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詩人が読み解くパレスチナ(9)
パレスチナはどこへ行くのか(9)
【イスラエル軍のガザ攻撃は止むことなく続いている。
連日100人もの人々が、あの狭いガザで殺され続けている】
なんだかイスラエルの攻撃は中断しているかのように、テレビや新聞の報道は激減している。このようにパレスチナは忘れられていくのだ。これまで何度も何度も忘れられてきたように。戦争の継続が忘却を招くというなんという皮肉。
人間は残念なことに、どんなことにも慣れてしまう。慣れが麻痺を生み、麻痺は感覚、判断を鈍らせる。そして、その状態が当たり前になっていく。さらに強い刺激がないと反応しなくなる。ガザでの毎日増え続ける死者数は、自動で付与されるアプリポイントのように意識されなくなっていく。あるいは、時間は忘却を促す。それは防衛本能なのかもしれない。辛いこと、悲惨な体験を、記憶として全て残していくならば、その重みに耐えきれなくなるのは当然だ。忘れることによって、人は次の一歩を踏み出すことができる。
ハマスがイスラエルを急襲し、イスラエルが報復を始めた時は、「中東戦争が起こるかもしれない」と日本のメディアは連日報道し、市民の反対運動、支援活動も広がった。が、次第に冷めて、現在のような日々だ。もちろん、様々なかたちでの支援活動、学び合い、発信、連帯の動きが続いていることは私も知っているし、私もまた、いろいろな会合やイベントに参加し、書籍を漁り、こんな100部余りのペーパーを書き続けている。
ここ数日のパレスチナ関連の出来事をYAHOO!ニュース等で拾ってみると、以下のような見出しで、連日記事が配信されている。
7日 2日連続で学校爆撃、4人死亡 ガザ地区(7月8日AFPBB News)
8日 ガザ北部の戦闘再燃、避難繰り返す住民 ほぼ全人口の190万人
に(7月8日 CNN.CO.JP)
9日 ガザ南部空爆で29人死亡、避難民のテント直撃 北部では戦車前進
(7月9日 ロイター)
イスラエル、UNRWA本部建物を攻撃 ハマスら拠点と主張
(7月10日AFPBB News)
10日 27人死亡のガザ学校攻撃、米国製の弾薬をイスラエル軍が使用
(7月11日 CNN.CO.JP)
11日 イスラエル軍、ガザ最大都市攻撃後に撤退 数十人の遺体を放置か
(7月12日 ロイター)
13日 イスラエル軍がハマスの軍事部門幹部を標的にした攻撃 死傷者
350人以上(7月13日 日テレNEWS NNN)
ハマス軍事トップ狙い攻撃 ガザ71人死亡289人負傷
(7月14日 中日新聞)
連日である。止むことなくイスラエル軍のガザ攻撃は続いている。ガザ保健当局は、7月13日、死者数を3万8443人と発表した。前号で毎日60人もの人々が、と書いたが、6月から7月の一か月間では、1日平均して100人以上の人々が殺され続けていることになる。さらに、数字には表れないが、瓦礫の下には1万人以上の人々が埋まったままである、と言われている。人口約220万人のガザ地区。その2%以上の死者数。日本の人口で考えてみるならば、240万人の死者数ということになる。太平洋戦争での日本の戦没者数と重なってくる。そういう見方をするならば、ガザでは、第3次世界大戦が起こっているのだ。
【死を数字で語る/死者の名前を呼ぶ】
「1日平均して」と書いたが、そういう言い方もおかしなものである。死を平均化なんてできない。けれども、平均してみたり、日本の人口と比較してみたり、そのように数値化することで見えてくる恐ろしさもある。その上で、死を数字で語ることによって失われるものについて、常に意識し、忘れないようにしていかなければならないと思う。
引き裂かれたもの
黒田三郎
その書きかけの手紙のひとことが
僕のこころを無残に引き裂く
一週間たったら誕生日を迎える
たったひとりの幼いむすめに
胸を病む母の書いたひとことが
「ほしいものはきまりましたか
なんでもいってくるといいのよ」と
ひとり貧しい母は書き
その書きかけの手紙を残して
死んだ
「二千の結核患者、炎熱の都議会に坐り込み
一人死亡」と
新聞は告げる
一人死亡!
一人死亡とは
(略)
それは
一人という
数のことなのかと
一人死亡とは
決して失われてはならないものが
そこでみすみす失われてしまったことを
僕は決して許すことができない
死んだひとの永遠に届かない声
永遠に引き裂かれたもの!
無残にかつぎ上げられた担架の上で
何のために
そのひとりの貧しい母は
死んだのか
「なんでも言ってくるといいのよ」と
その言葉がまだ幼いむすめの耳に入らぬ中に
(『渇いた心』1957より部分)
私は、4月21日、東京「大久保ひかりのうま」という小さなバーで開かれた「ガザ・パレスチナへの詩と歌」という公演に出演し、「この子の名前は」という詩を朗読した。岩手の詩人から送られてきた作品に、ガザの子どもたちは、「亡くなったあとに誰かがわかるように/そのかぼそい腕に自分の名前を書いてもらっているという」という詩句があり、そのことを契機に書いた作品である。長いので一部を引用する。
子どもたちの悲鳴が
腕を読もうとする私の目に焼き付けられる
倒壊した詩篇から爆撃音が鳴り響く
瓦礫の下敷きになった子どもたちの
遠くで近くで また爆撃音
やせ細った腕に書かれた文字 文字 文字
「悲鳴」
この子の名前は「悲鳴」
この子の名前も「悲鳴」
なんということだろう
この子の名前は「爆撃音」
この子の名前も「爆撃音」
「爆撃音」
腕が吹き飛んだ子どもが残した名前を探す
全身が焼け焦げた子どもが残した名前を探す
探しても探しても
ああ ガザ
この子の名前は……
ガザの子どもたちの腕には
「アフマド」ではなく「悪夢」が
「ジャミーラ」ではなく「絶望」が刻まれている
母親や父親 祖父母や曾祖父母らが
「アーディル」と呼び
「イクバール」と抱きしめ
「ナジュマ」と書く
その子どもたちの
何万何千何百何十の名前が私たちには届かない
その子どもたちの
一人の名前さえ私は読むことができない
7月7日、東京新宿区高田馬場「音部屋スクエア」で、「ガザ法要」が営まれた。天台声明の阿弥陀経が唱えられる中で、2023年10月にイスラエル軍のガザ侵攻によって亡くなった6747人の人々の名前を一人ひとり読み上げるという法要である。前述の「ガザ・パレスチナへの詩と歌」同様、白拍子の桜井真樹子さんが中心となって開かれた。
今紹介した詩に「一人の名前さえ私は読むことができない」と、私は書いた。だが、この法要での弔いを知り、せめて読むことができる名前があるならば、一人でも二人でも読み上げたいと思ったのだ。それは「この子の名前は」という詩を書いた反歌のようなものとなる、と考えた。
私は、160人の名前を一人ひとり読み上げさせていただいた。都合で途中で退席したが、6747人の名前を読み上げるのに7時間かかったということだ。名前を読み上げることによって、命がこの世界に在ったことを確認する。名前を読み上げることによって、かけがえのない命を一人ひとり抱きしめる。「反戦」「停戦」を叫んでいるわけではないが、静かに悼むそんな声の場所があっていい。読み上げると、名前が立ち上がり、その名前は何も語らないまま消えてゆく。消えてゆくけれど、空気の密度が変わった。160人の名前を読み終わったとき、私はその密度に窒息しそうであった。かろうじてこの世に留まって、一人ひとりの死の重さを受け止めた。
【ハマスのデイフ司令官を殺害するまで、
イスラエルはガザ攻撃を止めないだろう】
最初に列挙したニュースの中では、13日の記事は新聞でも大きく取り上げられていた。中日新聞の記事は、イスラエル軍の攻撃はハマスの軍事部門トップのムハンマド・デイフ指導者が標的だった、と報じていた。デイフ指導者とは、本誌号外3号で、10月7日の奇襲を主導したとして取り上げた人物である。
イスラエルのネタニヤフ首相が「ハマス殲滅まで戦いは継続する」と力説し、ハマスの最高指導者ハニヤ氏はカタールにいて批判声明を発表したりしている。「なんか変だな。殲滅を言いながら最高指導者は安泰? ハニヤを殺さなければハマスは無くならないのに」など、私はこの二人の発言が報道されるたびにモヤモヤとした思いを持ち続けていたのだが、その意味が13日の記事で少しわかった気がした。
ハマスには政治部門と軍事部門があり、最高指導者と言われるイスマーイル・ハニヤ氏は、現在カタールに拠点を置いている。2007年から2014年まではガザ政府の首相。2017年からハマス党首として政治部門を代表している。
軍事部門(カッサム旅団)のトップと言われるのがデイフ司令官であり、イスラエル急襲後はその名前が表舞台に出ることはなかったが、ガザに潜伏していたようである。13日の攻撃による死者の中に、デイフ司令官が含まれているかどうかは現在不明である。
そして、私の全くの憶測であるが、イスラエルがハマス殲滅という時の「ハマス」とは、軍事部門=カッサム旅団のことであり、カッサム旅団=デイフ司令官のことではないのか、ということだ。つまり、「ハマス殲滅まで戦いは継続する」というハマスとは、イスラエル国民に「これはホロコーストだ」と記憶を呼び起こしたデイフ司令官を殺害するまではガザ攻撃を続ける、ということではないのか。
そう考えると、世界の声を無視し続けているイスラエルの強硬姿勢の意味が見えてくる。イスラエルのガザ攻撃への異常性は、「ホロコースト」の亡霊に起因している。病院だろうが学校だろうが関係ない。デイフ司令官が隠れているという情報があった場所が攻撃対象なのである。イスラエル軍は、当初ガザ北部から南部へ攻撃を進めたが、その後また中部に戻り戦闘を続けた。さらに北部も再度攻撃、13日の攻撃先ハンユニスは、また南部である。この支離滅裂な攻撃の行き来は、デイフ司令官の所在を追っての攻撃だと考えると納得できる。
アメリカは、2001年の9・11同時多発テロの首謀者としてビン・ラディンを追い、民間人の死者を出してまでもアフガニスタンを空爆し、ビン・ラディンを匿っていたタリバン政権を崩壊させてしまった。そして、最終的に2011年、パキスタンで特殊部隊がビン・ラディンを殺害するまで、10年間執拗に追い続けたのだ。自国内を攻撃されたアメリカの執念は凄まじかったが、同様に、自国内でかつてない死者を出したイスラエルの常軌を逸したガザ攻撃は、イスラエルにアメリカと同じ精神状態を生み出している。我々の領分を犯した者は、殺すまで許さない、という差別的憎悪である。
※詩の個人誌「CASTER」号外9より転載 2024.7.23
※写真は、2023年、ヨルダン川西岸地区で筆者撮影