卒業から【48日目】
【前回までのあらすじ】書き手は社会人1年目。当初、大学院卒業までの日記を綴る予定が、あまりの歴史的災厄(コロナ禍)を経験するにあたり、社会人編に突入した。博士進学をギリギリまで悩んだ挙句決め兼ね、就職に舵を切った経緯からか、たまに元いた研究室のことを考えている。
卒業からはや1ヶ月半経ち、社会人として初めてのゴールデンウィークを迎えようとしている。
というか、もうGWが始まっている。新入社員はまだ有給が取れないので、5連休だ。いぇーい!
浮かれ気分もさることながら、緊急事態宣言の延長が表明された。
「8割自粛」の効果も芳しくない、発症の約2日前に感染性ピーク*(下記リンク参照)など、次々に大方の予想が裏切られていく。コロナ禍は相当根深いらしい。
形式上工場扱いになっている職場は、出勤は減っているが日々人が稼働している。役職などにもよるけれど、おおかたは職場に出ないと仕事ができないからだ。時差通勤やオフピーク出退勤を実施して、細々と、でも確実に会社で人が働いている。
会社は良い。弊社などは取引先や依頼があって初めて仕事になるので、相手のためということに働きに出るための大義名分がある。
大学の研究はどうなんだろうか。
そりゃあ研究者も、各々の野心であれ使命感であれ、色々な大義名分を持っているんだろう。中には共同研究など、いろいろな方面を巻き込んでの大きな仕事もあるが、それは少し置いておく。
母校の大学では、学内での研究活動は「原則自粛」だそうで、人が「ほとんど」いないらしい(「ほとんど」ということは、大学にいてそれを実感する誰かはいる)。
世の研究者たちは、皆この原則に従っているのだろうか。
研究者と一括りにすると語弊があるが、その研究の性格によって2つに分けられる。机の上でコンピューターなどを駆使する「ドライ系」、水や生物を扱う「ウェット系」。ウェット系研究者にとって、外出自粛はともすれば2ヶ月全く研究が進まないことにもなる。
実際は文献をまとめたり、論文を読んだり、研究室外で全く出来ることがないわけはないのだが、期限内に論文を世に出さなければいけない博士学生や、任期付きのポストにいる人々にとっては死活問題ではないか……。
と、私が心配することではないことに意識がいってしまう。就職したことに後悔はないが、大学の事に意識が飛んでしまうのはなぜだろう。逃げるように就職にシフトしたからだろうか。
まあ、研究活動の自粛はあくまで「原則」なので、例外は作りようがあるんだろう。生き物を扱うところは、放っておくわけにもいかない。実験動物の命を無下にするのは、倫理的にもそれこそ大問題だ。
日本はまだマシな方だけれど、感染拡大が甚大な各国の大学はどうしていたんだろうか。中国は落ち着いてきたようだが、願うばかり。