電波戦隊スイハンジャー#99
第六章・豊葦原瑞穂国、ヒーローだって慰安旅行
ケール畑で捕まえて2
ケール畑で悟が消えてから10分後…
1キロ先の畑で薬草摘みをしていた薬師如来ルリオが上半身裸に竹籠を背負っててくてくと、
「サ~ト~ル~さ~ま~、ふええ~ん!」と地面を叩きながら泣き伏す真理子に歩み寄った。
そろそろ休憩しない?って思って来たんだけど…どうもお茶するどころではない事態が起きたようだ。真理子はルリオに気づくと
「ルリオく~ん、サトルさまが消えてしまわれたの…」
「何があったんだい?」
ルリオが手拭いを差し出すと真理子はそれで涙を拭ってくすん、と鼻をすすり上げながら事の仔細を語り出した。
3か月前、家族会議のどさくさで悟に想いを打ち明けたのはいいが、「僕の気持ちが固まるまで待ってて欲しい」と言われたこと。
その時に悟は恋すらした事がない、と気づいたこと。
悟は上司と部下として表面は変わらず接してくれるのは有難いが、堰を切った本流は止められない。
真理子は自分の気持ちをひどく持て余した。彼の気持ちを1日でも早く確かめたい、距離を縮めたい。
もっと本音を語り合いたい…そんな考えがぐるぐる頭をようになって、どうすればいい?と相談した相手が智慧の神様で小人の松五郎。
「好きだったら押し倒してしまえ、よいやさ」
というアドバイスを頂き、本日二人きりになったチャンスを狙って決行したのだが。空間から出た褐色の手に悟が引っ張られて消えてしまって、作戦が失敗に終わったことを真理子はルリオに打ち明けた。
「それにしてもノーブラでサトルに抱き付くとは大胆だね、松五郎の入れ知恵?」
「いえ、私も殿方と接触した経験がありませんから…」
「って、バージン?」
はい、と真理子は恥ずかしそうにうなずいた。
「27なのにまだ口づけの経験もありません…8才の頃からサトルさまばかり見てましたから」
今時珍しく純情な話だな、とルリオは思った。小学校高学年で初体験するこのご時世なのに。
「昨今のケータイ小説や少女漫画を参考に『気になるカレを落とすテク』をお勉強いたしました」
「参考書が悪い!あのねえ、今の少女漫画はレディースコミックより過激なんだよ。
内容は恋愛のイロハじゃなくて『どう交尾に持ち込むか』じゃないか。
あんなオ〇ペット作品が商業紙に掲載されていて女子小学生が読むなんてぞっとするね。そんなだから心の通わない体だけの恋愛が横行するんだ」
いまルリオくん、如来のくせにオ○ペットって過激発言した!?
真理子はぎょっとしてルリオのあどけない褐色の横顔を見た。
そういえば「ルリオは見た目は子供だけど中身はただのスケベ爺なんだよな」ってサトルさまも言ってらしたわね…。
「サトルさまは、帰っていらっしゃるんでしょうか…」
真理子の声が頼りなくケール畑の中に消えた。
「帰って来るよ、僕達も家に帰って待とう。ここで待ってたら熱中症になっちゃうよ」
ルリオはすばやく軽トラの助手席に乗り込み、行こう、と真理子を促した。
「どこに?サトルさまを連れだしたのは誰?」真理子は軽トラの運転席でエンジンを掛けながら聞いた。
「孫悟空を手のひらでもてあそんだいけずな奴だよ」
ルリオの指示どおりに勝沼家邸宅に帰ってシャワーを浴びて普段着に着替えた真理子は、勝沼家庭園の一角にある温室の、葡萄樹の古木の元に来た。
古木は緑色の葡萄の房を付けて葉を広げ、いつものように真理子を迎えてくれる。
勝沼酒造の全てはこの樹から始まった。
言い伝えによると130年前に甲州に流れ着いた二人の元武士、一人は悟の先祖でリストラされた旗本のせがれ、もう一人は真理子の先祖で食い詰めた薩摩士族。
この二人が「国産ワインを作ろう」と品種改良を重ねた葡萄樹をこの地に植えたのだ。それが勝沼酒造の前身、勝沼ワイナリーの始まりである。この樹が、最初の葡萄樹だと言われている。
この葡萄樹は百年以上の長きにわたりルリオが休眠していたために長寿となった、いわば勝沼家の記念樹である。根元には悟の高祖父が祀った小さな道祖神がある。
「実はこの樹の根元は仏の世界と繋がってるんだ。サトルが帰って来るなら『ここ』しかないね」
Tシャツにジーンズ姿のルリオが氷水の入ったピッチャーとコップをトレイに載せて現れて、ガーデンテーブルの上に置いた。
「いつ帰ってらっしゃるのかしら?」
「まあ2,3時間で帰してくれるよ。ほら水分補給」ルリオが入れてくれたコップの水はほんのりレモンと塩の味がした。おいしい、と思ったと同時に真理子はごくごくと水を飲み干していた。先刻からの緊張で相当喉が渇いていたのだ。
「真理子さん、あなたは19年間サトルを思って来たけど、サトルの方がまだ心の準備出来てないんだ。彼の恋愛スキルは中学生以下だよ」
そう言ってルリオはテーブルの上に少女漫画コミックスの束をどさっ、と置いた。
「それでは真理子さんにテーマ『純愛とは』のマンガ説法を始めます。お題は柊あおいの『星の瞳のシルエット』!」
「お願いいたします、如来さま!」
星の瞳のシルエット全10巻、それは250万乙女のバイブルと呼ばれた不朽の名作。「心の恋愛」を学びながら二人はゆっくりと悟を待つ事に決めた。
ちなみにヒロイン香澄の親友の名前が真理子というが、これは全くの偶然である。
一方、仏界では…。
四季の花々が咲き誇るお花畑でブッダと悟が英国式ティータイム。スコーンは焼き立て熱々、付け合わせのリンゴジャムとクロテッドクリームをたっぷりと塗ってかじりましょう。
ブッダが淹れてくれたスリランカティーはコクと甘味があって決して苦くは無かった。お湯の温度も抽出時間も完璧。ブッダは相当の紅茶道楽だな…と悟は思った。
「ところで悟さん」
アボカドクリームのミニサンドイッチを紅茶で流し込んだブッダが唐突に聞いた。
「は?」
「生まれ変わったら何になりたいですか?」
…悟は少し考えて「失礼ながらそれは愚問です」と答えた。
「ほう、どうして?」
ブッダの口元はにやにやしていた。なんか禅問答を仕掛けられた気分だな、と悟は思った。
「今与えられた人生を後悔なく生き切ること、それが出来れば来世なんか必要ない。大事なのは前世でも来世でもなく今生、『いま』だからです」
悟の言葉を深く呑み込むような沈黙の後でブッダがこくり、と頷いた。
「正解です。勝沼悟、若いなれど傑物なり。あなたは企業の経営者どころか一国の宰相も務まるやもしれぬ」
とんでもない!と悟は慌てて首を振った。
「たった一言の本音で揚げ足取り合う政治の世界は、僕には向かない。せっせと酒類や清涼飲料水売って社員を養うことで精一杯ですよ」
「そうですね、貴方は善人すぎる。人一倍仏心があるのに、商売敵が多いから悪ぶっているだけですもんね」
短い間の問答だけで自分の本質を見抜かれて、悟はこれが、ブッダか。「本物」は凄いな…
驕らず、騙らず、自然体でいる。
「ならもう一つ聞きますが、30年程前から現世の者たちが精神世界にのめり込んで前世の仲間探しをしたり、当てもなく世界を放浪したりする現象が特に若者の間で加熱しました、貴方はどう思います?」
「いわゆる『自分探し』というやつですね?僕は現実主義の不信心者だから言いますが…
そんなものは、時間の無駄です。そんな暇があるなら、今の自分の家族、友人、職場の仲間を大事にしなさいよ、と僕は迷い人たちに申し上げたい」
重畳、重畳、とブッダは満足そうに微笑んだ。
「2500年前、私が弟子たちに説いた原始仏教の本質は『いまを生きる』、そこにあります。私の生前も人々がヒンドゥーの身分制度に縛られていた苦しい時代でした
…まるで人生そのものを放擲したくなるようなね」
「現代社会の人間も、そうなんではないかと思います。内面ではこんな人生棄ててしまいたい、と思っていてもそれは不可能だから少しずつ、現実から逃げる。
SNSで自分を喧伝し、ネット社会のみで本音を語り、精神世界にのめり込み、占い師に法外な金を支払い精神の安寧を得る。
まあ今時の若者は擦れてしまっていますからスピリチュアルブームも廃れてしまいましたけどね。僕が問題に思うのは、シッダールタ王子…そこからカルト教団が生まれる事なんですよ」
そこからの言葉を言いにくそうにしている悟にブッダは続けていいですよ、と促した。
「ウカノミタマ神が教えたくれた敵組織、『プラトンの嘆き』は潤沢な資金力と高い科学力を持ったカルト教団ではないかと思っています。
そのトップの人物には信仰心なんてない。他者を意のままにしたい、という欲求を満たすために宗教を利用しているだけです。
西洋ではカルト教団のトップを『マスター』と呼ぶそうですね。先月戦った怪物、サキュパスの言葉『マスター』から僕は、敵はニューエイジ系のカルト教団なのではないか?
既存の宗教の教祖を崇めるのではなく、マスター(自身)を崇める集団だと…それは、カルトです」
「カルトの問題点は?」
「社会に迷惑をかけない範囲で宗教活動やっていれば問題はない。
問題は、マスターが、金、人材、武器などの暴力的手段を手に入れたらそれは信仰でもなんでもない。ただのテロリズムです。マスターは政治的野心を抱くようになるでしょう。
そうなりゃファシストを生み出します。どこかの国とは言いませんが、
とっくにファシストに支配されて国民がびくびくしている国なんて、いくつもあるんですよ。日本はまだ平和な方です」
「プラトンの嘆き、をどう思います?」
「マスター自身は、非常に知的で魅力的な人物だと思います。うっかりお布施しちゃうくらいな、ね。
でも表社会に出る愚はやらない。自分が虜にした財界人、科学者、政治家を操っているんです。つい10日前の榎本葉子との戦いの時、彼女に憑りついていた精神体の狙いは、実は祖父の指揮者ミュラーだったんじゃないでしょうか?
世界のマエストロは、広告塔として魅力的です。僕はマエストロが既に知り合っている人物ではないかと思って先日マエストロ自身に調査をお願いしました」
「返事は?」
「快諾を戴きました。『葉子を守るためなら危険は厭わない』と。彼のファンは貴族、王族、財閥トップが多い。何処かでつながるかもしれない」
うーむ、と悟の話を一通り聞いていたブッダはそこまで絞っているのか…
と彼の分析力と行動力に感心した。しかも悟は「自分がもし組織のマスターだったら?」という極めて客観的な思考で事を進めている。
「僕も出来る限りの人脈を使って調査を進めています。イエロー琢磨くんも彼独自のつながりで公安からも情報が得られてるようですからね。僕は体を鍛えつつ、情報を待つだけです
…聡介先生から『体力つけないと戦士不適格!』と診断されちゃいましたからね」
悟とブッダはプレートを空にし、紅茶を飲み干してしまってからほぼ同時に空を見上げた。
ここが仏界…見上げれば、銀河が丸ごと渦巻いている夜空の光景に悟は言葉を無くした。
「星ではありません。輪廻の輪です」
「え?」
「この星のように見える光の一個一個が、銀河系で生を全うした魂たちです。ここ須弥山の上空で最低50~60年かけて記憶を消去していきます…もう終わってしまった人生の記憶は来世には負担になりますからね」
成程。違う人生を体験したいから魂は生まれ変わるのか。
「未練を残したらそれを果たしに、罪を犯したらそれを償いに転生を繰り返し、今世でやるべき事を果たした魂は冥界で安らぐ…そういう仕組みです。私の仕事は全ての魂の輪廻転生の管理」
なんて壮大すぎる話なんだろう、僕なりの知識と今見ている光景から推察すると、輪廻システムの正体は、何千年にも渡って魂の生前の行いの帳尻を合わせる超長期ローン?
「まあそんなもんです。金融業とは面白い例えですねー」
ははは、とブッダが軽い笑い声をたてた。そうだった。この人には思考はダダ漏れだった…
「やっぱり罪を犯したら利子は付けるんですか?」と悟が冗談のつもりで言ったら
「もちろんですよ」と軽い調子で恐ろしい答えが返って来た。
「私たち仏族の掟は、闇金よりも恐いんですよー…なんて冗談ですけどね。一人じゃ無理だから他の仏族、菩薩や天に手伝って貰ってますけどね…ほら来ましたよ、インドラ(帝釈天)よ」
長身で複雑な髷を結った褐色の男がブッダと悟のテーブルに近づいてきた。
服装は上半身裸に透けたオレンジ色のサリーを纏い、下半身に大きな1枚の布を巻きつけている。これが、須弥山での仏族の普段着なのだろう。
「シッダールタ、さっきから話を聞いていたが悟は極めて冷静、かつ現実的。ある意味お前の教えの具現者かもな」
帝釈天は快活そうに笑ってからじっ、と品定めするように悟を見た。
太い眉に意志の強そうな目、厚い唇、鼻梁がしっかりしたアジア系美丈夫といった顔立ちである。思いだした、帝釈天は女たらしで有名だった。
「悟、という名前なだけにね。あなたこそ、迷える野上聡介を救えるのかもしれない…」
え、野上先生に何かあったのか!?
「悟、私が話せる事はここまでです。蘇りの始まりの地で全てが明かされるでしょう。インドラ、送って差し上げて下さい」
まあついてこいや、と帝釈天が悟を促した。
悟が元来た道筋を辿る途中で帝釈天が立ち止り、夜空に浮かぶ輪廻の輪を見上げて気象予報士が明日の天気を伝えるような事務的な口調で呟いた。
「人間が堕ちちまってるから現世には転生したくない、と訴える魂が多すぎてね…
お前さんには渦が動いてるように見えるが、実は停滞しているんだ。
いかんな…こういう時はジェノサイド(大虐殺)の予兆なんだよ、ま、続きは帰ってから。『頑張れよ』」
空を見上げていた悟の背中を帝釈天はどん!と叩いて…須弥山から悟は突き落とされた。
悲鳴を上げる余裕も無かった。
虚空を落ちていく悟の横を見覚えのある惑星がいくつか通り過ぎた。
そして、青い地球。島国、日本。どん!と芝生の上に悟は転がり落ちた。
その頃勝沼家の温室では「星の瞳のシルエット」全巻読み終えた真理子とルリオが
「う、う、久住くん…」「香澄ちゃん…」と今はもう忘れ去られた純正少女漫画恋愛的展開に涙していた。
「これが、甘酸っぱい恋なんですね?薬師如来様、勉強になりました…」
「恋を通す前に、相手を思いやる心が大事なのです。マンガ説法終わり」
真理子さん、なんでルリオを拝んでるの?そしてルリオ、珍しく「仏」してるじゃないか…
「あ、サトルさま!」
「サトル!おかえり」
葡萄樹の下にうずくまっていた悟はゆっくり立ち上がって大きく伸びをし、すっかり暗くなった空を見上げた。
あ、一番星…。なるほどね。須弥山は金星にあるのか。
「ねえ、シッダールタは僕のこと、なんか言ってた?」
ルリオがおどおどした顔で悟を見上げた。
「ああ、素行が悪いからおしおきしてやろうとね」
悟はわざと意地悪い笑顔をしてみせ、げっ!とルリオが真に受けるのを面白がって見た。
「サトルさん、もうあんなことしませんから…ごめんなさい」真理子が半泣きになりながら頭を下げる。
真理子さんのせいじゃない、僕の煮え切らない態度がこの人を不安にさせているのだ。悟は十分分かっていた。
「真理子さん、そのう、僕も歩み寄るようにしますから…そうですね、ちゃんとした『デート』とか、考えときますから」
デート、という言葉を初めて悟から聞いて真理子は「はい…お待ちしております」と素直に肯いた。
その仕草を見て悟は可愛いな、と思っている自分に気づいた。これが「好き」という気持ちなのかどうなのか、隆文くんに聞いてみよう。
悟の胸ポケットのスマートフォンがぴぴぴぴ、と鳴った。画面には「七城正嗣」の文字。
「はい、もしもし」
「ああ勝沼さん、いま時間ありましたら泰安寺に来てもらえますか?琢磨くんときららさん、隆文くんも来てます。実は…」
「野上先生に何かあったんでしょ?」電話の向こうで正嗣の短い沈黙があった。
「…どうして知ってるんですか?」