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詩人が読み解くパレスチナ(6)

パレスチナはどこへ行くのか(6) 

 パレスチナは現在、国連に(投票権のない)オブザーバー国家として認められているが、4月2日に正式加盟を申請した。パレスチナが国連への正式加盟を申請したのは2011年以来で、当時はアメリカが拒否権行使を明言したため安保理での協議は棚上げされた。今回は採決まで至り、日本を含む十二か国が賛成したものの、やはりアメリカが拒否権を行使して否決されてしまった。バイデン大統領は「二国家共存」を言っているが、そのためにはパレスチナを「国家」として世界が認めることが重要だ。なのに、である。どこまでイスラエルの後ろ盾になるつもりなのだろう。アメリカのマンスフィールド国連大使は「まず当事者同士での解決が大切だ」というような発言をしたが、当事者同士では解決ができない事態に陥っているからこそ、安保理が動いてほしいのだが。

 4月16日現在、パレスチナ・ガザ地区の死者数は3万3843人、負傷者7万6575人(パレスチナ自治政府保健省)。前号に「3月13日現在の死者数は3万1272人。単純計算で一日に80人もの人々が、毎日亡くなり続けている」と記したが、全く同じペースで死者は増え続けている。新聞やニュースではパレスチナの話題は消え、攻撃が静まっているかのような錯覚に陥るが、ガザでの死傷者数は相変らずコンスタントに増え続けている。

【イスラエルのガザ南部侵攻、
  パレスチナ人のエジプトへの追放が、今まさに起ころうとしている】

 現在、イランとの応酬に集中しているイスラエルは、120万人が集まるガザ南部ラファへの大攻撃は行っていないが、これがいつ再開されるか。かと言って戦闘が中断しているわけではなく、北部ベイトハヌーンに、再度、戦車部隊を侵攻させている(時事通信17日)。18日、イスラエルとアメリカの高官協議がオンラインで開催された。アメリカはイスラエルが計画するガザ最南部ラファ侵攻について改めて懸念を表明したが、イスラエルは「留意する」と答えるに止まっている(時事通信19日)。

 前号、私は、「ガザ地区からパレスチナ人を追い出し、エジプトのシナイ半島に強制移住させる。そして、ガザ境界に無人地帯をつくり、帰還できないようにする。つまり、強制的民族移動を考えている」という内容のイスラエルの機密文書を取り上げた。
 BBCニュースジャパン(2月19日)にも「エジプトとガザ地区ラファとの境界で囲い建設や造成か 衛星画像」という記事があった。その記事の最後に、ミュンヘン安全保障会議に出席したフィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官はロイター通信の取材で、ラファからエジプトに難民が流入すれば、「パレスチナ人にとって、エジプトにとって、そして将来の平和にとって大惨事となる」と警告した、とあり、記者は次のように結ばれている。
  
 (引用)パレスチナ人にとって、境界を越えた避難は追放と感じられるものだ。エジプトへの「追放」は、彼らが最も恐れているものである。ガザ地区の住民の約8割は、イスラエル独立戦争で村から追われた人々の子孫だ。祖国の最後の一片であるガザを離れることを、多くの人は1948年の「ナクバ(大災厄)」の再来と感じるはずだ。

 「祖国の最後の一片」という表現が胸を突く。心が痛い。本当に痛い。
 「中日新聞」4月25日に、小さな記事があった。「ラファ侵攻準備か テントを大量調達」。

 (引用)ロイター通信によると、軍はガザ最南部ラファから退避する住民を収容するためテント約4万張りを調達したといい、イスラム組織ハマスの最後の拠点とにらむラファ侵攻に向けた準備を加速させている可能性がある。(略)イスラエルメディアなどによると、軍はラファから4~5週間かけて住民を退避させる計画を米政府に提示した。(略)イスラエル国防当局者は24日、ロイターに対し、ラファへの侵攻準備が「全て整った」と述べ、政府が承認すればすぐに作戦を開始できると強調した。
    
 「退避」とは! 退避とは、危険を避けて安全な場所に立ち退くこと。当然、危険が去れば元の場所に戻ることができるはずだ。だが、これまでイスラエル軍によって行われた退避は、間違いなく「追放」と言い換えられる。そのようにパレスチナの人々は、村を、住む家を追われてきた。いったん村を、家を離れれば戻ることはできない。戻る権利は失われる。家は、村ごと破壊される。あるいは、ユダヤ人の所有となる。パレスチナの土地収奪はそのように行われてきた。

 1948年、イスラエルが建国された後、パレスチナ住民の追放と村の破壊が「合法的」に始まった。まず、土地や財産を没収するための様々な法律が施行された。そして、ある日、安全のためとか公共建築のためとか戦争の危機があるなどと言って、パレスチナ人の一時退去、避難が命令される。村人がそこを離れると法律を適用し、その村の土地や家を没収、ユダヤ人入植地とするのである。
 国連は、1979年に安保理決議452、80年に同465を採択して非難したが、イスラエルは無視。93年のオスロ合意で自治区とされた地域でさえ入植地建設は進み、実質的にイスラエル領になろうとしている。オバマ政権は入植地否定の姿勢を示したが、トランプ政権はエルサレムをイスラエルの首都と認め、入植地でのイスラエルの主権を認めるなど、あらゆるイスラエルの活動を容認した。現在、約140の入植地に60万人のイスラエル人が住み、占領の固定化が続いている。   

 周りを分離壁やフェンス、トレンチ(溝)に囲まれ、入植地に浸食されながらも、ヨルダン川西岸地区とガザ地区で、辛うじてその地を〈祖国〉として愛し、祈るようにして生き続けているパレスチナの人々。空爆や地上侵攻に遭いながらも、しがみつくように守ろうとしたパレスチナの人々の〈祖国〉が、今、失われようと(奪われようと!)している。

【カナファーニー「ハイファに戻って」を読む】

 1972年、自動車に仕掛けられた爆弾により爆殺されたパレスチナの作家、ガッサン・カナファーニー(享年36歳)の小説「ハイファに戻って」は、1948年、イギリス軍によりハイファを突如強制的に追われたパレスチナの若い夫婦の、二十年後の物語である。これから読まれる方もいるだろうから、そのあらすじなどは避ける。
 主人公が不意に自問する場面がある。「祖国とは何だろう」と。二十年後に戻ってきたハイファの自宅で、彼は「祖国って、いったい何だい?」と妻にも問う。「それはこの部屋に二十年間存在し続けたこの二つの椅子のことか?」。これ以上は、ここでは書かない。
 さらに、主人公は、相手に向かって(この相手が誰であるかも、実際に小説を読んで知ってほしい)、次のように言う。

 (引用)いつになったらあなた方は、他人の弱さ、他人の過ちを自分の立場を有利にするための口実に使うことをやめるのでしょうか。(略)ある時は、われわれの誤りはあなた方の誤りを正当化するとあなた方は言い、ある時は、不正は他の不正では是正されないと言います。あなた方は前者の論理をここでのあなた方の存在を正当化するために使い、後者の論理をあなた方が受けねばならぬ罰を回避するために使っています。

 ここでの「あなた方」をユダヤ人、「他人」をパレスチナ人として読むことはできる。現在のイスラエルとハマスとの戦闘を頭に置けば、「他人の過ち」をハマスの急襲としてもよい。同様に「われわれの誤り」とは、パレスチナの抵抗であり、「あなた方の誤り」とは、イスラエルの占領でもある。もちろん、パレスチナの抵抗は決して「過ち」ではないのだが、そういう文脈でも主人公の言葉は意味を為す。さらに、主人公は、次のように断言する。ここにこそ、私たちがイスラエルに迫ることができる思想がある。

 (引用)その人間が誰であろうと人間の犯し得る罪の中で最も大きな罪は、たとえ瞬時といえども、他人の弱さや過ちが彼等の犠牲によって自分の存在の権利を構成し、自分の間違いと自分の罪とを正当化すると考えることなのです。

 やや、訳が硬いため分かりにくいが、パレスチナ人の犠牲によって、パレスチナに存在する権利を正当化しているのは、ユダヤ人である。カナファーニーは、〈祖国〉を問うことによって、彼等の罪を顕在化しようとしている。
 『ハイファに戻って/太陽の男たち』(河出文庫・2017初版)は、表題の中篇二篇と、短編五編が収録されている。最近読んだ小説では、最も心を抉られた衝撃度ある作品集だった。ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。岡真理(早稲田大学教授)は『現代詩手帖』5月号のインタビューで、カナファーニーについて、次のように語っている。

 (引用)文学は読んだ人間を変えます。いま、撃ち込まれているミサイルを止めることはできないけれど、でも生きている者たちを変える。カナファーニーの場合であれば、彼の作品を読んだパレスチナ人が「パレスチナ人」という一個の政治的主体に変わって、武器を持って戦う。それがイスラエルにとっては脅威だった。だから殺した。

  イラクの友人から
                     伊 藤 芳 博   
 ワタシの家に来るにはね
 あなたが今立っているこころから
 (距離は分からない)
 少しばかり飛ばなきゃならないわ
 (それがけっこう難しい)
 ……ミサイルが落ちてクレーターになっている角を
 右に曲がると
 十数名がまだ道に転がっているはず
 そこを通り過ぎると
 家族七名が米兵に皆殺しにあった家があるわ
 その先に戦車が見えるでしょ
 気を付けてね 動く者はみな狙われる
 日の丸を振ってはだめよ
 民兵も手榴弾を投げるかもしれない
 標的から外れて落ち着いたこころから
 辺りをゆっくり見回してね
 扉や窓を打ち破られた家ばかりでしょ
 最初の一軒の中に入り 様子を見てくれない
 ワタシの友だちがいたら脅したりレイプしたりしないでね
 (多分だれもいない)
 二階の窓からクラスターで空爆された街が見えると思うの
 そこがワタシたちが立ち尽くしているこころよ
 まだ劣化ウラン弾が落ちているわね
 日本人は放射能には敏感でしょうから
 タクシーを拾ってくればいいわよ
 しばらく走るときっと拉致されるわ
 ナイフの切っ先を首に当たられたこころ
 そこが ワタシの家よ

  ※2003年、イラク戦争時に書いた作品。

※ 詩の個人誌「CASTER」号外6 2004.5.7より転載 
※ 写真は、2003年、ヨルダン川西岸地区で筆者撮影

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