固定観念を押し付ける人の厄介さと鬱病
固定観念に縛られている人ほど面倒くさいものはない。
大好きなものに傾倒するような、良い固定観念ならならいいが、良くない固定観念はどんな状況になっても「それ」しかないから厄介だ。
まず話が通じない。
会話にもならない。
誰かが正解を説明しても、「いや、こうだ‼️」と決めつけて、間違えていようがなんだろうが、自分の考えを押し通そうとするからだ。
固定観念なのか、頑固なのかよくわからない。
これは選挙にも当てはまる。
政策とかで人を選ぶのではなく、あいつはいいやつだ、後輩だから、そんな感じで票を入れてしまう。
固定観念の厄介さ、今の若い子達もこれにやられて、夢をみられなくなってしまった人も多いのではないだろうか。
人はこうでなきゃならん。
水を飲むやつは弱いやつだ。
いい大学に入って、いい会社に入れば、楽に生きられるんだ。
そうすれば社会から守られるんだ。
私は昔、1流と呼ばれる会社にいたことがあるが、守られたなんて思ったことは1度もないし、日本には1流会社は数%しかない。
そんな狭き門へ誘導することしかできない固定観念はいかがなものだろう。
人ってもっと自由でいいと思う。
なぜこんな事を言うのかというと、今の日本はあまりにも鬱病が多いからだ。
私は鬱になったことはないが、例えば鬱になってしまった人の親が、固定観念に縛られている人だとしたら
そんなもの運動すりゃ治る
薬なんかに頼るな
いつまで寝てるんだ
そんな感じで、鬱病だと理解されることなく罵声を浴びせられることも多いだろう。
整体の仕事で、鬱の方をたくさん診てきた。
徐々に状態も良くなってきて、最初は親御さんと一緒に来ていた人が、1人で来れるようになってくる。
そうなってくると私も嬉しくなるのだが、一人で来るようになると、ようやく本音で話すのだ。
全員ではないが、大抵は親の話になる。
認めてくれない、理解されないから辛いと言ってくる。
そして大抵はこの固定観念に縛られている親を持っていることが多いと感じる。
見ているとわかるが、異常なほど過保護なのだ。
これは実際にあった話。
通ってくれている1人のお客様の親が、何回か通ってくれているうちに、私の姿をみて感じた部分があるのか「整体を習いたいみたいよこの子」と言ってきたことがある。
だが、その子にはどうも覇気がない。
本当にやりたいことが見つかるととても元気になるはずだが覇気がない。
そう、親の固定観念の押し付けである。
親が私の姿をみて、この子もこうなったらいいなという固定観念。
そこにその子の意思はない。
その子といっているがその時彼は30歳。
「私が本当にやりたいの?」というと、俯きながら「はい」と言う。
本当はお金を取って整体を教えているが、その子には無料で最初の触りを教えてみた。
意思がないことはわかっていたし、そんなことでお金をとることに良心が痛むからだ。
次の日、彼は一人できた。
私が整体の仕事を終えるのは夜の9時。
終わった頃に彼がやってくる。
昨日と同じように触りを教えると、その子は泣き出した。
「どうした?」と尋ねると、彼は「本当はやりたくない」と言った。
そして親の話になった。
経験上やっぱりねと私は思った。
また次の日の夜、今度は親と一緒に来た。
彼は俯いたままだが、親はワクワクしながら私と彼を見ていた。
私は、居ても立ってもいられず、その親に話をした。
「〜君、本当は整体やりたくないみたいですよ」と。
「はぁ~?またそんなこと言って、いつまでやる気ないの。あなたもう30歳なのよ」
その親は子を罵しりはじめた。
私は最初の言葉が悪かったかなと少し反省しつつも、この子の未来のためだと思いその親に「いい加減にしろ」と怒鳴った。
最初その親はびっくりしてボーっとしていたが、しまいには「なんなの、ただの整体師のくせに」と怒鳴り返してきた。
ただの整体師に頼ってきたのはあなたでしょ、と言いたかったが笑
「なぜあなたが子供の未来を決める。
子供だって一人の人間、その過剰な過保護さが、子供の未来を奪っているのがわからないのか。
その子はもう自分のことを考えることをやめてしまっているだろうが。
そんなことでは親なしでは生きられなくなるよ。
可愛い子には旅をさせろというでしょ?」
私はそう言ったのだが、その固定観念の親には何も響かなかった。
その後も口論になったが、この子は私がいないと駄目なのよ、の一点張りで話にならなかった。
そして怒りながらその親子は帰って行ったが、当然ながらそれ以降その親子が姿を現すことはなかった。
幸いその親子は、遠方から来ているので、もう会うことはなかったが、鬱の再発を心配したし、私はこれで良かったのかなと少しだけ悩んだ。
固定観念が生む悲劇である。
それから5年立ったが、今でもたまに思い出す出来事。
厄介だな〜悪い固定観念。
でも、つい昨日嬉しい連絡が入った。
なんと、その子からが結婚しましたよという連絡がきたのだ。
詳細はまだ聞いていないが、あの時怒鳴ってくれたことのお礼がずっと言いたかったと。
ふー、と私は胸を撫で下ろした。
正直嬉しくて涙が出て、一気にいい思い出に変わったのである。
おしまい。
ちょっと重くて熱い話になってしまいましたが、なんだか嬉しくて書いてしまいました。
お読みいただきありがとうございました。