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自分のルーツを辿りたい!伍
これまでのまとめはマガジンから↓
※この記事は、2021年8月にnoteで公開した記事を編集したものです。
母方祖母の戸籍にあった住所を軽く調べました。
愛知県→城下町
伯耆国(ほうきのくに)※伯耆国は現在の鳥取県→城下町
加古郡(かこぐん)→万葉集「いなみ野」と詠まれていた ※加古郡は兵庫県
都濃郡(つのぐん)→周南市が城下町 ※都濃郡は山口県周南市
その他戸籍にあった住所も、だいたい城下町など。
・万葉集は道後温泉(愛媛県松山市)
・祖父はなぜかやたら初代内閣総理大臣の伊藤博文を尊敬していて、伊藤博文は山口県周南市のお隣、光市出身。
元noteユーザーで兵庫県川西市黒川徳林寺住職 越智普門さんが「愛媛と山口県は仲が悪かったですからね。その辺はどうなんでしょうかね。」 と仰っていましたが…? ※越智普門さんからは主に一昨年ごろ愛媛の歴史など教わってました
・明治42年、伊藤博文が三津浜(愛媛県松山市)を訪れていて、それから数年後に大伯母(祖父の姉)誕生。
※曽祖母(祖父の母)は、愛媛県松山市の三津浜出身。
曽祖母の戸籍が残っていたら取寄せます!
▼ネットで伊藤博文を軽く調べると・・・
林氏(伊藤氏)林氏は本姓越智河野氏の支流といわれる。家紋はもと「折敷に三文字」だが、伊藤姓に改姓以後「上がり藤」を用いた。博文自身の語るところ[注釈 14]によれば、「先祖は河野通有の裔で、淡路ヶ峠城主の林淡路守通起である」という。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87
・祖父が伊藤博文を尊敬してたのは、ただの気まぐれではなく、キチンと意味があった?
※祖父はちょっと天然?なので、素なのかなんなのかわからないこと多数
さすがに伊藤博文とうちの家系は、直接関係はないと思います。行き着く先?はどっちみち、遥か彼方の藤原氏?
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・曽祖母(祖父の母)は大正初期に曽祖父(祖父の父)が亡くなったあと、私の祖母の遠縁と再婚しています。
私の母いわく「あんたのおじいさんのお母さんはの、おじいさんのお父さんの仕事仲間と再婚したんじゃが。警察関係の仕事しよった人よ。あんたのおじいさんらは警察一家。よいよ、警察ばっかりなってからに、どがにするんで^^」とのこと。
※祖母の方の金子姓の戸籍に軍人らしき方がいて、ある届けを受附した 陸軍大将 梅津美治郎の名前があります。おそらく、この軍人らしき方は戦死されたと推測しています。
合掌
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