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電波戦隊スイハンジャー#149
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
観音1
千手観音は白い産毛の生えた両の手のひらで空海の顔を包む。赤い複眼がじっと空海の眼を捉えた。
「私が恐いですか?真魚」
空海の心は湖面のように穏やかだった。
「いいえ、観世音菩薩さまと相対してなぜ心が揺らぎましょうや」と素直な言葉が出る。
そうでしょう、そうでしょうとも。と言って千手観音は空海の顔から手を離すと眉根を寄せて険しい顔つきになった。
「では何故、あなたは東寺の五重塔の頂上で怨霊を討ち損じたのか?」
それは、頂上の九輪に縛り付け、弱らせた怨霊を覆う黒い霧が取れて、そこには。
その者は。
「代わりに言ってあげましょうか?
あなたが独鈷杵を突き付けた怨霊と、私の顔が全く同じだったからです。
あなたは狼狽した。一瞬の躊躇で怨霊を取り逃がしたのだ。
その痛恨の過ちで、後でどれだけの者が結社の被害に遭ったか、分かっているのか?」
京都市内で起こった通り魔事件、花龍(ファロン)東京支部と結社の構成員、柳博士が企んだ合成麻薬ニンフルサグ事件と、
ウイルス爆弾によるテロ未遂。
全く言われる通りや…
事態の重さに空海はうなだれきって、しまいには顔もあげられなくなってしまった。
「まあ責めるのはここまでにしましょう」
と千手観音は落ち込んだ空海の様子を見て叱り過ぎたかな、と思って苦笑いした。
「あなたの躊躇は、仏心の裏返し。仏が仏を討てる筈がないし、事件は結社の者たちの邪心が招いたこと。
しかし、あなたは討つべきでした。仏に逢うては仏を殺せ」
臨済禅師の言葉を、千手観音はちゃっかり引用した。
「おっしゃる通りです…あの一瞬、わしはあなた様のお顔と混同して怨霊を取り逃がしてしまった。
あなた様とあいつがどう違うかは額の白毫で分かるのに。
全てをお見通しの観世音菩薩さまにお伺いします。
あの怨霊は結社『プラトンの嘆き』の重要人物ですね?」
黒い両肩掛けの、正面から見たらY字型に見える民族衣装の上着の縁にはサンスクリット文字で
サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ(千手観音)と金の糸で刺繍されている。
その文字を撫でてから千手観音は言った。
「討つ直前まで戦ったあなたなら解る筈。あれは『マスター』と呼ばれる者の、幽体離脱した精神体なのです」
やはり!
空海は立ち上がり、柿色の衣の裾がしゅっと翻る。
焦る空海の肩を千手観音が抑えた。
「今は真夜中です。落ち着きなさい、誰に何をするつもりですか?あなたはあと一日お山での務めがある」
「しかし…!」
「確かにあなたは真実を戦隊に告げ、自分の犯した過ちを正す必要があります。
私も、望まずに罪を犯してしまったあの少女に全てを告げる時が来たのだ。
でもねえ、『真実』は、あちこちで自分から姿を見せるものなのですよ…」
と言い残して千手観音は空海と十大弟子に見送られて多宝塔から出て行き、闇に溶けるようにその姿を消した。
その頃、山梨県の勝沼酒造生命化学研究所の一室では、所長の勝沼悟がなぜか、研究主任の西園寺真理子に正面から抱き付かれていた。
「サトルさん…私、怖い」
悟は寝ている所を携帯電話による真理子の呼び出しで起こされてそのまま来たのでパジャマの上にいちおう白衣を引っかけただけの姿。
真理子は夜通し研究を続けていたのか、タイトスカートとブラウスの上に白衣を着ている。
真理子に急に抱き付かれるのは二回目なので、悟は対処法手順1、「まず相手の両肩に手を置き、落ち着かせましょう」を実践した。
「真理子くん…順を追って話してくれないか?」
どうやらこの前ケール畑で仕掛けられたハニートラップではないらしい。震えているのは真理子の方だった。
「私、小人の松五郎さんから検体を2つ貰ったんです。ちょうどお盆休みが終わった頃…サトルさんには絶対内緒、と約束しました。
ごめんなさい…見たこともない生物の細胞だったので、生物学者としての好奇心に負けてしまいました」
「どうやらそのようだね」
悟は実験台の上の2つの真空試験管が光を発しているのを額に汗を滲ませて見ていた。
そして検体の主の名を聞くと、「なんだって!?」
と彼には珍しく狼狽えた叫びを上げた。
たまには辿り着いてみろや、人類。
とそう言われて検体を角の生えた小人から受け取った時、自分にはただ「知りたい」という人間特有の欲があった。
こんなに震えが止まらないのは、14年前父が自死した時以来だ!
受け取るんじゃなかった、人間知らなくともよいことがある。と後悔してももう遅い。
真実は、自ら姿を現す。あちこちから綻びが出るように…
後記
観音菩薩は男性(よっく見ると髭がある)で、お地蔵さんは女性って説があります。