電波戦隊スイハンジャー#93
第六章・豊葦原瑞穂国、ヒーローだって慰安旅行
いなおり鉄太郎1
「えーっ、この人が聡介先生のじいちゃん!?」
2013年8月16日の夜、藤崎光彦少年は野上鉄太郎の幽霊を指さし、明らかに腑に落ちないって顔をした。
だって全然年寄りみたくねーじゃねーか!
「まあ生きてたら102だけどよー、死んだら心の年齢ってやつ?30の頃に若がえっちまったい。はっはっはっはっは!」
と鉄太郎は正嗣がくれたあずきバーを立て続けに3本かじってから自分の額をぴしゃり!とはたいて朗らかに笑った。
追手から逃げまくって余程喉が渇いていたのか、それとも単に甘いもの好きなのか。
恰好は鼠色の浴衣姿と昭和レトロな恰好だが、容姿も喋り方も、聡介と酷似している。
髪と瞳の色が同じだったら正嗣だって見間違えていただろう…
「笑ってる場合ではありません、鉄太郎さん!」
正嗣の書斎の椅子ですっかり寛いでいる鉄太郎の袖を空海がきつく引き寄せた。
「なんだよクソ坊主」
「貴方はお盆が終わるたびにこーやって脱走して気が済むまで現世ロングステイを繰り返す問題幽霊。
…流石に私も今年ばかりは始末書を書きたくないので、最強の追手を動かしてしまいました。
ふっふっふ、果たして彼から逃げられるかな?」
「ああん?誰だよ。追手は全部のしちまったがなあー」
最強の追手、と聞いて鉄太郎の目が据わった。
ああ、闘争スイッチが入る時の顔まで聡介先生そっくりなんだなあ。と正嗣はなぜか感心して見てしまう。
ぶるるん、と夜の境内で生々しい獣の鼻息。かつ、かつ、かつ、かつ…
「ねえマサ」
「うん?」
「あれって馬の蹄の音だよね?」
「そうだね」
御用、御用、御用!の叫び声がいつの間にか泰安寺の敷地内に侵入し家屋敷を包囲していた。
窓の外に御用提灯がちらちら光るのが見える。まるで時代劇ドラマの捕物シーンではないか!
「おい空海、まさか『あいつ』を呼んだのか?俺の友達だぜ…」
鉄太郎の声色が急に凄みを増してくる。
「致し方ありませんでした。これも宿命」
空海はしれっとした顔で言い放って形だけの合掌をした。
「てめーのそーいう所がクソ坊主なんだよ!」
ためらいなく鉄太郎は空海の襟首をひっ掴んだが空海は平然としている。
「ま、ま、正嗣…玄関先に来客だが…な、なんなんだ?あれは時代劇のエキストラか!?みんなお侍の恰好しているぞ」
正嗣の父がすっかり来客に気圧されてふらついたまま書斎になだれこんで来た。
空海さん来訪以来、彼の弟子の泰範やシルバーエンゼルの乱入…珍客には慣れたつもりの泰安寺住職だったが、今夜の客はめちゃくちゃ殺気立っているではないか!
「父さん。多分エキストラではなく本物でしょう…」
まったく、盆が終わってから幽霊が千客万来なんて寺があるか!
空海はじめこの幽霊ども、プライバシー侵害も甚だしい。今夜と言う今夜はもう限界だ。
寺として今年一番忙しいシーズンを乗り切って疲労しきっていた正嗣は、父には表面落ち着いた返答をしたが、
「ここからはあなた方で始末を付けてくださいよ!」
と言い捨てて、普段は細い目をぐわっと見開いて騒動を呼んだ空海と鉄太郎を睨み付けた。
追い出されたくない空海は「は、はいっ!」と反射的に答えるしかなかった。
普段穏やかな人ほどキレると凄く怖いんだな、という事実を光彦は目の当たりにした。
「馬だ!馬にお奉行みたいなのが乗ってる」
「ああ、やっぱり来ちまったか…」
住職の横を鉄太郎がふらり、とすり抜けて書斎から出て行く。空海、正嗣も彼に続いた。光彦もスニーカーを履いて玄関から外に出た。正嗣の背後から見た光景は…
玄関先に、鞍を付けた大きな葦毛の馬が佇んでいた。
去年秋の熊本市の祭りの風物詩、藤崎八幡宮の飾り馬追いで見たきりだけど、そうだ、実物の馬ってこんなにでっかくて怖かったんだ…
光彦と馬の距離は2メートル以内。ぶるるん。馬が興奮した鼻息を立てた。
馬にまたがる旗本の陣笠の黒漆が、玄関の灯りを受けて鈍く光った。馬上の旗本は手にした十手を鉄太郎に突き付けて叫んだ。
「火付盗賊改方、長谷川平蔵である!野上鉄太郎、大人しく縛に付けーいっ!」
リ、リアル鬼平ですかー!?
「確かに最強の追手かもですね」顎に手を当てて正嗣は疲れた顔で呟いた。
「生憎そーはいかねーんでね」
鉄太郎はへらへらした笑顔で答えた。「なあ鐵ちゃん」と平蔵に呼びかける。長谷川平蔵、幼名を鉄三郎という。
「喧(や)り合いたくねえのはおれも同じだよ、鉄ちゃん」
下馬して陣笠を取った平蔵の顔がいたって平凡な中年男だったことは、七城親子と光彦を少なからずがっかりさせた。
そりゃ人間国宝歌舞伎役者ほどはイケメンではないだろうとは思っていたけどさ…だが、目から発せられる殺気は尋常なものではない。
この人は相当な手練れだ!と剣道三段の正嗣は平蔵の動きを見て思った。鉄太郎と軽ーく笑って会話をしながら、平蔵はじりじりと間合いを詰めている。
鉄太郎と平蔵、向かい合って時計回りに歩きながら、睨み合い続ける。
やがて、平蔵が刀を抜いて白光りする本身の刃を中段に構えた。
「長谷川さん、ちょっと事情が変わりました」
空海が平蔵の羽織の背中に声を掛けた。
「どんな風にですか?」
「貴方には鉄太郎さんを捕縛せよ、という命を出しましたが、一対一、つまりタイマン勝負で長谷川さんが負けたら鉄太郎さんは私預り、勝ったら鉄太郎さんを冥界に強制送還という事に。
納得いただけますか?」
「納得も納得、こんな分かりやすい話は無い…ふふふ」
平蔵が背中で愉快そうに背中を揺すった。たぶん笑っているのだろう。必殺の勝負を前に大した余裕である。
まあ二人とも幽霊なんだけど。
「い、いやいやいやいや!鉄太郎さんは無手(武器なし)で鬼平さんは刀ってアンフェアじゃねーの?」
と光彦は正嗣の浴衣の袖を引いたが正嗣は
「光彦、もう男と男の勝負に口を挟んではいけないんだ」
と汗ばんだ掌を握り締めて昭和の武神、野上鉄太郎と火付盗賊改方長官、長谷川平蔵の勝負を今か今かと待っているではないか。
あかん、マサまで脳内時代劇スイッチ入ってる…!
「長谷川さん、ハンデを付けます。『ありとあらゆる手』を使って野上鉄太郎に対する事を、許します」
光彦は、空海の言った事が一瞬信じられなかった。すでに刀でハンデ付いてんじゃん!
「ちゃっちゃと済まそうじゃねーか?なあ鐵ちゃんよ」
鉄太郎が腕を組んだままにやり、と笑った。
次の瞬間ぶん!!と台風の直撃のような音が空を切った。
光彦の見た限りでは鉄太郎はただ空に向けて中段蹴りをしただけのように思えた。だが、彼の足先は素足。
消えた下駄は真っ直ぐに飛んで平蔵の刃を叩き折り、哀れ鬼平の顔中心にめり込んでいた。
「ひがらぎゃぷっ…」という平蔵の断末魔が聞こえたような気がした。勝負は一瞬で付いた。
仰向けに倒れ、お頭、おかしらぁっ!と部下の同心達に取り囲まれる平蔵に向かって鉄太郎は言った。
「悪いね、おれの下駄は鋼鉄を仕込んであるんだ」
卑怯なり!と上司を倒されて激昂した同心たちが刀を抜こうとする。
「さむらいってぇのは哀れだあねえー。だんびら(刀)が無きゃ戦いも出来ないのかい?」
鉄太郎のせせら笑いがぬるい夜風の中に響いた。一触即発の気配。
「勝負あり!刀を収めなさい」
空海に鋭い一声で同心たちはしぶしぶ刀を収め、上司の介抱を始める。
「え、えげつねえ~…」
という光彦のつぶやきに対して鉄太郎がおい小僧!とからから笑いながら答えた。
「おれがどうして勝ったのか?文明開化の子ですから!こちとら、百を超える他流試合勝ち抜いてるんだぁよ!」
野上鉄太郎、明治末年生まれ。民俗学、特に産土信仰研究の第一人者。
大学教授退官後は合気道を通じて青少年の武道を通しての人材育成に尽力した。
そして野上聡介の祖父で、育ての親。
人面骨柄卑しからず、と思っていた私が馬鹿だった、と正嗣は目の前の勝負を見せつけられて思った。
やはり血は争えぬ…この人、聡介先生よりDQNじゃないかっ!!
「空海さん、と、いう訳でおれの身柄はあんた預り…まあ正嗣くん『よろしくな』」
あ、空海預りとは、つまり…
野上鉄太郎、現世に気が済むまでロングステイ。ついでに泰安寺に居候決定。