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異性婚して2人ほど産んで生きるんだろうと思ってたのにね

「将来の夢:およめさん」ってほんと何なんだよ


幼稚園に通っていたおよそ20年前、年中の時に「将来の夢:およめさん」と書いた。きっと22歳くらいには結婚して、24歳くらいには一人目の赤ちゃんを産んでるんじゃないかしら。子供産むなら二人はほしいなあ、そんな幻想を抱いていた、ろくに年齢を数えもせず。

しかもGurl, あーた、例え22歳に結婚するとして、何歳で出会わなきゃいけないと思ってんの?あーしはもうだめよ。あんたの想定通りには生きてない。

初恋:"普通"の場合

早い人だと人生における初恋は幼稚園の先生だったり、同じ組の子だったり、あるいは忍たま〇太郎の土井先生だったりする。自分はそういった逸話を聞くたび、本当にびっくりさせられる。だって自分が当時情熱を傾けていたのは泥団子作りや石拾いだった。忍たま〇太郎もア〇パンマンも熱心に観ていたけど、恋愛感情や思慕の念なんて一分も入り込まなかった。それはおジャ魔女ど〇みや明日のナ〇ジャも同様だった。もちろん普段接する人間にも、誰にも。

初恋:自分の場合

小学生になると、クラスの中で率先して道化役を演じ、皆を笑わせにかかるような男子が気になった。高学年になってからなぜか「すき」と書いた手紙を一人に渡すまでした。人生で初めての告白と言えるだろうが、振り返ってみるとあれは友情との区別がついていない感情だった。他人を笑わせられる、という彼の素敵なスキルを気に入っていたに過ぎず、尊敬とか羨望とも言えるかもしれない。でも彼と付き合いたいとか彼から恋愛感情を向けられたいという願望は、どこにもなかった。
それだから、小学校卒業後に改めて彼から連絡が来てもこっぴどく断ってしまった。彼が私に向けた感情は自分が彼に対して持っていた感情と種類が異なるだけだとその時に理解していれば、言葉を尽くして説明できたかもしれないけど。当時は「友情とは違う何か」が自分に向けられたことを察知して、とにかく拒否して逃避したかった。我ながら何て奴だ。ドンマイ。

何でか上手くいかないのはなぜ

その後、成人して、いわゆる「ああ、彼は"良い人"だよ」と周囲から太鼓判を押されるような男性たちと付き合う機会があった。でもいずれも長続きしなかった。というより、付き合い始めはまだ平気なのだが、だんだん時間が経つと一緒に過ごすことが耐えられなくなった。「確かに"良い人"ではある」とは思うものの、無理なのだ。とにかく彼らが自分に向ける感情と同じ種類の感情を返すことができない。そのせいで罪悪感もあったし、性愛を含む意味合いでまなざされることがとにかく苦痛だった。
これはいわゆる「温度差」なのだろうか。単なる性嫌悪あるいは男性嫌悪か、たまたま相性の問題か、それとも、自分に恋愛感情が欠落しているのか?

"普通"はしたいもんってそれマジで言ってる?

時系列はまた過去へ飛ぶが、中高時代。友人たちが異性との恋愛をいくつも乗り越えていたのに対し、自分は片思いすらしなかった。恋愛をしたい、恋人がほしいという気も起こらなかったのだ。考えてみると不思議かもしれない、だって性欲はあったのだから。でも同級生の「(当たり前に)恋愛はしたいよね」「彼氏ほしい」という不思議と共有された価値観には全くついていけていなかった。恋人がいないクラスメイトと話していたら、彼女は恋愛に興味がないのではなく、むしろ恋愛がしたいけど出来ないだけなのだ、と言われた時には衝撃を受けたものだ。「"普通"は恋人がほしいと思うものなんだ…!?」と。まさに頭を殴られたような衝撃だった。また少年漫画を熱中して読んでいたが、登場人物に恋愛感情を持つこともなかった。

え自分もしかして皆と違う

大学で数人とお付き合いした後、周囲の人間はどのように異性間の恋愛をするのかを見渡しつつ、自分はどうも"普通"の恋愛感情を持てないのかもしれない、と考えるようになった。性自認や性的指向などについて調べ、模索するようになった。するとそれまで自分はシスジェンダーのヘテロセクシュアルだとなんの疑いもなく思っていたが、ノンバイナリーの人の考え方にものすごく共感できたり、そういえば「女子」と一括りにされそうな場面を意識的に回避していた経験が思い当たった。性的な欲求は湧かないが、とても特別な感情を持つようになった同性がいたことを思い出した。数十年近く当たり前のように"マジョリティ"であると信じてきた自分のことが、実はそうではないかもしれないとようやく考え始めた。

自分とは何なのだろう?5歳の自分が思い描いた「将来の自分=およめさん」とは一体全体誰のことだったのか?恋愛に興味はないけどそのうち異性と結婚するだろう、とぼんやり思っていた10代は果たして何だったのか?何も知らなかった頃の「きっとどうにかなるだろ」という自分の方が迷いがなく、今の自分の方がオロオロしている。

何が困るって、自分がこれからどのような生き方をするかが突然不明瞭になったのだ。問答無用でいずれどこぞのシスヘテロ男性と結婚するのだ、という固定観念(f*ck)は崩れ去ったが、では性愛を前提としない関係を作り、一生共に暮らすなどできるだろうか?少なくとも自分の周囲では見たことがない。あるいは、奇跡的に性愛を含めた関係を構築できる運命の人と今後出会わないとも言い切れない。だとしたらその人は異性?同性?それとも…?

やっと結論だ‼️

結論は、ない。未だにオロオロし続けている。性自認がノンバイナリーかもしれないと思った後に、「いや身体違和はないし、制服のスカートだって抵抗はなかった」「でも胸が大きく見えるワイヤー入りブラは嫌だ」「女というカテゴリ内の端っこ?に位置するだけなのでは」「でも日によって気分が変わる」「女子部に入るのは嫌だったから合同部活を選び続けた」「でもきっと女なんだろ(そう考える自分が嫌だ)」「万が一ノンバイナリーを自認したとして、周囲は変わらず女として見るだろう」「一人称"私"は違和感があるが"俺"でも"ぼく"でもない」と思考が揺れ続ける。そもそもノンバイナリーという言葉の定義も、人によって違う。それにこんなに微妙な存在がノンバイナリーを自認してもいいものなのか、確信が持てない。性自認は自分で決めるべきものだけど、一向に答えが出ない。性的指向についても未だに分からない。異性との出会いは黙っていてもあるだろうが、同性とは自ら動き出さないと出会うチャンスはごく僅か。でも、性的指向がはっきりわからないのに同性と出会おうなんてしていいの?

5歳〜10代の自分はそろそろ子供を産んでるだろうと想像していた年齢だけどこんなにオロオロしてる。大丈夫そ?少なくともこういう相談出来る友達がもっといたらなあ。LGBTQIAと自認がはっきりしてればネットで繋がることもできるけど、こんなにも微妙な立ち位置で、シスヘテロですという顔もできなくはないかもしれない場所で、誰かに助けを求めるのは烏滸がましいんじゃないかと思ったりもする。

オロオロするのはもはや致し方ないが、まごつくだけなのも仕方ないので、最近は「女ふたり、暮らしています。」を読んだ。そのうち読書感想文記事書けるかな。

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