3年1000日。
理屈を抜いて話します。
年祭活動が始まると
【三年千日】というワードが
まぁよく出ます。
更に10日後。
というのの引用を
年祭活動にあてて引用してると思われる。
たとえば振り返って
年祭を迎えたときに
『あっ!ご守護頂けた』と実感する者が
それほど多いとは私は思わない。
よくよく探し出して
「これがご守護だったんだよね」
くらいの人が多い。
ただ。
ほとんどの信仰者に言えるのが
【明日をも見えない状況から救い出された】
そんな経験から、この道に着いたのではないだろうか。
それを思ったら
こじつけの様なご守護ではないと思う。
ちょうど10年前。
私は信じていた人(この人も信仰者でした)に
裏切られ社会的地位もお金も失った。
満身創痍。
そんな言葉がお似合いだった。
電気代が払えず
数日、ロウソクで過ごした日もあった。
それでも容赦なく教会は御供えを求めて来るし。
これが信仰なのか……と毎日悩んだ。
当時の私は【三年千日】と思い
三年間過ごせば楽になれる
そう思っていた。
年祭を迎えたら
今までの苦労はなかったかのように
心晴れやかに過ごせると思っていた。
だが年祭当日は平常運行。
よく考えれば
1月26日を迎えれば
劇的に人生が好転することはない。
だが、ほとんどの人はそれを願っている。
『三年間、耐えたじゃないか』
それが答えだった。
つまり。
三年間の答えは不足に繋がった。
だが。
これが年祭という日常と違うところ。
思えば。
明治20年陰暦正月26日。
人々は【扉ひらいて】と選択をし
おつとめに臨む。
人々の心は満場一致で
『おつとめが終われば教祖は全快し、いつも通りお導きくださる』と思ったに違いない。
ところが。
おつとめが終わるのを見届けたかのように
教祖は現身をお隠しになられた。
人間と神の考えのズレ。
まして
身近に教祖を感じ
分からぬことを訊ねた者にも生じたズレ。
今日の我々は
過去から学び、思案し、天命を待つしかない日々。
ズレが生じない訳がない。
私もそうだった。
その悩み始めた日から10年掛かった。
やっと普通の暮らしに戻れた。
つまり。
三年間千日ではなかった。
ということ。
日々は
明るく楽しい日もあれば
暗くいずむ日もある。
その3年。
その千日は
暗く辛い日々。
正真正銘。
千日掛かったのである。
今
その千日の辛い日々を思えば。
些細なことが喜べる。
これが年祭の意味であった。
そう感じることができる。
三年千日の終わりの日は
それぞれに違う。
撒いた種の日が違うのであれば
実る日も違うものである。
この日々に
ありがとう
と思える日がきっと来るから
今
辛い思いをしてる人には
頑張ってほしい。
そして
その日々が
あなたにしか出来ないお助けに繋がるから。