電波戦隊スイハンジャー#109
第六章・豊葦原瑞穂国、ヒーローだって慰安旅行
野上の姓2
旅館から帰る途中、隆文は「夕飯はおらが作る!」と何やら張り切って食材を買い求めていたが…
隆文のエコバッグから出てきたのは鶏肉、人参、大根、ごぼう、小松菜、麦みそに小麦粉…だし用に干ししいたけと鰹節だった。
「どう見ても『だご汁』を作る気ですね」と正嗣が言われるでもなく野菜を洗い始めた。
父と二人の男所帯で当然のように料理している男の行動であった。
「だごじる?おらはすいとんを作る気で買ったんだべ。ここのかまど見て、死んだばあちゃんが実家のかまどですいとん作ってくれたの思いだしてよ…」
「熊本ではすいとんの事をだご汁って言うんだよ」
と言って聡介が立ち上がって長そでTシャツの腕をまくる。
正嗣に続いて他のメンバー全員で手分けして野菜を洗って皮を剥いたり、と手分けして下ごしらえをしたので後はかまどに火を付けるだけになった。
「ところで干しわらはねえか?」
と隆文が言うので、車で5分ほど行った先の興梠本家まで手土産を持って訪問する事になった。
聡介が黒川温泉の土産屋で余分に小狸まんじゅうを買っていたのは本家のためか、と助手席で隆文は気づいた。
「本当は先に挨拶する筈だったんだけどなあ…」
と照れくさそうにどしんとした構えの大きな農家屋敷、興梠家の呼び鈴を聡介は押した。
「あらー、聡ちゃん!久しぶりたいねぇ」
と小柄な老婆が今にも畑に出かけて行きそうな紺色の野良着姿で迎えてくれた。
白髪の長い髪をお団子にして後ろで束ね、色白でふくよかな笑顔。
もう床の間に飾っておきたいくらい可愛らしいおばあちゃんである。
「…この人が、さっき話したフクばあちゃん、俺の大叔母で今年92才になる」
「け、健在でいらしたのか!」
興梠フクは耳が遠くなっているので二人の会話が聞こえないがずっと笑みを絶やさなかった。
突然の兄の孫の来訪を喜び、玄関の式台に聡介を座らせ自分は上がり框に腰掛けてしっかりと聡介の手を握った。
「いま息子も嫁も畑仕事っでなあーまあ上がっていきなっせ、弘子さーん!」と家にいる孫の嫁を呼ぼうとする。
「ちょ、ちょっとばあちゃん。今日は友達待たせとるけんごめん!」
と聡介はフクの耳元で大きな声を出して片手で拝んで詫びる仕草をして見せる。
ほどなく、はあいと50代くらいの女性がエプロンで手を拭いながら玄関に出て来た。
「あらあら聡ちゃん!」とフクの孫嫁弘子も聡介を見るなり嬉しそうに手を組んだ。
「ばあちゃん、補聴器忘れとるよ」と弘子がフクの耳に補聴器を差し込んであげた。
「えー、泊まっていかんと…?」
ただ干しわらを貰いに来た、という隆文の説明を聞いてフクも弘子も、がっかりした表情を隠さなかった。
鉄太郎の末孫、聡介は幼い頃から興梠家にとってアイドル的存在だった。
「わらなら物置にぐっさ(たくさん)あるけん持っていきなっせ」
とフク自らが物置から干しわらの束をかついで車の荷台に積んでくれる。
「手伝うと『年寄り扱いするな』って怒らすとよ…」と、弘子おばさんは困ったように側で見守っている。
「もう90過ぎてるのにねえ、さすが若い頃から農業やって来た人は強かよ。
私は介護を頼まれて同居したとだけど、必要…なか!と日々思っています。まあ耳が遠いから傍にいてあげないと、だけどね」
そう言って弘子おばさんはレジ袋一杯のいきなり団子を持たせてくれた。
「わらん方が薪より熱が強くて早く炊ける。若かくせにかまどの使い方に慣れとらす。さすが新潟の米農家ねぇ…」
と別れ際フクは隆文の頭をよしよし、と撫でてくれた。ば、ばあちゃん…と隆文は亡き祖母を思いだして眼頭に熱い物を感じた。
おら、来年二月には父親になります。ばあちゃんのひ孫だべ…。
「びっくりした?」運転席からいたずらっぽく聡介が聞いたので「びっくりしたべ!すごくな」と素直に隆文は答えた。
まったく、さっきまで戦時中の話してしんみりしてたらその登場人物に会えたんだもん!
「フクばあちゃんも2人の子供育てながら出征した大叔父さんを待ってたんだ。
お嬢さん育ちで妊娠したばかりのフロールばあちゃんを一番助けてくれた、野上家の恩人だよ。今じゃ孫5人、ひ孫13人いる」
はぁー、かくありたいべ。と隆文は小柄な老婆から見事な人生の集大成、というものを感じた。
かまどの燃料が届いたので早速かまど口の中に隙間を空けてわらを入れ、点火。先に隆文が指示した通りに窓と玄関を開けといて正解だった。
綺麗な橙色の炎が上がり、続いて煙がもうもうとかまどから土間中に広がった。
「んもう、BBQより興奮するじゃないの!レッドちゃんやるぅー!」
と蓮太郎が隆文の背中を叩いた。
はじめちょろちょろなかぱっぱ、じゅうじゅう噴いたら火を引いて、赤子泣いても蓋とるな。
がかまどで飯を炊く鉄則だが、わらで米を炊く欠点は、常にかまどの前から離れられない事。隆文は汗だくになりながら30分、火の管理をし続けた。
だご汁のほうは先に野菜に火が通ってる、後は味つけするばかり。
だが、入れる味噌の量で濃い塩味好きな山梨県民の悟と、薄めの麦みそ味が好きな聡介が揉めた。
「大体何事も薄味がいいんだ!かの日野原先生も塩分の基準どんどん減らしているし」
「生き方上手でなくともいい、しっかり味付けしたものが食べたい!」
まーたブルーとシルバーかよ…レッド隆文は本気でイラッとして、つい二人に怒鳴ってしまった。
「おまえらいい加減にしろー!味付けは間を取って京都在住の蓮太郎さんが決める」
「あの、アタシ白味噌で育った子なんだけど…」
とは言ってみたが、珍しく怒る隆文に迫力負けして結局蓮太郎が味見しながら麦みそを溶いて入れた。
「うん、これでいいんじゃない?」
と最終的に他のメンバーにも味見させて本日のディナー、
新潟魚沼産コシヒカリで炊いたかまどのご飯おにぎりと熊本の郷土料理だご汁の「新潟と熊本のマリアージュ御前」が完成した。
聡介と隆文以外、初めてかまど炊きのご飯を食べたメンバーは、おにぎりを一口かじるなり、「お、おいしい…」と言うなり無口になり、空腹も手伝ってかあとはがつがつと白く輝く三角の塊をむさぼり、野菜の味がうまく引き出された熱々の汁を椀が空になるまで啜った。
腹を満たし、ペットボトルの冷たいウーロン茶を飲んでやっと7人の若者は、ひと心地着いたのだ。
「ねえ、ここの奥の間に古い金庫がありますよね?」
唐突に、琢磨が言った。そう、昼に大掃除が終わった後で琢磨が奥の間の襖を開けてみたものは、きららの胸だけでは無かったのだ。
琢磨は洗濯機の大きさ程の古い金庫を、目ざとく見つけていた。
「あー、あれね?番号知ってるじいちゃんが死んじまったし、そのままにしてあるんだ」
満腹になって板の間に寝そべっていた聡介があまり関心なさそうに言った。
「…開けてみません?お宝が眠ってるかも」
「お宝って、遺産相続はもう終わってるし。わざわざ叔母さんと俺達3兄弟の相続分を指示した遺言状を弁護士に預けてた位金にきっちりした人だったんだ。今更何が…」
「さんせー!夜の藤岡探検隊ですっ」
きららが面白そうに声を弾ませて聡介ににじりよった。
「だって、夏のキャンプの夜といえば肝試しor宝さがしですよ!」
うーん、キャンプじゃなくて家宿だし、夜のイベントの定番に宝さがしあったっけ?ってくらい彼女の意見は少しずれているが、たまには非日常もいいか、と聡介はあっさり金庫を開ける試みを許してしまった。
どーせ大したモノ入ってねえだろうし…
「しかし琢磨、番号も分からない金庫をどうやって?」
「野上先生は常に聴診器持ってますよね?」
琢磨がドラマで鍵師がよくやる方法で金庫を開けるのだ、と聡介はすぐ理解した。
「お前、聴診器はそんな事に使うもんじゃねーよ、って…一体どんな生き方してきたんだい?」
「人には言えない事」
にこり、と琢磨は可愛く笑ったが正嗣はその作り笑いになにかひやりとするものを感じた。
あの子、隠(オニ)なんだろ?凄まじい生き方してきて当然だ。慮ってやれや…
天井のほうから鉄太郎の独り言が正嗣にだけ聞こえる。
鉄太郎さん、何で小角さんの隠密組織を知っているんですか?あ、いや…昭和15年の1月に野上鉄太郎がスイス入りしていた理由の一つに、ある荒唐無稽な噂が囁かれていた。
野上鉄太郎スパイ説。
そうだ、鉄太郎さんは鞍馬山で小角さんと出会っていたではないか。
世界恐慌で流通を絶たれ、資源が枯渇していた日本の現状に危機感を持った小角は、一時的に鉄太郎を隠(オニ)と呼ばれる組織のメンバーに加えていたのでは?
正嗣が考えを巡らせている間に他の若者たちは遊び半分で奥の間に入り、琢磨が金庫の扉に聴診器を当ててかちかち…と細かにダイヤルを回して開錠を試みている…
「開きました」
琢磨の声が若者らしく興奮していた。
重い扉が開かれ、中から出てきたものは「聡介へ」と万年筆で書かれた白封筒と、白木の懐剣、懐剣の鞘には…銀河を象った渦巻き模様の焼き印。そして、古い懐紙。
…懐紙には墨で「野上鉄太郎」と楷書で書かれていた。
この3つの品は、野上鉄太郎の出自を証明するものだと全員が直感した。
そうだ、俺は、これを知りたかったのではないのか?
じいちゃんは10年前のあの夏の朝、俺を呼びつけたのは、これを伝えたかったのではないのか?
孫の俺に一番大事なことを伝えられぬまま、じいちゃんは生を終えたのだ。
心臓の鼓動が頭の奥にまで響いてくる。
「みんな、しばらく一人にしてくれないか?」
周りの誰も無言でうなずき合って、そっと奥の間から一人ずつ出て行った。
ここから一歩踏み込んだら、この封筒を開けたら、俺は、もう引き返せない。
でも、逃げる訳にはいかないんだ…そうだろ?荒魂さんよ。
聡介が封筒の口を懐剣の本身で開けたと同時に、奥の間の天井でぴしり!と枯木が裂けるような家鳴りがした。
まさか、部屋を封じている…?
鉄太郎さん、全てはこれの為か!?
正嗣にも襖の向こうの様子が分からなかった。