電波戦隊スイハンジャー#60

第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘

ミレニアムベイビーズ1

お母ちゃん。


学校が夏休みに入ったんで10日ばかり神戸のお父さんの家に泊まりに来てます。


うちは神戸三宮育ちの地元っ子なんで、「さんちか」(三宮地下街)以外、特に何処かへ遊びに行くでもなかったけど、初めてお父さんの職場の六甲台のキャンパスを見学させてもらった時は、胸がどきどきしました。


ここのキャンパスの中庭で、お父さんとお母ちゃんは出会ったんやなあ…。


「お父さん、お母ちゃんを初めて見たんはどこや?」


うーん、確か、講堂の方へ向かっとったなあ…若い黒いスーツの女の人たち3人と。その中でお母ちゃんだけクリーム色のスーツ着て、バイオリンケース持ってたんが目を引いたんや。


目を奪われた、と言う以外なかった。


ぽこん、と人間がひとり発生するためには、父と母になる人間の恋が始まらないけません。


14年前の春に、うちの父で当時大学准教授の榎本俊之は、母、上條クリスタに一目惚れしました。


なんて綺麗なひとなんや。


三十過ぎまで学究ひとすじのお父さんが、その日たまたま講堂で開くチャリティコンサートの打ち合わせに来てただけのお母ちゃんを、


その後どういった経緯で口説くに至ったかは割愛させていただきます。


相当大変だった、という事です。


特に、お母ちゃんの養父でいちおう世界的に有名な指揮者のクラウス・フォン・ミュラーに「お嬢さんをください」と挨拶しに行く時は、緊張で何度も吐きそうになったそうです。


元々気弱な性格の人だから、虎の巣に入る心地だったかもしれません。


「もっとマシな男いるやろ!?」


とドイツ系アメリカ人。おまけにボストンっ子から発せられる神戸なまりの日本語で、反対されるに決まっていたからです。


確かにお父さんは見た目長身で、よく見ると整った顔立ちの方ですが、額が残念な事に、薄うなってきておりました。


色白で、35という年齢の割には老けて見えて、随分頼りない。


「でもお父さん、榎本先生はうちが今まで見てきた中で一番誠実で心がきれいな男の人です。この人しかいません!」


あの時は、お母ちゃんとおじいちゃんの睨み合いが永遠に続くかと感じられた…とおじいちゃんの奥さんで、うちにとっては義理の祖母の孝子さんが後に語りました。


指揮者とバイオリニスト。


芸術家同士のプライベートでの喧嘩はたいていお互いが我を張り合って泥沼になるらしいのですが…


「分かった。クリスタが認めた男ならしゃあない」


仕事では人を従わせるのに慣れてるおじいちゃんが先に、折れたのです。


「心がきれいな男なんて、砂漠で小さなガラス片を探して見つけるんに等しい」


クラウスおじいちゃんの半白髪の頭が、ぐらり、と垂れ下がった光景は、家族以外には見せられない「マエストロの降伏宣言」でした。


「それに…」とお母ちゃんは自分のお腹に手を当てて、


「もう切れられない『絆』が出来てしまいましたから」


そう言われたおじいちゃんの気持ちは如何ばかりかとお察しします。


そう、うち榎本葉子がクリスタお母ちゃんのお腹にいたからです。


3か月です。デキ婚です。お母ちゃんの切り札でした。


あのクリスタのドヤ顔は一生忘れんだろう、とこないだおじいちゃんが言ってました。


お父さんはそこまで思い切った事するタイプではないので、きっとお母ちゃんが迫ったのだろうな…。


2000年の1月30日に両親は結婚式を挙げて、8月15日にうちが生まれました。


産声を聞いた時、おじいちゃんとお父さんは喜んで手を握り合ったのはいいけど、うかつにもまだ名前を決めてなかった。


まずい。たまたま産院の廊下のカレンダーの一番上に「葉月」と文字があったので、「女の子だから葉子にしよう」とかなり適当に名付けられました。


ほんと芸術家って、思い付きで行動するんやなー。



「8月15日ってすごい日に生まれたねー」と日本人の人には言われます。


終戦記念日。お盆の最終日。


うーん、おめでとう。と言われていいのかどうか。


「俊之くんの人柄はともかく、日本の大学教員は収入厳しいんやろ?つまり、男の甲斐性の話なんやが」


とおじいちゃんは心配してましたが、うちが生まれてすぐに准教授から教授に選任されて、著作の経済学の本もぽつぽつ売れ出して、収入の面では心配は無くなりました。


美しい妻に、娘、出世、と立て続けに幸運が起こり、経済学者、榎本俊之にはまさに「人生の春」でした。


でも花の季節は長く続きません。


2011年の6月にお母ちゃんはソロコンサートが終わって舞台袖に引いた直後、倒れました。


運ばれた病院でそのまま亡くなりました。


死因は急性心不全。


まだ若くて病歴も特にないのに、とお母ちゃんを看取ったドクターが、本当に沈痛な顔をしていました。


うちも、お父さんも。おじいちゃん夫婦も、本当に打ちのめされました。


うちは半年間、学校以外ではほとんど、家で泣いて過ごしてました。


「子供のうちは、泣いて喚いて、本音を言っていいんやで。子供の内しかできん事やから」


とクラウスおじいちゃんはべそをかくうちの頭を撫でながら言いました。


どうして大人になったらできんの?と訊いたら。


「大人がそれをやったらみっともないと思われるし、本音を言うのは大人の世界では気ぃつけなあかんのや」



思った事が言えないなんて、あぁ、大人にはなりたないなあ。


と生まれて初めて思いました。


悲しみに浸かったままでは、人は生きていけないみたいです。



おじいちゃんも表情パターン1「自信満々」な顔して海外公演行かなあかんし、お父さんも学生に講義せな、研究して論文や著作も書かなあかん。


そして孝子さんも、神戸に残ったうちの面倒見なあかんのや。


孝子さんは元バイオリニストで、お母ちゃんにも、そしてうちにも、3才からバイオリンの手ほどきをしてくれました。


とにかく弾いている間だけ、込み上げるどうにもならない気持ちを忘れる事が出来ました。


孝子さんもうちの気持ちを分かってか、徐々に厳しく教えるようになりました。


結果、近畿地方のコンクールでいくつか入賞したり、優勝もしました。



2013年の正月の4日。ヨーロッパ公演から急いで帰って来たおじいちゃんが


「京都に家を買うた。大文字さんが見える所や」とのたまわりました。


いつか京都に家が欲しい、というのは日本びいきで知られるクラウス・フォン・ミュラーの若い頃からの夢、というか野望で


「とある資産家が年取って病気になった。子供は海外で屋敷を相続する気はない。だから結構値切って買うた」


そこに物件があったからさ。


とは伝説の登山家みたいなセリフですが、おじいちゃんはそういう奴なんです。


本当に芸術家って思い付きで動くよなー!!


うちと孝子さんは朝食のコーンスープに目を落として、


引っ越しかあ…めんどくさっ!とほぼ同じ思いでいました。


もちろんお父さんは反対しました。


「大文字が見える物件で一軒家ぁ?一体何億ぶっ込んだんですか!この家はどうするんです?」


「ムコはん、あんたにやる。あんたは仕事で神戸から動けんし、手に余ったら売るなり好きにせい」


うち、どうしよう?


京都についてったら確実にお父ちゃんをへこませるし、孝子さんはおじいちゃんに付いて行くだろうし…。


「葉子は中学入学の事もあるし、どっちか好きに選んだらええ」


京都、京都、お母ちゃんの納骨の時に初めて行ったお父さんの故郷。古びた寺とビルが、交互に立ち並ぶ街だな、とタクシーの中で思うた。


「おじいちゃん、その家どんな家?神戸に例えるならどこ?」


「ええっ?神戸みたいな都会に似た所はないで!うーんそやな、所々に木がハゲっちょろげてそれがええ風情で…鴨川沿いで…」


「川床付きですか…神戸だと、広いウッドデッキがあって、海辺で…なんでだろう?なぜかここしか思い浮かばない。葉子。お母ちゃんとよく行った…」


「モザイクや。神戸ハーバーランドの2階や。神戸港も海も、全部見えるし」


なぜかお母ちゃんは、モザイクに行って海風に当たるのを好んだ。


結婚前、よくお父さんとここでデートしたんやー。とのんびりした口調で言っていた。


お父さん、ごめん。


とうちは心の中でお父さんに謝った。


孝子さんからもっともっとバイオリン習いたいし、京都にはお母ちゃんのお墓もある。やっぱりまだ、お母ちゃんを吹っ切る事ができんのや。


「うちも京都行く!うちが通えそうな中学ある?」


お母ちゃん。初めて自分で人生を決めるって勇気いったな。


うちは急いで受験したけど京都の女子校に合格して、友達も出来て入学して4か月。


2013年7月30日、今日うちは、神戸umi MOZAIKUのウッドデッキにあるベンチに、お父ちゃんと並んで腰かけて、神戸港の海を見ています。


藍色の海面を時々白い波が噛む、真夏にしては日差しが穏やかな日です。


お父さんは何か懐かしむ目で、海向こうの天辺の欠けたピラミッドみたいな白い建物や、鼓を伏せたみたいなタワー、ランチクルーズから帰って来た白い船を見ている。


夏休みなんで、観光客も地元の家族も多い。


「震災からの復興が目覚ましいな。やっぱりこうして見ると、神戸と京都は違い過ぎる。なんでお父さん、おじいちゃんが家買うた時にここの話したんやろ?」


「お母ちゃんの話したかったんやないの?あの時までみんな話さないようにしてたから」


言ったら家族の誰かが泣くし。


「葉子、お父さんは京都に行ったお前を責める気持ちはない。おじいちゃんが引っ越しして心機一転したかった気持ちは分かる。お前もなんやろ?」


お父ちゃん、一人にしてごめん。


でも本音は、まったくの逆や。海風にたなびくお母ちゃんの長い黒髪。うちと同じ緑色の目で、いつもこちらに笑いかけてくれた。


涙が出そうになったんで、うちは帽子で顔を隠す。


もう中1だから、人前で泣けません。


「人は安心感を求めて、家族といつも同じ観光地に通うんや。行楽のワンパターン化は幸せな想い出が焼き付き易い」


たとえ家族を失っても、とお父さんはそこで言葉を切り


「想い出が心を救う事もある」と言った。


お父さんは経済学者。「経済と人間心理の因果関係」をテーマに研究しています。


深い理由があって、生まれ故郷の京都を避けてます。


だから一緒には暮らしてません。


お母ちゃん。


明日、京都に帰ります。


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