嘘だ。
論文化の作業や修論に載せそびれた解析など、ジリジリ進めてはいるが、スピード感のなさ。遅々として進まない。
せめて新配属生の実験トレーニングはするか、と思ってちょこちょこやるが、そんな事より解析を進めた方が良いのだろうか。優先順位がつけらなくて、しっちゃかめっちゃかだ。
論文作業(並行して解析)、論文紹介の準備、引っ越しの準備、配属生の実験指導…。何を優先すれば?
まあ、当然論文作業は優先すべきなんだけれど、自分がいなくなった後に色々と実験が追加されるであろうので、気持ち的には後継者を育てておきたい。
引越しは引越しで絶対的な「締切」があるので、避けては通れない。こういう「期限付き」の物事に直面するたび、毎度新鮮に時間が有限である事を思い知る。修論が終わればもう締切とはオサラバ!と思っていたのは、完全に甘い考えだった。この世にはありとあらゆる形で「締切」が存在する。
これが終われば楽になる、と思うことがあるけれど、今より楽になる事なんてないのだと思う。人生の難易度は上がる一方で、もうこれからずっと大変なんだろう。しかも難易度は本人の意志によらず勝手に上がっていくもんだから、環境の変化には期待できない。結局自分が変わるしかないのだ。
そもそも研究に終わりはないとはいえ、卒業までやれることはやろうと思ったけれども、どこで区切りをつければ良いんだ?
深入りしすぎると4月以降もまだやっているなんて可能性は十分あり得る。解析やなんやを全うできないのは心苦しいが、社会人始まれば何かと手が回らなくなるであろう。やりますと言って結局無理でしたという無責任なことにならないように、どこかで線を引かなければ。
…と一生懸命になればなるほど、やろうとしていること、やるように言われていることの全部はできないということがありありと感じられ、自分の仕事の遅さや能力のなさを突きつけられるようで苦しくなる。行くも地獄。
出来るだけはやるけれど、出来る分が少ない。これはやる事が多いのか、そもそも自分の許容量が少ないのかどちらとも言い難いが、その両方である感もある。かといって、やりますと言えばできるようになるわけではないので、置き方をしくじってどんどん積み上がっていくテトリスを見るようなそんな気持ち。
土台が穴だらけで1列揃わないので、いつまでもブロックが消えず積み上がるばかりだ。高速で降ってくるブロックをただ眺めてゲームオーバーを待つような、上澄をチマチマ消して辛うじてゲームを続けているような、そんな感じ。もし一発奇跡が起きれば、上積みが消えて、穴を埋めつつ積み上がったブロックを解消できる。
やる気がないというよりは、やるべき事の多さや重さで首が回らないという話だった。