さよならゲーム
親にゲームを禁止された子供は大人になるとゲーマーになる人が多い。
の例に漏れず私も自分のお金でゲーム機買えるようになった29の頃から解りやすくゲーマーになった。
尚、この記事書いてる人は親にファミコン取り上げられなおかつ転売された。というなかなかのトラウマを持っている。
某RPGの砂漠でちょび髭の巨大サボテンをフルスイングで倒した時にはもう朝だったり、
某御伽噺風シロオオカミによる世直しゲームを4周したり、
某狩猟ゲームで一人で飛竜に挑んで捕食体制取られた処で閃光弾喰らわす事にカタルシスを覚えたり、
29から40になるまでの11年間、
これ以上に楽しいものがあるか!ってくらい遊ばせてもらった。
ゲームをやめるきっかけになったのは7年前、
PS4が発売されたばっかりで買い替えたがっていた職場の先輩からPS3某世紀末救世主伝説風パッケージという随分暑苦しいデザインの機種を格安で譲って頂いた。
その頃の自分はアクションものより戦略ものにハマっており、領地を発展させて材を蓄え陣形を工夫して…
三河武士を擦り切れるまでこき使ったり、菊亭なにがしという貴族に随分賄賂を渡したりして国造りをする野望ゲームもそろそろいっかな…
と思っていた所に職場の別の先輩から「本当は世界は終わってるんだ。と知る為のRPGダークアクション」
を勧めてもらい、取り敢えず中古でそれを買ってプレイした。
うむ、絵は美しい、音楽はずっと流したい位ハマる。世界観は絶望的。しかし…難易度ノーマルで何度もゲームオーバーし、物語の真実を知るために周回を重ねさらに絶望し、ようやく見れた最終エンドが絶望過ぎたので…
クリアしてすぐ売るタイプの私には向かない…っていうか今後こういうタイプのゲームが主流になるなら、
今、この段階で降りよう。
と割とあっさりPS3と持ってるソフト全部駿○屋に売ったものである。
それから7年後の現在、何処でも出来るタイプのNintendoSwitchやPS5、更には10万するゲーミングPCが無いとストレス無くプレイできないソシャゲばっかり出ている市場の情報を見る時、
今どきのゲームを実況で見てプレイした気になって代償行為をしている時、
先週スマホの負荷を考えて全てのソシャゲをアンストした時の開放感を味わうと、
あのまま突き進んでいたらどれだけのお金をハードに注ぎ込んでいたかを考えると、
やはりあの時降りて正解だったのかもしれない、と思うのである。
と締めたいところであるが、どうして今になって私を惑わすのか?
ゴースト・オブ・ツシマよ。
と武士の誉れもへったくへもない、プレイ前から外道でござるよ、な締めくくりでこの話を終えたい。
とかなんとか言って今後もゲーム機買わないだろうな。