センチメンタルになりやすいのは秋のせい
秋はセンチメンタルになりやすい季節。
気温の変化や自然の風景の移り変わりが、感情を揺さぶる。
また、日が短くなることで孤独感を感じやすくなるのかもしれない。
あなたは秋にどんな気持ちになりますか?
秋の雰囲気は、特に思い出や過去の出来事を呼び起こしやすい。
楽しいこともあれば、切ないこともある。
そんなことを思い出す季節。
でもきっとそれは、自然なことなんだと思う。
私の話で恐縮だが、秋になると、高校時代から19歳になるまで、不毛な時代と学びの時代という二つの側面を持っていたことを思い出す。
高校時代、私は格闘技をやりたかったが、親に反対され、おばあちゃんには泣かれてしまった。
そのため、勝手に「格闘技はやってはいけないんだ」と思い込み、その時は諦めてしまう。
自分の意志とは無関係に、周囲の期待や団塊世代の価値観が優先され、狭き門へと導かれるルートが唯一の道だと教え込まれる。
なぜ、人を蹴落としてまで自分だけが助かる道を選ぼうとするのか、みんなが共に助かる方法を探ろうとしないのか、ずっと疑問に思っていた。
そのため、親との喧嘩は絶えなかった。
でも、高校生の私には、自分の意志を貫く勇気がまだなかった。
自分の中ではもう、人生のルートは組んでいたのに、それを何一つできなかったことを今でも思い出す。
後悔という言葉がぴったりな高校時代。
やりたいことがあっても、様々な反対をされてやりたいことができない時は、いわゆるグレることに繋がるのだ。
ゆえに、高校時代は反抗的な行動をたくさんしてしまった。
家出もした。
でも、力のない高校生が、やりたいことができないことへの唯一の表現だったのだ。
あのときやりたいことを追い求めていたら、どんな人生が待っていたのだろうと、今でも思い返す。
親の言うことを聞いて幸せを掴む人もいれば、そうならない人もいる。
そのことを理解できない親だったのだ。
でも、ある日転機は起きるものだ。
高校を卒業して予備校に通っているとき、1人の相談員と進路について相談していた。
「この大学に行きたいなら、これ勉強したほうがいいと思う。英語頑張ろうよ」という様な、やりとりが一般的だろう。
だがその相談員さんは違った。
「あなたは格闘技のほうが光ると思う」そんな一言を言ってくれたのだ。
この光るという言葉が、私の心に深く響いた。
そして、私宛と親宛に手紙まで書いてくれた。
そこから、私が描く新しい人生の旅が始まったのだ。
その相談員さんは、19歳の私に独り立ちする力が自分の中にあることに気づかせてくれた。
そこから私は、それまで行ってきたことすべてをやめて、家を飛び出し、格闘技を始めたのだった。
まさに激情に駆られた瞬間だった。
大人になって振り返ると、あの時代は必要だったんだという悟りを得た。
失敗したとしても、それは後に何かの肥やしとなる。
だから挑戦してみてよかったと思う。
その気づきは、私の人生における大きな宝となった。
そんなことを思い出す秋の日。
人には必ずその人の歴史がある。
明るく楽しいこともたくさんある一方で、この時期になると心がどこか重く感じられるのが不思議だ。
季節や環境が心に影響を与えるのかもしれない。
この季節、あなたは何を思い出すのだろうか?