2020/1/20の下書きより
「自分の全てを投げ打って、みたいなやり方じゃなくても良い研究はできる」
憧れの研究者の言葉である。
シビれるカッコ良さ。質疑は鋭く、応答は簡潔で明解。とても聡明な方だ。
しかし、その言葉を聞いた時は、でもなあと内心思った。
それは天才秀才の場合であって、さしたる頭脳も持たない凡人は骨身を削り、憂き身をやつして研究に従事しなければ、それに並ばないのでは?
並々ならぬ努力を注がねば、何か一つの結果を得る事はできないのでは?
そう思って、研究室に配属されてからこれまでを過ごしてきた。が、ここへ来て(今書きながら思ったことだが)少し了見が変わった。
そもそも、なぜ天才に並ぼうとしているのか?
学問の前では皆平等とはいえ、そりゃあ界隈のトップラボと一介の大学院生では、まず出来ることに差がある。たかだか研究を始めて2-3年では、知識にも差があるのだ(とはいえ、同じ2-3年でも「おとな」の研究者さながらの知識も持っている人は持っているのだが)。
私は、圧倒的に勉強不足だった。
(2020/1/20下書きより)