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「パセリは食べる派」になった話
洋食のプレートには美味しそうな料理がのっている。ステーキやハンバーグ、千切りのキャベツ、ニンジンのソテーetc… そしてもうひとつ。
新緑色のパセリ。
プレートに華やかさを加えるいろどりである。
だがしかし。パセリは本当にいろどり要員なのか? お飾りなのか?
いや違う。料理人はパセリも食べてもらうためにのせているのだ。美味しく食べてほしくて盛り付けているのだ。
同じようなプレートにあってなお食べない食材のひとつにレモンがある。しかしこちらは絞ってメインの料理にかけたりするという出番がある。けしてお飾りでは終わらない。
でもパセリはどうしてる? 皿のわきによせてそのままなのでは?
それでいいのか?
さてここで白状するが、自分も昔はパセリには手をつけませんでした。試しに食べても美味しいとも思わなかった。
が。タイトルを読んでわかるとおり、宗旨替えをしました。パセリは食べる。パセリ美味しいじゃん。なんだったんだ、いままでの自分!
きっかけはそんな大層なものではなく、せっかく盛りつけられているなら食べてあげないといけないかなあ、というような安直な気持ちが芽生えたからなのだが、食べ慣れてくると、これがいままでホントごめんなさい的な感じで、パセリの役割を再認識。
ほろ苦さと清涼感が口内をスッキリさせる。味覚がリセットされて、あらめて他の料理も美味しくことができる。なるほどパセリはこのためにいらっしゃったのか。
そんなこんなでパセリを出発点に、自分は意識改革がスタートした。料理についてくるさまざまな食材ももっと活躍の道があるのではないか。そういう考えに思い至ったのだ。
既出のレモンも、絞って終わりではなく、お冷やがあればコップに入れてレモン水にしてみたり。いっそのことビールなどに入れてしまうのもあり。セルフカクテルである。もちろん美味しい。
さらには残った皮を食べることも。レモンの皮のほろ苦さと酸っぱさが味覚を刺激する。
パセリもそうだが、苦味は舌をすっきりさせるのだ。人間いくつになっても新たな発見はあるものだ。
そんなわけで、もったいない精神のエコ活動的なものを目指しているつもりはまったくないが、これまで皿に残してきたものを見直しはじめている。
皿に乗っているものは基本、美味しく食べることで料理が完結する。そういうことである。
たとえば刺身についてくる大根のつま。なんとなく残してきたが大根の持つ辛みが美味である。同じ大根でもおろしたそれとはどこか風味も味わいも違うのが実に面白い。
海老の天麩羅のしっぽ。これを食べる人がいるのは知っていたが自分は遠慮してきた。が、食べ慣れると海老の風味を最後の一口まで楽しめることに気づいた。
まあ、さすがにアサリの酒蒸しで貝殻まで食べようとはしないけれど、鶏の手羽先などの関節の軟骨くらいは美味しくいただく。コリコリした食感が楽しい。
そんなわけで、皿上の食材は基本すべて料理。美味しく食べる派になったわけだが、もっとも会食などでそれをやると意地汚いと思われかねないので、さすがに人前では程々にしてはいる。
が、いずれそうやって全部食べるというのがスタンダードになってくれればいいんじゃないかなあ。と他力本願的に思う昨今なのである。
初出 24年11月8日