見出し画像

詩人が読み解くパレスチナ(3)

パレスチナはどこへ行くのか(3) 

  奇妙な果実

 南部の木々に奇妙な果実がある
 葉は血に染まり 根には血が滴っている
 南部の風に揺れている黒い肉体
 ポプラの木々からぶら下がっている奇妙な果実

 のどかな南部の牧歌的な風景
 腫れあがった眼 ひんまがった口
 甘く爽やかな木蓮の香り
 そこに突然 焼けた肉の臭い

 ここにカラスがついばむ果実がある
 雨に打たれ 風に吹かれ
 陽に腐り 木から落ちる
 ここに奇妙な苦い果実がある

歌 ビリー・ホリデイ 詩 ルイス・アラン(エイベル・ミーロポル) 訳 伊藤芳博

 12月に入った。なぜだか急にビリー・ホリデーが聴きたくなって、CD『奇妙な果実(完全版)』(1991・コモドア復刻シリーズ)を取り出した。購入してからあまり聴いていないので埃にまみれている。買った当初は、英語の歌詞などは見ないでメロディと歌声だけを流していた。悲し気な声だったことしか記憶にない。
 今、解説を読んで、ゾクリとした。黒人差別とリンチ事件を告発した歌だったのだ。そんなことすら忘れていたのだった。そうして歌詞にある「南部」という言葉に誘発されたのか、現在、イスラエル軍の空爆や地上侵攻に晒されながら、ガザ北部から南部に逃げ惑うパレスチナの人々の姿が、「奇妙な果実」に重なって見えてきた。
 この曲について調べてみると、この曲を作り、録音をし、販売をしたのは、3人のユダヤ人であるということがわかった。ネット記事「ヒップの誕生」には「エイベル・ミーロポルが「奇妙な果実」の詩を書いたとき、彼の脳裏にはリンチで殺された黒人のイメージだけではなく、いわれなき迫害によって故郷を追われたユダヤ人同胞を思う悲しみが間違いなくあっただろう。ビリーは、ユダヤ人から受け取ったその悲しみのバトンを、一人ひとりの聴衆に丁寧に渡そうとした」とあった。うち2人の両親は、1900年初頭、ロシアのユダヤ人排斥運動(ポグロム)から逃れてアメリカへ移住したユダヤ人だった。ドイツ・ナチスによるホロコーストが吹き荒れる少し前のことだ。
 私はその曲を聴きながら、移住してきた先のアメリカでの黒人差別を目の当たりにしたユダヤ人たちが、その悲惨を自分たちの身に引き寄せながら、必死の思いで「奇妙な果実」を世に出した思い、その歌に自分の父の姿を重ねながら歌ったビリー・ホリデイ(1015~1959)の思いを想像した(ビリーの父親は、楽団の一員として巡業中に肺炎になったが、黒人であることからどの病院からも閉め出され亡くなったということである)。そしてさらに、そのユダヤ人に攻撃されながら、「奇妙な果実」になっているパレスチナの人々の歴史について、どう考えていいのかわからないでいる。
 黒人であろうが、ユダヤ人であろうが、パレスチナ人であろうが、この地球上に生まれてきた命である。この世に自分が誕生した奇蹟を、だれもが思い出さなければならない。
 
 イスラエルがパレスチナ人をガザ南部に追いやっていくその後に、何が企まれているのかについて、また別に書きたい。

【2023・10・07、ハマスはなぜ攻撃を仕掛けたのか】
      
 今回のハマスの攻撃は、何がきっかけになっているのだろうか。テレビのニュースなどでは、「ハマスのロケット弾攻撃から始まった、イスラエルとハマスの戦闘は、」という前振りが常に使われているが、その直接的な理由については、ほとんど言及されていない。
 私は、本誌「号外1」に、その大前提として「現在も占領下のパレスチナ」について書いた。今号では、その直接的な理由を探っていきたいと思う。
 新聞にも、その時々でいろいろな指摘がなされていて、日々の一過性の読みだと読み過ごしてしまうのだが、改めてそれらの断片をまとめてみると、その背景や輪郭が見えてくる。まず、私が読んでいる「中日新聞」から、いくつかの記事、論説を列挙する。

 ☆イスラエルとサウジアラビアとの正常化交渉に焦り
 ハマスは攻撃に先立つ6日に声明を出し、イスラエルが米国の仲介で進めるサウジと の正常化交渉を批判。……攻撃により交渉を妨害する意図がありそうだ。サウジは、パ レスチナ和平が実現するまでイスラエルとは正常化しないとの立場を取っていた。アラ ブの盟主とされるサウジとイスラエルの関係が正常化すれば、パレスチナ情勢への国際 社会の関心低下は避けられない。(10月8日朝刊)

 ☆ロシアのウクライナ侵攻によるパレスチナ支援減少
 多くの国や国際組織がウクライナ関連に支援予算を割き、他の地域は手薄に。国連パレスチナ難民救済事業帰還(UNYRWA)のトップ、ラザリニ事務局長は「ガザの人 道危機は以前から悪化していたが、侵攻が拍車をかけた」と語る。ハマスの奇襲はこうした状況下で起きた。(10月9日朝刊)

 ☆イランの協力/イスラエルの内政混乱
 ガザの政治アナリスト、タラル・オカル氏は、スンニ派のハマスは「宗派は異なるがイランの対イスラエル重要部隊だ」とし、イランの協力があったとみる。イスラエルではネタニヤフ政権が強行する司法制度改革に抗議するデモが続き、ハマスはこうした内政の混乱も計算したはずだとも語った。(10月11日朝刊)

 ☆イスラエル建国から続く占領と虐殺
 (ガザ中部に住むライターの男性アフマド・アブ・アルティーマ(39)さんは)戦闘 の始まりは今月7日のハマスの攻撃ではなく、イスラエル建国から続くパレスチナ占領と虐殺だと訴える。「広島、長崎への原爆投下から復興を遂げた日本人なら、占領下の人間の側に立ってくれると願っている。私たちは尊厳と自由を持って生きたいだけだ」(10月15日朝刊)

 ☆パレスチナの怒りの頂点
 ハマスによる07年の実効支配以来、イスラエルはガザ地区への封鎖を強め、日用品でさえ不足する状況が続く。若者が就職しようにもガザには産業が乏しく、ガザの外に働きにも行けない人たちの怒りが頂点に達したという背景がある。(11月8日夕刊 慶応大・錦田愛子教授)  

 こんなふうに読んでくると、おおまかではあるが、その背景が分かってくるのではないだろうか。そして、慶応大の錦田教授が言うように、パレスチナ人の我慢と怒りの頂点が、ハマスの攻撃という形で示された、と考えていいように思う。
 私的なことではあるが、錦田愛子という名前に覚えがあり、記憶をたどると、なんと、2003年、私が岐阜の小さなNGOの一員として、ヨルダン川西岸地区で「世界の子どものための平和祭」を開いたとき、現地ベツレヘムに来て協力してくれた女性だ。当時はヨルダン大学の院生と聞いた。へえー、大学で研究者になったんだ、という個人的な驚き。
 
【ハマスの作戦名「アルアクサの洪水」】

 今回の攻撃により国際社会の目は、忘れられていたパレスチナに一気に向けられた。しかし、その代償は大きすぎた。12月8日現在、パレスチナの死者は1万7000人を超え(ガザ保健省)、人口の8割を超えるおよそ190万人が避難を余儀なくされている(UNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関)。イスラエルはガザ全土を占領する勢いである。
 この攻撃をハマスは「アルアクサの洪水」と名付けているが、その作戦名については、テレビや新聞では全くコメントされていない。その意味を、2023年10月11日のロイター通信による記事「イスラエル攻撃の黒幕、謎に包まれたハマスのデイフ司令官」が明らかにしている。また、10月16日の「デイズウィーク日本版」にも「イスラエル地上侵攻の最重要ターゲットはこの男、手足と目と家族を奪われながらも「不死身」のハマス軍事司令官」という見出しがあった。まずその記事から引用する。

 ・イスラエルは過去に何度もデイフを暗殺しようと試みた。そのせいでデイフはさまざまな怪我を負っており、眼球、腕の一部、脚を失ったと伝えられる。また、2014年にイスラエルがガザに本格的な地上侵攻を行なったときには、空爆で妻と生後7ヶ月の息子、3歳の娘を失ったという。新たな報告によれば、現在進行中のイスラエル国防軍の攻撃で、デイフの兄と息子を含む、多くの親族が殺害されたという。
・ガザにある地域研究センターのアイマン・アル・ラファティ理事は、デイフは「パレスチナの抵抗の象徴となっており、パレスチナ人の間で絶大な人気を誇っている……パレスチナ人が唱える祈りのなかには常に彼の名前が組み込まれている」。
 ・多くのイスラエル人にとって、デイフは9・11テロの象徴になったウサマ・ビンラディンのようなものだ。(記事執筆者 トム・オコーナー)
 
 次に、先のロイターの記事から。

 ・同司令官は7日、……録音済みの談話を放送。この中で、今回の襲撃をこの表現(アルアクサの洪水)で呼び、これがエルサレムのアルアクサ・モスクにイスラエル人が侵入したことに対する報復であることを示唆した。
 ・イスラエルは2021年5月、イスラム教において3番目に神聖な場所である同モスクを襲撃し、アラブ人とイスラム世界を激怒させた。……今回の攻撃についてデイフ氏が計画を練り始めたのは、これがきっかけだったという。
 ・「イスラエルはラマダン(断食月)の最中にアルアクサ・モスクを襲撃し、参拝者を殴打、高齢者や若者をモスクから引きずり出した。そうした光景や映像が、攻撃の引き金になった。何もかもが怒りに火をつけ、油を注いだ」と、この関係者は説明した。
 ・デイフ氏は録音された音声で、「今日、アルアクサの怒り、人民と国家の怒りが爆発する。我らがムジャヒディン(イスラム戦士)」たちよ、今日はこの犯罪者に、その時代が終わったと思い知らせる日だ」と語った。
 ・ハマス幹部のアリ・バラカ氏は、「私たちはこの戦いに向けて2年間準備してきた」と語った。

 ・デイフ氏は録音の中で、……「占領部隊は毎日のようにヨルダン川西岸の私たちの村 や町、都市を襲撃し、殺し、傷つけ、破壊し、拘束している。私たちの土地を何千エーカーも没収し、我が国民を家から追い出して入植地を建設する一方で、ガザに対する犯 罪的な包囲を続けている」
 ・「イスラエルによる占領の暴虐と、国際法や決議を否定する姿勢、さらには米国や西側諸国の支持と国際社会の沈黙に鑑みて、我々はこうした状況すべてに終止符を打つことを決意した」と、デイフ氏は宣言した。

 イスラムの聖地「アルアクサ・モスク」でのラマダンの最中を狙って、エルサレム旧市街地の広場を封鎖し、モスクを襲撃したイスラエルの蛮行に対する怒りが、直接の動機であることが語られている。
 アルアクサ・モスクの隣には、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」があり、この地ではアラブ人とユダヤ人の衝突が絶えない。2000年のパレスチナの第2次インティファーダ(民衆蜂起)も、この場所でのイスラエルの挑発がきっかけとなっており、「アルアクサ・インティファーダ」と呼ばれる。「アルアクサの洪水」は、さらに20年前にまで発火点は遡り、銃と血によって神と祈りを汚され続けてきた怒りの作戦名である。(次号に続く)

※個人誌「CASTER」号外3号(2023.12.24)掲載
※写真は、2023年筆者撮影 ベツレヘムから望むイスラエル入植地

いいなと思ったら応援しよう!