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電波戦隊スイハンジャー#36
第三章・電波さんがゆく、グリーン正嗣の踏絵
鉄太郎の孫3
「父さん、私は高野山に入ります」
暗い本堂の中で、二本の蝋燭の灯りだけが正座した正嗣の顔を照らしている。
その目には強い意志の光を宿していた。
正嗣の父、正義は息子の決意を受け取りひとつうなずいた。
「そうか、住職になる決心がついたか」
「はい」
「教職の方はどうする」
「今受け持っている子供たちを送り出したら退職します」
「戦隊の方はどうする?」
「全ての戦いが終わったら、修行に入ります。いつ終わるか分かりませんが、それも仏縁」
正義は息子によく似た細い目を見開いて、正嗣に言った。
「正嗣、おれは大学を出たばかりのお前にすぐお山での修行を許さなかった。どうしてか分かるね?」
正嗣は微笑んだ。
「あの時は分からなかった…しかし今なら分かります。社会人になり、教師の仕事を通して『人間を育てる事』を学ぶためでした。
仏の教えを伝える僧侶もまた然り。
また、在家の人の親も、先輩後輩の仲も、然り。
人間の一番大事な仕事は『正しき人を育てる事』なのだと、やっと先刻、気づきました」
「正嗣、おれはその言葉を待っていた。修行はきついぞ。頑張れ」
「はい、今はやるべき事に精一杯精進したい。今の教え子たちに精一杯の真心を尽くします」
正嗣は父に、深々と頭を垂れた。
父と入れ替わり、泰範が本堂に入り正嗣の前に正座した。
「正嗣はん…」
「私は、殺しの大罪を犯しました。サキュパスの正体がなんであれ、魂を持ったものを殺してしまったのです…」
正嗣が、固く目を閉じた。泰範の眼鏡の奥の眼差しは、優しかった。
「正嗣はん、あのな。
わしは罪を犯した者ほど、その恐ろしさを知っている者ほど、みほとけの教えを魂に刻み付ける事が出来ると私は思うのや。
常に罪に向き合い、心を研ぎ澄ませた果てに悟った者はやがて僧たちと、救いを求める衆生の光となろう。
私もまた、育ての親を裏切りお顔に泥を塗った大罪人」
正嗣は、はっと目を開け、眼鏡をかけた泰範の顔を見た。
最澄と泰範の故郷は同じ近江(滋賀県)、最澄は若い弟子に尋常でない程目をかけ、ついには自分の後継者にと、遺言状にも似た文書で指名した。
それは父が息子にかける「情愛」であったのか、それとも…
咎人、泰範の表情のない顔を正嗣は見つめた。
「最澄師匠は理論派の論客。まあ、あっちこっちで他の宗派の僧に口喧嘩ふっかけてねじ伏せる所がありましてな。
頑固な大学教授に多いタイプです。お蔭で比叡山も荒れに荒れました。
醜い派閥抗争もありました…私は内紛をまとめられず故郷に逃げたのです。
その折、最澄師匠から『空海阿闍梨の灌頂を受けないか』との文がとどいた
…私は思いました。『なぜ、今更他の僧の灌頂を?しかも最澄さまから帝の寵を奪った空海どのから』と、
初めて空海阿闍梨の御坊をお尋ねした時、衝撃を受けました。
宇宙をあらわす金剛界、胎蔵界の曼荼羅、梵語…
そこはきらびやかな世界でした。そして、当時最新の密教を体現した空海阿闍梨を目にして、不遜にも、
『ああ、この方こそまさにブッダへの道を行かれるお方や』と思ってしまったのです。
もう激情を、抑えることができなかった…」
「そんなあなたを、空海さんは受け入れて下さったのですね」
はい、と泰範はうなずいた。
「はっきり申しましょう、私は、最澄師匠の過剰な情けを受け、他のお弟子たちから嫉妬の嵐をを受けました。つまりは比叡山を荒らした原因は、私なのです。
もう修行どころではない。
私は、師匠の情けがうとましくて、師を捨てたのです。空海どのの修行は厳しかったが、本当に心安らかに修行ができた…」
「過剰な情け」の実態についてはもう聞くまい。1200年も前の、過ぎた昔のことだから。
「女犯」(女性と関係を持つ事)を禁じた僧たちの間では、よくあった事なのだから。
「最澄どのを始めとして、天台の僧たちを懊悩させた原因は『これ』かもしれまへん」
と泰範は、はじめて眼鏡を外して自分の素顔を正嗣にさらした。
男の自分から見ても、ぞっとするくらい美しい面だ。と正嗣は思った。
泰範はにっこり笑ってさっと眼鏡を装着した。
「この面のせいでいろいろ難儀しましたな…」
正嗣は宣言した。
「私は行きます、泰範さん。自分の行く道が、どんなろくでもないけもの道でも、進んで行きます」
よろしい、と泰範は言った。
「ただ正嗣はん、私は出家やから言うけど、出家は逃げ道でも、終わりでも始まりでもない。
新たなけもの道の、とっかかりでしかあらへん。魂のある限り、道は続く」
墨染めの衣の背中を向けて、泰範が出て行こうとした時である。
悟が慌てふためき、本堂に入ってきた。
「琢磨くんから連絡があった。オッチーさんと空海さんが重傷だ!
シルバーに負けた…グラン・クリュに早く!!
ちくしょう、なんて外道だシルバーめ!」
お大師…!泰範の顔は蒼ざめていた。
「正嗣はん、はようお大師の所へ!」「はい」
悟、正嗣、泰範の姿が、本堂から消えた。
東京下町、根津にある安宿「したまち@バッカーズ」の一階カウンターは、夜6時から12時まで、軽食と飲み物を出す「barグラン・クリュ」になる。
開業当時は週末だけだったが、利用客の評判が良かったので平日でも開店することになった。
ただし、平日の夜は酒は出さない「軽食・純喫茶グラン・クリュ」である。
閉店は夜10時。社長でバーテンの悟が平日は不動産業をやっているからだ。なんともややこしい店である。
7月16日、新しく雇ったロン毛チャラ男30代の従業員、越智巽が急に店を抜け出したので、
(空海が強引に小角こと巽を祇園祭りに連れだしたのだが)
支配人の柴垣光男は大忙しであった。
一人で接客、調理が出来たのは、故郷岩手で宿屋の主人だった経験があるからだ。
途中で隆文くんが戻ってきて仕事は楽になったが…あのチャラ男、戻ってきたらきつーく説教してやる!!
柴垣さんは怒り心頭であった。
9時40分を回って、客が一旦引いてしまった頃である。
そのチャラ男が、常連客の琢磨くんに支えられて戻ってきたのである。しかも血まみれで。
占い師МAOさん(実は空海)も左肘から夥しい出血をして、金髪ロン毛で金の瞳をした白い学ラン姿の少年に支えられていた。
柴垣さんはパニックになった。
「救急車ーー!!」
フツーの一般市民ならそう叫ぶであろう事を柴垣さんもしたまでなのだが…
金髪の少年が柴垣さんを睨むと、柴垣さんはカウンター内でくず折れて眠ってしまった。
「一般ピープルは面倒なんで、眠ってもらいまし。後で記憶の書き換えもしまし。サトル、閉店にして誰も入れないで」
「はい!」
遅れてテレポートしてきた悟たちはすぐに入口に「close」の札を掛けて、戸をぴたりと閉じた。
「光彦、おまえなんでここにいる?テレポート能力が無いのに」
正嗣が驚いて教え子の光彦を見た。光彦自身、何だかわからないという様子だ麦茶の入ったコップを持って裸足で立っている。
「オレにもわからないよ!喉乾いたから台所で麦茶飲んでたらここにいたんだよー!ってーかここどこー?」
「先生たちスイハンジャーのたまり場だよ。東京だ。長い話になるから説明は後だ…」
「えー!?東京?」
「オッチーと空海を座敷に寝かせて」
と金髪の少年がそこにいた全員に指示した。
「お大師ー!!」と泰範が傷ついた師に駆け寄った。
「泰範、すまん、心配かけて…」
激痛をこらえて空海は無理に笑顔を作った。
開業医の息子で医者を志している光彦でも、そうでなくとも、横たわった二人がすぐに処置を要する重傷であることが見て分かる。
「ひどい…空海さん折れた骨が皮膚から飛び出してる。
開放骨折…たぶんロン毛のおじさんは内臓出血か破裂!
シルバーさん、ドクターなのに人を傷つけたのかよ!!」
「光彦、今何て言った?」
金髪の少年以外が全員、光彦を見た。
「シルバーさんは、ドクターだよ。医者なんだ」
「なんでそう思ったんだい?」と悟が聞いた。
「サキュパスと戦ってる時、オレと妹はシルバーに抱きかかえられていたんだ。
シルバーさんのスーツの下から消毒薬のウェルパスの匂いがぷんぷんしたよ。
病院や福祉施設じゃなきゃウェルパス大量に使わないんだ。
マサの話から当直の仕事をする人だって聞いた。
ナースは3交替制か2交替制だから、日勤の後に泊まりで仕事する『当直』なんて無茶な仕事するのは医者しかいない。
ウェルパスの他にも手洗いの洗剤や、器具を消毒する薬剤の匂いがした。
しょっちゅう手洗いする医者…たぶんシルバーさんは、外科医だよ」
光彦は小角の口から噴き出した血を拭きながら、自分の推理を口にした。
「シルバーが良心ある医者なら、絶対ここに戻って来る。そして二人を治す」
きっぱりと光彦は言った。
「よく分かったな、坊主。コナン君並みの推理力だ、名前は光彦だがな」
少し高めの柔らかい声がした。シルバーの声だ。
身長185センチくらいの灰色の髪をした青年が、戸を開けて入ってきた。
丸いサングラスをしているので目元は分からない。
「We will rock you」と白字で印字された黒Tシャツにジーンズ姿。
手には黒い革バッグを下げている。背後に、二人の外国人を従えている。
いや、外国人にしては容姿が異様だ!
青年の右後ろの若い外人は緑の髪に緑の瞳。
その隣の女性はロイヤルブルーの髪にロイヤルブルーの眼…
2人とも腰まで届く長髪で濃いブルーの手術着姿。身長は、シルバーらしき青年よりも少し低め。
「なんで入ってこれた?カギを掛けたのに」
悟の問いに、青年は入口のほうを振り返った。青年の背後からきららとひこが出てきた。
「ごめんなさい、勝沼さんから知らせ聞いて飛んできて、入口でこの外人さんたちが
『自分たちは医者だから開けろ!』って言うもんだから…」
「そっか、きららさん店の合鍵持ってましたね…」
青年はサングラスを取った。透明に近い、灰色の瞳である。
なんてことだ、シルバーは外国人だったのか!
シルバーは長身の割には小顔。凛々しい形の灰色の眉に、涼やかな目元。すっきりした鼻。口元は甘めである。
眉目秀麗を体現したような美丈夫であった。
「空海さんよりイケメンの実物初めて見ました!ハリウッドスター越えです…
オーランドやディカプも霞みます!」
きららがぼぅっとして青年の横顔を見つめた。
「きららねたん、イケメンに弱いのにゃ…」隣でひこが白けた顔をした。
「違うぞ、じーちゃんがスイス人と結婚したからこんなご面相になっただけだ。クォーターだ。熊本生まれの熊本そだち。中身は日本人だ」
全員が思った事を読んだかのように青年は答えた。
言われてみれば、肌は黄色人種のそれである。彼は物心ついてから、何万回もこの言い訳してきたのであろう。
「光彦くん、患者の傍から離れて。ここからはドクターの仕事だ」
言われるままに光彦は座敷席から降りた。
青年と二人の外人は座敷席に寝かされているオッチーと空海を取り囲む。
オッチーが意識を取り戻した。
「よう、行者。おれが鉄太郎の孫、野上聡介だ」
外科医、野上聡介が善戦した相手に敬意を向けて自己紹介した。
「聡介…髪と目の色は違うが…じいさんそっくりの美丈夫だな…惚れ惚れするぜ」
「しゃべるな」
聡介がオッチーの静脈に翼状針を刺して点滴を始めた。聡介が三方活栓から入れた注射でオッチーはことんと眠ったようだ。
「ライン確保、今から患者をオペ室に運ぶ。ラファ、空海さんのライン確保は?」
「イエス、そーすけ」ラファと呼ばれた緑の髪をした青年が答えた。
聡介が連れてきた外人たちに指示した。
「ちょ、ちょっと待って!野上さんがシルバーで外科医だとゆーのは分かったけど、他の二人の外人さんは?どーやってオペ室に?」
隆文がちっとは説明しろや、おい!と言いたげに聡介に詰め寄った。
ちっ、と聡介は舌打ちした。
「お前、じゃまくせーな。ラファとガブも立派な医者だ。
ただし、俺よりも遥かに経験も腕前も上で、ついでに言うと人間ではない。
二人とも、説明めんどくせーから『正体』見せてやれ」
「いえす、そーすけ!!」なぜか金髪の少年も一緒に叫んだ。
店内に光が満ち、真白な羽根が舞う…
手術着の外人医師、学ランの少年の背中から、純白の翼が生えている…頭頂には、光輪があった。
天使!!その場にいた全員が固まってしまった…。
「我はアーク・エンジェル、大天使ラファエル。『医聖』とも呼ばれる…」緑の髪をした天使が答えた。
「私は、大天使ガブリエル。女性と子供の守護天使である」
ロイヤルブルーの髪をした女性医師が答えた。
「そして、僕は天使長、大天使ミカエル、でしぃ」
白学ランに身を包んだ金髪の少年が威張って答えた。
「お客様、飲食店内ではペットの持ち込みはご遠慮ください」
悟は冷たい声で言い放った。
「えーっ?われわれ大天使が鳥扱い!?」
大天使たちは初めて受けた無礼な仕打ちにムンクの「叫び」のような驚き方をした。
勝沼さん、逆にこの状況でつえーな!!と隆文は思った。
「久しぶりやな、大天使はん…あんたらに色々聞きたいねんけど…」
空海は大天使たちに向かって語り掛けようとするが、すぐにガブリエルの注射で眠ってしまった。
「すべての事は、手術が終わってから話す。これが俺に変身能力をくれた天使たちだ。理由は分からんが、俺の守護者でもあるらしい。オペ室へ急ぐ」
聡介は右手に嵌めていた「神蛇のバングル」を座敷席に面した。壁に付けた。白い石膏の壁面が渦状に歪み、壁にブラックホールのような異空間に通じるワームホールが広がる。
「家主のブルーにはすまんが、この次元の穴から直接俺の治療室へ移動する。
大丈夫だ、俺が傷つけたんだから、誠心誠意以て治す」
聡介は細身の体格にはありえないような力でオッチーの重そうな筋肉質の体躯を抱きかかえた。
「心配ならついてこい。生身の人間がくぐっても害はない、た・ぶ・ん」
意地悪そうに笑って聡介はオッチーを抱えて空間の穴の中に消えた。
「ついて行くよ!ってーか、野上先生、違法改装はおやめくださーい!!」
ラファエルに抱えられた空海に続いて、悟も穴の中に入って行った。
スイハンジャー全員、光彦、泰範も、穴の中に消えて、店内には眠った柴垣さんを残して誰も居なくなった。