こう言う奴が道を踏み外す。
と言う奴が私である。
と言われそうなので、予め書いておく。
私は教会長でもないし。
ただ苦節しながら教人になっただけ。
専修科も出てないし。
天理の学校も出てない。
青年勤めもしてない。
理論武装で理屈っぽいだけ。
それでも
自分が経験した人生を頼りに
自分にしか出来ない【お助け】をしたい!
それだけの話。
私が見てきた天理教は
この【おふでさき】だった。
そこに、苦しんでいる者がいるのに
マゴマゴして、或いは見て見ぬふりして
最後だけ「心配してたんだよ」なんてこと。
だから。
青年勤めをしたりするより
1人でも多くの人の助かりを願いたい。
そう思えた。
どうだろうか。
最強の剣と盾は持った。
おつとめも覚えた(間違えるけど)
おさづけももらった。
この2つの剣と盾。
これのどこに教会長や教内の偉い人の
持ち合わせたモノの違いがあるだろうか。
もしかしたら
ながのねんげん長の年限
使われることなく鞘から出したら錆びてるかもしれんぞ。とすら、思う。
さて、そろそろ
天理教記事書いてみようかな。
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