秋の初めのアイロニー 〜愛媛県今治市の船沈没事故〜
※令和3年9月上旬noteで公開していた記事を編集し直して投稿
私の祖母や母が生まれ育った愛媛県今治市 大島の宮窪に詳しい宮窪のおっさんから「宮窪むかしむかし」という本を教えていただき、大島の吉海にある、こりおり舎さんから購入しました。
昨日届いて、一通り読みました。
この本の著者、宮窪名誉町民の矢野勝明先生は、私の祖母や親戚らをご存知だったのだと思います。
祖母の家や、親戚のことがいろいろ判ってきました。
「宮窪むかしむかし」を読んで、3件の船の事故を知りました。
■1945年(昭和20年)11月6日
今治市伯方島沖で起きた旅客船「第十東予丸沈没事故」定員209人にたいし、乗客は521人。死亡401人。行方不明14人。
■「第十東予丸沈没事故」の翌年、1946年(昭和21年)11月16日
「宮窪丸沈没事故」
今治港を十三時四十分に出航した宮窪丸は大島の宮窪を目指す途中、沈没しました。
■事故原因
乗客定員51名のところ、205名乗船。戦後の混乱により、船不足。動いている船も老朽小型船。
宮窪丸の事故の犠牲者の中に、私の大叔母(祖母の妹)の名前がありました。
「島四国三十八番 あしずりさん海岸」に、犠牲者の慰霊碑もあるようです。
慰霊碑が復元されたのは2016年と比較的最近のことで、それまで埋もれていたようです。終戦後、満州から引き揚げた祖母が、大叔母に会えたのか分かりません。
私も昨日までまったく知りませんでした。
戸籍の字がかすれていて、分かりにくかったです。
※2024/08/25追記
祖父のシベリア抑留の資料に祖母の引き揚げ年月日がありました。
満州から引き揚げた祖母と大叔母は会えたんだと思います。
これで、祖母の家の菩提寺が判明しました。
1947年(昭和22年)には、福盛丸が沈没しています。
余所国からも犠牲者が出ているので、その中に親戚がいてもおかしくないと思います。
「宮窪むかしむかし」を読んで、あくまで私の推測になりますが…福盛丸を所有していたのは、私の曽祖父か、親戚だと思います。
※2024/08/25追記
福盛丸の所有者は、私の曽祖父ではなく余所国の笹の井本店
「宮窪むかしむかし」には、福盛丸所有者が犠牲者に挨拶回りし、お悔やみを述べ、お見舞金とお香典を差し出して帰ったと書いてありました。
お見舞金とお香典は相当な大金で福盛丸船主が供養碑も建てたそうですが、
犠牲者のご遺族の気持ちを考えると、正直複雑な心境です。
戦後の混乱の中なので、いろいろ仕方ないと言えば仕方ないと思います。
ただ、今回のことがご先祖を調べている中で一番悲しいし、できればもっと早く知りたかった。
第十東予丸沈没事故・宮窪丸・福盛丸の事故で亡くなられた皆様ならびに、ご家族の皆様に、改めて心よりお見舞い申し上げます。