電波戦隊スイハンジャー#61
第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘
ミレニアムベイビーズ2
8月1日午前零時。
京都市内、八坂神社の140メートル上空で白い閃光が起こり、それは幾筋の稲妻になって都の空を覆った。
さらに俯瞰すると京都市内全体を覆った透明な長方形の蓋の内側の一点から穴が開き、全体に稲妻のひび割れが血管のように走って蓋がまるごと砕け、破片が伽藍のように崩れ去ったように見えただろう。
「どっこいしょ…っと」
祇園祭りの間の怨霊封じのための結界を独鈷杵(どっこしょ)で突いて破壊した空海は、
ほんとに肩の荷が下りた、というように脱力しながら、ひゅるるるる
…とはるか下の八坂神社楼門前に着地し、開口一番
「あーもー、嵯峨のくそばかやろー!!!」
と夏の夜空に向けて吠えた。
「お大師、見苦しすぎまするぞ」
お伴の僧が、空海に冷たく言い放った。
背は空海よりすこしばかり高く、女性的な面差しは空海に似ている。
僧の名は真雅。彼は、空海の実弟である。
別名は法光大師。生前は清和天皇の護持僧を二十四年間務めた。
京全体に巨大な結界をまる一か月間張り続ける法力はさすが弘法大師。他の法力者が5,6人かけてやっと張れる結界を。
やはり、兄の真似をできる者は他にはおらぬ…と毎年この日この時になると思うのだが…
「なーにが平安遷都だ!怨霊鎮めだ。とどのつまりは、長岡京の疫病人棄てて、心機一転引っ越ししただけだろーが!ウイルスも細菌も発見されてない時代、
何もかも怨霊のせいにすればだーれもお上を責めんわなー」
と大仕事終えたらいつもこーだ。大の字になって駄々こねやがって。
この兄は多才だが、感情の振り幅が激しすぎる。
まったく、いちいちフォローする身にもなってみやがれ。と真雅は思う。
「お大師…」
「そりゃー気休めの神事や仏事もぎよーさんぎょーさん増えますわなー、為政者のネガキャンで菅公(菅原道真)や崇徳(崇徳上皇)はんを怨霊扱いしたり、
逆に祀ったり…元は、陥れた人間の疚しさからやろが!」
「お大師、いや兄上」
空海の悪口雑言はまだ続くらしい。言ってる事はもっともだと思うが、ほんま、後でやってくれないか。
現世の人間に「お大師」と尊敬されまくっても所詮、佐伯真魚はこんな奴や!と声を大にして言いたい。
虚像って、怖いなあ。
「おかげで本物の怨霊が暴れんように毎年ケツ拭きさせられる身にもなってみい。
結局いつの時代も…お上はロクなもんやない」
「お上」の定義が現代では広なったなぁー。
あ、もう我慢の限界。
「はーいはいはいはい、…あ・に・う・え!」
やっぱり毎年やってしまう。
堪忍袋の緒が切れた真雅は、兄の胸ぐらを掴んで無理矢理引き起こした。まだ言い足り無さそうな空海の口がぽかん、と開き、長めの赤い舌が上向いている。
「あんたはんは一応、この国での真言密教の祖。それ以上醜態さらしたら面目丸つぶれや、笑われるで」
本当に目から光線出しそうなメンチ切りを、真雅は実の兄に向けた。
あかん、ここら辺でお口チャックせな、と本来は聡明な空海はやっと弟の腹立ちに気づいた。
僧侶という立場上、真雅は品行方正、真面目一徹だが、本来は口より先に手が出る子だった。
自分も幾度、素手で、あるいは独鈷杵でどつかれただろうか。
きっかけは全部空海の行き過ぎた言動なのだが。
「す、すまんすまん真雅。最近ハードワーク気味でな…」
ああ、と真雅はヒーロー戦隊管理という兄の『実にしょーもない』副業を思い出して胸ぐらから手を離した。
つられて空海の上体がとん、と地面に倒れる。
「やっとウカノミタマノカミが彼らに顔出しなさいましたね。連載開始からどれだけ待たせたか」
「まったく、後出しジャンケンにも程がある。あの女神は」
空海はよっ、と地面から起き上がって墨染めの衣の埃をぽんぽん手で払う。
空海と真雅兄弟は共に楼門に背を向け、四条通りに向けて歩き出した。
もちろん二人の姿が見える人間はいない。
厳密に言えばこの兄弟は1100年以上前に亡くなった幽霊であり、未だに空海自身は信仰されている「仏」でもある。
ぶろろろろ、と四条通りを走る中型トラックが、兄弟の体を通り抜けた。
「それでも、兄上の仕事が減る訳でもないような気が致します。あの女神は企画だけはしといて後は放置プレイが多いですから」
「そこなのだ。あーもー、仕事頑張ったから夏季休暇に入ろっかなー。後から申請してもよかろう」
は?と真雅はわざとらしく聞き返した。
「兄上、大文字さんまであと半月、結界を破ったから亡者さんたちが入ってきて市内うろうろしてはりますが…」
山野を歩き回って鍛えた兄弟の足取りは、現代人の二倍速い。
いちいち取り締まるんがわしの仕事ではない。と空海は言い切った。
「所詮、先祖霊がほとんどや。地縛霊もシカトしたらよろし。そや、久しぶりに和歌山の慈尊院寄ってままりんに会うか」
「ままりん、ではなく母上、でしょう?」
このマザコンめ。真雅は心の中で毒づいた。
空海が月に九度母親を訪ねた、という逸話から空海の母が住んだ慈尊院の辺りは「九度山」という地名が付けられた。
当時高野山の近辺は女人禁制だったので、教祖の空海が自ら山を降りて会いに行かなくてはいけない。
その頻度月に九度。(あるいはもっとかもしれない)他の修行者がなかなか出来ない事を教祖自身がやらかしているのだ。
そんな空海のマザコンっぷりが、九度山という地名として残る。
「決まり、夏季休暇っ!その後熊本の泰安寺に帰ってー、まーくんが夏休みだからー、光彦と聡介誘って旅行でも行くかー。黒川温泉行ってみたかったんだー美肌の湯」
「兄上、なに20代OLのツィッターみたいな事をつぶやいておられるのですか?」
あかん、こいつ本気や。真雅はこめかみをぴくぴくさせながら兄の無駄口を聞いていた。
「ツィッターはめんどくさくて出来るか。ついでにお前も紹介したいし一緒に行こう」
真雅は薄く笑顔を作ってゆっくり首を振った。
「私は、とっとと高野山に帰ります。仕事が溜まっておりますので…誰かが5月に突然、出奔してしまったせいでね!」
人間、本気で怒ると笑顔に近い表情するもんやなあ、と空海は思った。
「あれは薬師如来様からの命令や、『戦隊に相応しい若者を探せ』と。
熊本の菊池に代々強い法力を持つ七城家のせがれ、正嗣を思い出したからそっち行ったんや。
着いた時は正嗣は鬼の形相した保護者たちに詰め寄られておったよ…せやから手を貸した」
人間が人間育てるんがそんなに困難か?
と空海はあの時は保護者たちに言ってやりたい気分だった。
「それからずるずるですもんね。だから泰範はんが心配してそっち行ったんでしょーが。あの人が現世の事務的手続きしてくれたから七城家に家賃が入るようになったんでしょーが」
「せやった…しっかし泰範は、どうやって現世の金を調達しとるんかなあー?」
泰範は何か副業を持っているんではないか?というのが弟子たちの噂だが未だに真相は分からないままだ。
いくつものヘッドライトがこの兄弟の体を通過した時である、
強烈な悪寒がぞわわあっと真雅の臍下から頭のてっぺんにまで走った。
「兄上!」
うむ、と空海は険しい表情をしてはるか南西の方向、お東さんのローソク(京都タワーの愛称)あたりを睨んでいる。
「久しぶりに本格的な怨霊の気配や。これは超弩級…わしは内臓からじんましん出るくらい気持ち悪いわ…南西一里…東寺や」
東寺には、いま噂していた泰範がいるではないか!
五重塔の傍で、赤黒い火焔の柱が上がった。これは、まずい。
「泰範!」
急げ!という空海の言葉と共に兄弟の姿は四条通り中央から消えた。