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霊感があろうとなかろうと怖いときは怖い

その昔、旅行先で出会った経験である。

友人たちと四国をめぐる旅。寺を参拝し温泉に浸かり暴飲暴食し、とまあ楽しい旅ではあった。

親しい友人たちとの旅でも自分の時間は作りたいので、宿はビジネスホテルのシングルルームである。
小粋な創作小料理屋で瀬戸内の美味美酒を堪能し、翌日も続く珍道中に備えて英気を養うべく、各自それぞれ部屋に散らばっていく。

へべれけになった自分は心地よい気分のままベッドに倒れこみ、普通ならば朝まで泥酔するところだったのだが。

がしかし。
こんな夢を見た。

ドアをノックする音で目が覚めた。しかし、眠かった自分は「知らんッ!」と無視して寝続ける。するとノックは次第に強くなり、ついにはバン!バン!と手を力一杯たたきつける大きな音になっていった。

自分は「五月蝿い」とは思いつつも、眠気の方が勝っていたため、「これは夢である」と決めた。

と。音がやむ。

そしてドアがひらく

鍵が掛かっているはずなのに

ただチェーンロックを掛けていたおかげで全開はしなかった。

そのわずかに開いたすきまから手が差し込まれてきた

暗がりの中でその手だけが生気の感じられない青白さで浮かび上がる。

手は激しく上下に動く。どうやらチェーンロックを探しているようだ。

部屋に入ってこようとしているのだ!

自分はさすがに怖くなり「誰だ!」と叫ぼうとするのだが、しかし喉からは“ひゅーひゅー”と息が漏れるだけで、声にはならない。ああ!

気づくと、それはやはり夢だった。部屋のドアにはチェーンロックなどついておらず、そもそも部屋の構造上、ベッドの位置からドアを見ることなど不可能なのだ。

やはり夢だったか。窓の外はまだ暗い。ひと安心してまた眠りにつく。
しかしそれで終わりではなかった。

しばらくするとまた同じ夢を見たのだ。ただ今度は微妙にアレンジが加わっていた。白い手は女性だった。手しか見えていないのになぜか自分はそれが女性の手であることを知っていた!

前回と同様に飛び起きた後、夢であることを確認し、やはり同じように寝る。

3度目に登場したのは子どもの手だった。小さな手がドアのすきまを動きまわるのを、見えるはずのない角度から見つつ「もういい加減にしてくれ」と思った。夢の中で。

そして気づくと朝になっていた。

窓からは初夏の陽光が差し込んでおり、そこにオカルト的な気配というものはない。一晩に3度も同じ経験をしたとといっても、もともとそういう夢だったのかも知れないし、どこからどこまでが夢なのかもよくわからない。
所詮、ひとの記憶などあやふやなものなのだ。いちいち真剣になるもんでもない。

そんな一夜の出来事、というか夢を、ちょっとした小ネタ程度に、朝食のときに友人たちに話してみる。
と、隣の部屋に泊まっていた友が「やっぱり」としたり顔でいったのだった。

「だってその部屋、へんな位置に柱があるし、いかにも“溜まって”そうじゃん。窓の外だって、へんなひさしがついてるしさ。ナニかがいたら怖いだろうなあ、と思ってたんだ」

な、なんだってェー!! それを先に言えェー!


自分は別に霊感があるわけでもないし、オカルト的なものを信じているわけでもないけれど、でも、なんか嫌~な気分。だってマジに出たらやっぱ怖いじゃんか。

思い返すと、その前日は四国八十八ケ所のひとつである某寺で大騒ぎしていたからなあ。なんかついてきちゃったのかしら。
というよりそういうことにしておいたほうがネタ的には面白いかも。こういう場合。

ちなみに次の夜も同じ部屋に泊まっているが、その夜は特になにも起こらなかった。日中、こんぴらさんを参拝していたので、おそらくそのときに帰っていったのだろう。

なぜそんなことがわかるのか? そのほうがオチとしてきれいにまとまるからだ!


さて、実はこの話にはちょっとした続きがある。

十数年後、ひとり旅として四国に行った。目的はお遍路旅だったので、もちろんくだんの寺にも行った。(ちなみに自分はその寺は見どころも多くてお気に入りなのだが、それは余談か)

その日の宿は、前述のビジネスホテルではなかったのだけれど… と書くとまあだいたいそのあとの展開は想像つくだろう。

出たのだ。

今度は2メートルもあろうかというオオムカデである。

部屋の天井近くのすみにじっとしていた。

「ひゃっ!」と身震いして固まった自分。

すると、オオムカデの姿はスーッと消えていった。

という夢だった。夢だったよね? お願い、誰か夢だといってくれ!

霊感はなくても怖い体験はする。

うん。ようするにそういうことなのだ。なにがそういうことなのか自分でもわからないが。

初出タイトル「闇に浮かぶ白い…」99年5月30日 初出
24年4月26日 改稿

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