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ひとのこゝろといふものハ。

最近
上級に日参するようになった。
毎日
会長と話をするようになった。

たまに
私の話に首を傾げるときがある。
この会長は予てから
【会長職を神格化】する傾向のある人で。
これは私の系統は割と多い。

首を傾げられると
『この人と私は同じ人間なのに何が違うのか』
と、いつもながらに思う。

私は信仰四代目。
先代たちの通り方は
確かに道一条とはならなかったが
形を変えて教会に尽くして来た。

だが、なぜか信者というだけで
凄く軽視されたように扱われる。

たとえば
おつとめでもそうである。
奉仕者になる者。
万年、参拝者のひと。

そうそう。
よく言う【会長の理のお許し】
それは自分一人で勝ち取ったものなのか。

事情運びの折。
会長予定者だけで教祖殿に行く者はない。
役員を引き連れ
沿い願いをしてもらう。

その役員の誰一人として
『誰のお陰で会長になれたと思っているんだ』
という者はない。
だが、相対して
「親(つまり会長)言うことは素直に聞いた方が良い」という会長はいる。

不思議だ。

ある家庭の事情助けに行ったとき。
娘さんから
『産んで欲しいと言った覚えはない』
と母親が言われていた。
ある意味、確かにその通りである。
親への強制的なリスペクトは必要なのか。
どちらかといえば
親の方が『無事に産まれてほしい』
そう願ったように思う。

果たして
親神様は
リスペクトして欲しいと望んでいるだろうか。

ただ。
わかるのは。
【人間が陽気暮らしをするのを見て共に楽しみたい】という親としての純粋な思考。

私も長男が生まれたとき
『この子と楽しい家庭を築きたい』
と思っただけで。
親として尊敬して欲しいとは思わなかったし。
今も思ってない。
そこに親と子の優劣もない。

月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから

おふでさき14-25

愚問はいつも尽きない。

納得出来ない方はスルーでお願いします。

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