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完璧な女

倫理をドブに棄てた愚かな男たちの足音が聞こえる…

西暦415年

古代ローマ帝国の天文学者、

ヒュパティアはうず高く積んだ自分の著作の山の上に身を横たえ、虐殺と復讐の快楽に酔ったキリスト教の暴徒たちの前で

ソクラテスの最期を真似て毒杯を掲げて、

「思考の放棄はこの世を悪夢にする…この世に地獄を作るのはお前たち!」

と言い捨ててから中身を飲んで、油を染み込ませた書物に火を放った。

その炎で、何人かの狂信者たちが火に巻かれた。

紅蓮の炎と黒煙の中、「完璧」という名を持つ絶世の美女が死んだ。

新プラトン哲学の継承者であるヒュパティアは天国地獄の存在なんてない。

死後のことは死んでみなければわからない。

という考えの持ち主であった。

私は何処にいるのだろう?

気が付くとヒュパティアは、全面藍色の石で作られた宮殿か神殿みたいな場所にいた。

見上げると漆黒の空には夥しい数の輝く渦。

これは星のかたまり…銀河だわ!ああ、望遠鏡があればつぶさに観測したい!

「望遠鏡が欲しければやろうぞ」

と背後から声がしたので振り返るとそこには藍色の異民族の衣装を羽織った、藍色の髪の若い男。

「テオンの娘で『完璧』の名を持つヒュパティアよ。お主にこの銀河の力の調律を任せたいのだが」といきなり男は言った。

「どういうことよ!私に神様になれって事なの?」ヒュパティアが混乱した。

「残念ながらお主を殺しにかかった男どもが信じる神なんていない。このわしだって宇宙を管理、観察しているだけ」

と藍色の瞳を歪めて男は笑った。

「宇宙の始まりは、貯まりきった膨大な質量の全開放…私の考えは正しかったのね!」

ヒュパティアは落ちていたチョークを拾って床に思い付くまま数式を書きなぐり、

「よし、解が出たわ!」

といつの間にか側にある巻物を広げて数式を書き付ける。

室内は彼女が生前使っていたアレキサンドリア図書館の研究室…天体望遠鏡、天球儀、天秤、自ら燃やした書籍が整然と並べられた棚がそのまま再現されている。

男は続けた。

「ヒュパティアよ。お主は数学者で物理学者で天文学者で、一生処女のままで崇高な死を遂げた…お主ならこの銀河に渦巻く膨大な力のバランスを調律できる」

やりがいのある仕事。それが彼女が一番欲するものだった。

「やります、やらせていただくわ。ところでその調律の対象に地球はあるの?」

「もちろん、好きにしてよい。わしはいささか仕事に疲れた…しばらく休みたいので後はお主に任せる」

旅の道具が入った革袋を担いで男は消えた。

こうしてヒュパティアは、地球を含む銀河の神になった。

もちろん彼女にとって、「神」とは役職でしかなく、生まれた星も観察の対象でしかなかった。

数式を作り、星の軌道を動かし、隕石がぶつかり合って膨大なエネルギーが生まれぬよう調律と管理を1700年続けた。

ある時ヒュパティアは、地球の男どもの弱者への暴虐がちっとも変わっていないことに気付いた。

自分でものを考えない人間の行く末なんて知ったこっちゃなかったけど…

私を死に追いやった男どもの暴力は、醜い。

彼女は美しいものしか受け付けない。そういう女性だった。

どうすればよいのか?しばらく考え込んだヒュパティアの脳裏にあるアイディアが浮かんだ。

「うふ、うふ、うふふふふ…」

嬉々としてヒュパティアは自分が構築したプログラムを「遂行」した。

2015年、日本武道館。

舞台の上では8等身の愛くるしいアイドルが機械合成した歌声でくるくる回って踊っている。

それに歓声をあげて光る棒を持ってヲタ踊りをするのは世界各地から来た男たち。

ボーカロイド、琴音ミウの日本武道館ライブは満員御礼。

座席の最後尾で踊る男たちに向かってヒュパティアは心で語りかけた。

あんたたち、かわいそうよね。触りも抱きも出来ない仮想の「完璧な女」にしか真の愛情や稼いだ金を注げない、

そうやって男は現実の女から逃げて、どんどん惰弱になっていくのよね。
女が「要らない」ってレベルにまで男を弱くするのが私の目的。環境は整ったわ。

「それにしてもバーチャルアイドルとは考えたのう」

と旅のお土産袋をいくつか提げてヒュパティアの前に現れたのは、前の調律神だった藍色の男。

「お久しぶりです…!」と挨拶するヒュパティアに男は

「1700年よくやった。配置替えゆえお主、天の川銀河管理神に昇格じゃ」

ヒュパティアは恭しく辞令を受け、
「そういえばお名前をまだ」と男に名を問うた。

「わしの名前は、この日本ではアメノミナカミノヌシ。
アニミズムの神、と呼ばれる…まあ『アニメの神様』かな?」

とくすりと笑ったアメノミナカミノヌシは土産の袋をヒュパティアに手渡す。

「辞令、慎んでお受けいたしますわ、まあ、美味しそうな茶団子」

と言ったヒュパティアの顔には、積年の復讐をやり遂げた満足の笑みが浮かんでいた。

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