思考は嘘をつくけど身体は嘘をつけない
私はチベット医学の脈診カウンセリングをして、
そのあとのトリートメントに使う精油を決めるんだけど
チベット医学はインドのアーユルヴェーダと、中医学と
ペルシャ医学が融合した東洋医学で、
Sowa Rigpaは「癒しと幸福の科学」という意味があり
健康的な食事やライフスタイルと自然との調和によって
心身と氣(エネルギー)のバランスが整うことで
幸せな人生を創っていけると考えられている。
脈診で、その身体氣の「不調和」を診ていくんだけど
脈を診て感じたことを話すと、大体の人が
「そういえば…」と、気づいたことや思い出したことを話される。
たぶん、みんな自分では無意識に不調和(今抱えている問題)に気づいているんだよね。
でも、日常でやらないといけない(と思い込んでいる)ことがいっぱいいっぱいあって、その不調和(問題)を見ないようにすることに、全力を使っている。
思考は嘘をつくけど、身体は嘘をつけない。
自分の気持ちや違和感を無視して、無理し続けると
病気になったり、怪我をしたりする。
頑張ってるのに満たされない気持ちがどこまでも追いかけてきて、殺伐とした、不幸せな気持ちに押しつぶされそうになる。
それは、「頑張る」方向が間違っている、ということです。
「幸せになる努力」ができていないと、頑張れば頑張るほど疲れ果てて、なんか人生も上手くいかなくなる。
「幸せになるための努力」ってどういうものか?というと
「自分の中にある違和感としっくりしている感覚に気づく」
「自分の思考や計算から来ている欲求なのか?
自分の魂から来てる欲求なのか?に気づく」
「しっくりする、魂からの欲求に基づいて行動する」
これだけです。
これをしていると、自動的に上手くいく流れに乗れるし、
ラッキーなことが起きたり、どんどん状況が好転していく。
でも、言葉にすると簡単だけど、
これを実行するのはなかなか簡単ではない。
これ、自分に対する信頼感がないとできないんだよね。
「自分がダメ」だから、猛烈な、やりたくない頑張りや
努力が必要なんであって、
「私は大丈夫」と心の底から思えると、やりたくないことは誰かに任せて、自分のやりたいことに集中できる。
この「集中」は、はたからみて「努力」しているように見えても本人は好きなことに打ち込んでいるだけだから、
苦にならない。
そして、打ち込んでいるうちに、更になんか助けがきたり、自然に解決したり、何とかなったりしていく。
でも、その流れに乗るには、まず初めに「自分と対話する」というのがとても大事になっていく、と感じるんですよ。
「私が」それをしたいのか、したくないのか。
したいのにできないのはなぜか?
したくないのに、それをし続けてしまうのは何故か?
自分が今感じているのは違和感なのか?
しっくりきているのか?
誰かのために生きることが当たり前になりすぎると
自分の感覚や感情を感じることが苦手になりやすい。
でも、そろそろ誰かのために生きるんではなく
自分のためにエネルギーを使ってほしい。
どんな風に感じて、嫌とか疲れることを手放して
「何がしっくりくるのか?」をベースに行動することで
勝手に助けが来たり、何とかなったりする。
一人で頑張り続けるというのは、宇宙にも他人にも
「委ねられない」ということ。
なんでも自分一人でやるなんて考えることは
むしろ傲慢かもしれない。
もっと、宇宙とか神様とか、そういうのに委ねていいんだよ
脈を診てると、そう感じるのです。