河津町・河津桜ウォーキング
2022年2月20日 天気予報では雨マークだったので、残念だけど都内に戻ろうと思いながらスケジュール詳細を見てみると、なになに雨天決行じゃないか!しかも17kmのウォーキング!高齢だと聞いてたけど、気合い入ってるな伊豆歩倶楽部。
ということで、今回は伊豆歩倶楽部の会長・笹本祀長さんからお誘いいただき、河津桜ウォーキングにやって来ました。日本ウォーキング協会、静岡県ウォーキング協会、朝日新聞静岡総局後援、早咲きの桜の季節に歴史を刻んだ今回で24回目となる日本市民スポーツ連盟にも認定されている大会です。
須佐男神社
8時半 気になっていたお天気も集合場所の須佐男神社に到着すると、すっかり雨はあがりました。笹本祀長さんとお会いするのは昨年の11月以来。
東浦路を熱海から下田まで踏破した後、「伊豆東浦路調査報告書」の発行元である伊豆歩倶楽部を訪ねたのをキッカケにイベントのノウハウと南伊豆古道について教えていただいたりしています。
感激です!今回の参加で僕は伊豆歩倶楽部への正式入会となり、名札&ピンバッジを授かりました。会員ナンバー1800番、テンション上がります。
静岡県公式キャラクター・ふじっぴーにのぼり旗を持たせたオリジナルデザインの許可がおりてるのは伊豆歩倶楽部だけなんだそう。もうすでに部員として誇らしいです。
9時15分 出発式がはじまります。会長の挨拶、コース説明、ストレッチ体操とスムースな進行です。今日のコースは、天城山を源とする河津川を上って伊豆の踊り子ゆかりの宿・福田家を折り返し。
復路は3万6千年前の溶岩が冷え固まって形成された佐ヶ野川渓谷から河津桜の原木へ。最後は白砂の今井浜を歩く総距離17.12km。山あり海あり川あり、河津ならでは変化に富んだコースです。
気づけばお天気はすっかり青空が広がってきました。人数確認を兼ねたハイタッチを交わします。伊豆歩倶楽部の団体歩行は歩くスピードや場所は自由。魁(さきがけ)がペースを作り、殿(しんがり)が最後尾を伴歩する。
はじめ僕は殿グループに入りました。お天気の話題に触れた時知ったのですが、ウォーキングというのは基本、雨天決行なのだそうです。
来宮神社
1回目のトイレ休憩、杉鉾別命神社(来宮神社)に到着。拝殿の横には県下でも有数の大きなクスの木がありました。樹高24m、幹周14m、樹齢は1,000年以上と推定されてる国の天然記念物です。
大クスを眺めてたら「伊豆半島を舞台にした小説です。私はもう読んだから。」と下田からのウォーキング参加者の方から時代小説『鵺目狩り』を授かりました。伊豆半島を歩き始めてから圧倒的に本をいただく機会に恵まれてます。
〝歩く〟〝伊豆半島〟というキーワードから連想してくれる皆さんの思いがとても嬉しいのです。このいただいた思いはプロジェクトの実現化に必要なインプットなのでしょう。優先度上げて読書を楽しみたいと思います。
河津桜並木
神社を裏から出て畦道を通り、桜並木のメインストリート河津川へ合流。河津桜は2月上旬から開花しはじめる早咲きの桜。今年は開花が遅く、まだ三分咲きかな。寒い日が続きましたからね。日の当たる場所によって開花の具合が違うようです。むしろ午後は更に暖かくなるので復路はもっと咲いてるかも。
しばらく屋台が続くので、花より団子のお祭り気分になってきました。それでも最盛期より年々屋台は少なくなったと聞いています。
河津川沿いには約850本もの桜が咲き、全体で約8,000本の桜が咲いています。河津桜まつり期間中は夜桜がライトアップされ、ロマンティックな雰囲気が高まります。今年は2月1日〜2月28日までの開催なのですが、3月6日まで延長が決まったようです。
川沿いの遊歩道。上流へ行くほど河津桜を観に来た観光客の姿がなくなってきました。すると今日一で咲いている桜のトンネルが現れました。
桜を見あげたり、山の稜線を眺めたり、川のせせらぎに耳を傾けたり、春一番に芽を出すふきのとうを見つけたり。いつの間にか人里を離れ、のどかな風景になってきました。
川端康成ゆかりの宿・福田家
甘夏畑を越えると石畳の道となり雰囲気が変わってきました。川端康成の名作『伊豆の踊子』の舞台で知られる湯ヶ野温泉です。
『伊豆の踊子』は大正7年の秋、19歳で伊豆を旅した時に旅芸人と道連れになった体験をもとに書かれました。
「私」は初めての伊豆への一人旅で、湯ヶ島で出会った旅芸人の若い踊り子に心惹かれます。天城峠の茶屋で再会してから下田まで、道中の踊り子に対する恋心を旅情とともに綴った美しい短編小説です。
風情あふれる河津川に架けられた橋の先に福田家がありました。物語の最大の見せ場とも言える「私」が温泉宿に泊まり、翌朝、風呂に入っていると、向かいの共同湯から踊子が真裸で手を振ってきた舞台です。
小説には福田家の名前は一切出てきませんが舞台であることがよくわかる光景です。旅は文化や歴史を知ることで、より充実したものとなります。実際、この地に足を運び『伊豆の踊子』を読み返せば、登場人物の息づかい、揺れる思い、濃厚な自然の輪郭がはっきり現れるでしょう。
五分咲きかな。一足先の春満開とはなりませんでしたが、美しい風景の中に鮮やかな桜が映えています。思いを馳せると『伊豆の旅』の一文を思い出しました。
折り返し地点となる湯ヶ野温泉を後にして、下佐ヶ野公園にてお昼休憩。参加者の皆さんは桜の木陰に入りましたが、僕は日のあたる場所に陣取ります。今朝作ってきたおにぎりと直射日光のビタミンDをいただきます。
食後は皆さんからお菓子や飴をいただきました。甘味は消化吸収が早く、食べて数分で血糖値を上げられるので疲れはすぐに回復します。次は僕もエネルギー補給をシェアできるよう何か持ってこよう。
佐ケ野川渓谷
12時45分 人数確認を兼ねたハイタッチをしたら復路の出発です。のどかな集落を往く緩やかな坂道が続きますが、15分ほど歩くと佐ケ野川遊歩道へ降りる分岐点に到着しました。
佐ケ野川渓谷は、約3万6000年前に発生した鉢ノ山の噴火により大室山についで大きなスコリア丘を形作りました。谷間を埋めた溶岩流は、その後の水流により侵食を受けて、いくつもの滝を持つ美しい渓谷を作り出しています。
竹林の渓谷はマイナスイオンに包まれた気持ち良い遊歩道です。清流の流れる音が心を癒します。
以前もこの辺りには来ているのだけど、車移動だったため足を踏み入れなかった場所。伊豆半島には歩かないと出会えない体験があるんだなと改めて実感しました。
三養院の滝には、佐ヶ野川と溶岩が冷え固まるときにできた柱状節理を見ることができます。滝の大きさと比べても非常に大きな滝壺ですが、昔話によると大ウナギが主として住んでいたと伝えられています。
ところが、昭和41年8月に全長1.5m、太さ40cm、重さ15kgの大ウナギが釣れているという記録があるというのだから驚きです。昔話は単なる伝説ではなく実話だったのです。
佐ケ野川遊歩道を抜けると再びアスファルトの道へ。県道を往きます。
それにしても伊豆歩倶楽部の皆さん高齢だと聞いてたけど、健脚で歩くスピードが速いです。無意識に歩く僕のペースだと気づけば最後尾になってしまいます。
聞けば、かつての伊豆歩倶楽部では20km、30km歩くのはざらだったそうです。中には一日で100km歩いたという強者もいました。踏破に17時間かかったそうです。一体どんな精神で歩いたのでしょうか?
河津桜原木
再び河津川の桜並木に帰って参りました。お天気が良いので午前中よりも開花してるかも?!
河津桜は日本でも有数の早咲き桜です。開花時期は天候等に左右されますが、毎年1月下旬から開花が始まります。開花期間は約1ヶ月と長期に及び、他の桜にない特徴が見られるそうです。今年の冬はいかに寒かったのか。開花の遅れが沁みるほど理解できます。
通称・小峰の桜。樹齢60年を越える河津桜の原木にやってきました。
河津桜の原木は、1955年頃に河津町の飯田勝美氏によって河津川沿いの冬枯れ雑草の中で芽咲いている桜の苗を偶然発見され現在地に植えられました。1966年から開花が見られ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月に渡って咲き続け注目を集めました。
この早咲き桜に調査が入り、新種であることを発見。河津町に原木があることから、1974年にカワヅザクラと命名され、1975年には河津町の木に指定されました。
さすが原木強いです。八分咲きくらいでしょうか。
今井浜海岸
最後は河津城跡をぐるりと廻るように峠道へ。標高180.9mと堅固な城山です。
1491年、北条早雲は火攻めして炎上させ落城させました。この時の城主・蔭山氏は消火するため籠城米を巻いたとされ、今でも炭化した米が出土することがあるそうです。
道がくだり始めると海の水平線が見えてきました。一瞬、国道を横切り今井浜へ抜けていく道へ。ここは通ったことがあります。東浦路です。まもなくして白砂の今井浜海岸に出ました。
眼前に広がる太平洋。水平線の彼方から寄せては返すうねり。山あり川あり、ラストは海あり。河津ならではの変化に富んだ充実のコースです。
途中、貝殻を飲み込んだ凝灰岩を見つけることができました。一緒に歩く人がいるとその地にある自然や植生、文化や歴史について実践的に学ぶことができます。
戻って参りました。ゴールは目前です。
15時過ぎ 集合場所だった須佐男神社に到着。伊豆歩倶楽部の会長・笹本祀長さんが待っていました。
笹本祀長さんは足を痛めてしまい、ここ2年は参加できなくなってしまったそうなのですが、車で先回りをして、まるで道祖神のように分岐点に立っていてくれました。
ストレッチ体操、そして総括。
俄然、次回のウォーキングが楽しみになりました。