卒業証書を捨てるひと
学校で学び、修める。卒業すれば証書を受け取る。
自分も小学校を皮切りに卒業証書は普通にもらってきた。
小学校では卒業式での授与だった。体育館の舞台に一人ひとり上がって証書を受け取る。この小学校は卒業式のリハーサルを綿密に行う学校だった。
うっすらとした記憶ではあるが、卒業証書授与、答辞、送辞、校歌斉唱… とすべてのセレモニーを段取りどおりに練習する。まさに通しリハ、ゲネプロなのだ。なんとも気合の入ったことである。
当時は子どもだったので言われたとおりにリハーサルを行い、そういうもんだと思っていたけれど、今考えるとなぜにそこまで力を入れるのかと思ったりもする。
まあ、やんちゃ盛りの小学生のことだし児童の数も相当に多かった。漏れなくきちんと練習させないと統制がとれないのだろうとも思う。
卒業証書授与のリハも全員きっちり行う。もっとも1番目以降は茶筒、じゃなくて賞状筒に入った証書を受け取るだけだった。全員実施なので相当に時間がかかる。自分は若干の機械的作業に閉口しつつそれなりに緊張もしていたらしい。
校長先生から賞状筒を受け取って舞台から降りる。緊張が解けたせいか筒をくるくる投げまわしながら自分の席に戻ろうとしていた。
すると担任がやってきていきなり怒られた。でもって頭を叩かれた。まあ自業自得だし、そのことは別に根に持っていない。(と言いつついまだに覚えているのだからやはり根に持っているのかもしれない)
そして前言撤回。こんな落ち着きのない子どももいる卒業式、やはりしっかりとしたリハーサルは必要だ。
その後も卒業時には卒業証書を受け取ってきた。証書が茶筒からバインダー形式になったり、全員が受け取るセレモニーではなく、教室などにもどったときに渡されるなどの、手抜き… じゃなくて簡素化した授与になったり、時代とともに変化もあった。それもまた思い出である。
さて、ところで。ついこのあいだ大学を卒業したばかりの新人社員からこんな話を聞いた。
「卒業証書はもうない。必要ないので捨てたと思う。別にいらないし」
え? いまどきってそんな考えかたをするの?
卒業証明書は再発行できるけれど、卒業証書は再発行はできない一度限りの証書だよ、普通は。それを捨てるって…
内心かなり衝撃的だったのでネットで検索してみた。
すると、
・卒業証書は必要ですか?
・卒業証書は捨ててもいいですか?
などなど、そんなサジェスチョンが出るわ出るわ。しかも、それに対する答えも「不要です」「捨てても平気です」といったものがかなり多く表示される。しかも素人の一意見じゃないものまで。
確かに、いるか、いらないか、という要素だけ取り出せば確かになくても困らない。生活するなかで使う機会があるのは卒業証明書や単位取得証明書のほうだろう。
卒業証書は、たまに取り出してほろ苦い学生時代の想い出を振り返るくらいしか使い道はない。あるいは己の黒歴史を消し去るべく卒業証書は封印するという場合だってあるかもしれない。
そういう自分も卒業証書がいまどこにあるのかは曖昧で、なくしてしまったかもしれない。そしてそれで不都合なことなど、なにもない。
でもね。”なくした”と”積極的に捨てる”というのは意味が違うと思うのだ。そこまで自分の人生の証を簡単に手放すなんて。
そう思ってしまうのは自分が歳を取った証拠なのかもしれないし、現在の時代感覚は不要なものは積極的に整理という風潮なのかもしれない。
そのうち卒業証書もデータで提供。あるいは、そもそも卒業証書はつくらないという社会になるのかもしれない。
昨年、早稲田方面に行く機会があった。そのときたまたま卒業生たちが黒い式服と角帽を身につけた一団とすれ違った。「ああ、ハレの姿だなあ」と思ったものだが、いずれそういう景色もなくなっていくのかもしれない。
そんな流れが良いことなのか悪いことなのかはわからない。しかしそれは寂しい考えかたなんじゃないかなあと思うのだ。
初出 24年6月28日